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第一節 転生先は平安時代のお姫様

 第一節 転生先は平安時代のお姫様


 そんなこんなで、私はなんと何百年も前の世界に転生してしまったようなのだ。

 それが、時代的にいわゆる「平安時代」なのだろうというのは、衣装・住居・風俗などからの推察結果だ。

 自分の中の知識を総動員した総合的判断として、少なくとも遣唐使は廃止されていて国風文化が成熟した平安中期から末期にかけてだろうと思う。更に、人々の考え方として末法思想の考えは広まっているみたいだから、たぶん平安末期の頃ではないかと推察している。

 でもその推察も、もちょっと最近揺らいできていて、よく分からなくなってしまっている。

 ――だって……私、もしかすると、現実的な「過去」ではない別世界に生まれ変わってしまったんじゃ!? ……と思い始めているのだから。


 ***


 現世(二〇世紀後半)で死亡したのち、しばらくの間、私は、なんだかふわふわとよく分からない空間を彷徨っている状態が続いていた。その間も何か呼び声のようなものを聞いていたような気がした。

 正確には呼ばれているというよりも進路指示というか交通整理というか「そっちに行くな」とか、「まだそこへ行くのは早い」とか、逆に「もう少しそこでおとなしくしてろ」とか、そんなことを言っていた気がする。

 その呼び声が、かくれんぼの最後の「もう、いいよー」的なニュアンスのものに変わったなと思った次の瞬間、はっと目が覚めた。

 目覚めた時、最初に目にしたのは、グリーン系の布の綺麗なグラデーション―ごく薄い萌黄色のオーガーンジーのような布の下から若草色の絹地が透けて見える。焦点が合ってくると、そのお洒落な重ね地は、何か着物のようなものの袖口だということが知れた。

 その袖口から少し視線を上にやり、辺りを見わたせば、社会科資料集や国語便覧の「平安貴族の装束」の頁に掲載されている衣装そのものを纏った人々。

 女性は、皆、いわゆる十二単的な衣装に身を包み、男性の方はえーと何て言ったかな、ああ、そうだ狩衣?かな、資料集に「貴族男性の普段着」というような説明書きで書いてあった方の衣装を身に着けている。

 周囲の人達が「やや、若君! ちい姫様が! 御妹君がついに目を覚まされましたぞ!」と声掛けしており、そしてその若君というのは、まさに私が見た最初の緑色のグラデーション袖の人だ。

と、ここで私自身に目を向ければ、現世で死亡した一八歳時点よりだいぶ幼く、小学校入学したかどうかぐらいの身の丈や手足の長さ。そして私もまた、平安のお姫様が着ているような十二単的なものを着せられている(後にそれは正確には十二単ではなく、幼女のみが着用可な衣装である「細長」と呼ばれるものだったらしいことが知れるのだが)。

 私の小さな身体は先程の緑のグラデーションの大きな袖に埋もれるように抱かれ、その緑に折り重なるように、私自身の袖口から薄紅色から白へのグラデーション配色をした薄絹が溢れている。

 ――うん……、綺麗。綺麗ではあるのだけれど……。

 その状況を認識した私は、少し、否、かなり、焦った。

 一瞬、「どうせタイムスリップするならフリフリドレス着用可な、一七、八世紀のロココ期から十九世紀のヴィクトリア期くらいまでのヨーロッパ世界が良かった!(でも食事や衛生環境はちゃんと現代風というご都合主義設定でお願いします!)」とか「あ! そうだ、その手の世界にタイムスリップするなら、私、絶対プジョーのペッパーミルに満杯の胡椒を持参で行くって決めてたのに!? 胡椒は同じ重さの金と同じ価値なんだから、当座の資金はそれでまかなえるでしょ! プジョーの回転歯車式ペッパーミルもまだないだろうから、良い値でその機構部分の知識も売れそうだし!」とか「あ! でもこれ、タイムスリップじゃなくて、赤ちゃんの身体に生まれ変わった、あるいは乗り移っているみたいだから、何か持って行くっていうのは無理かも!? そもそも、私、死んだ時、掃除のおばちゃんのカッコで手にはモップしか持ってなかったし!」等々、そういうどうでも良いことが、それこそ走馬燈の如く頭の中を駆け巡った。

 そうして、焦りまくり混乱しまくりで、思考が脱線しまくっていた私が何をしたかというと……。

 ばっと飛び起きるようにして立ち上がり、優等生かくあるべきという背筋を伸ばした直立不動の姿勢をとると、その後は、定番の例の古典の一文を暗唱していた。

「っは、……、春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山やまぎは、すこし明あかりて、紫だちたる雲くもの、細くたなびきたる!」

 焦ったので、ちょっと声が裏返ってしまった。

 コホンと一つ咳払いをしたのち、続いて、

「夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ、蛍のおほく飛とびちがひたる。……えーと、この辺りから暗唱するにはちょっとキツイな……大半は覚えているけど一言一句完全には……」

 と夏の段に入り丸暗記の記憶が怪しくなってきたあたりで、パンと何かを叩く音がして、

「……お前な! 倒れたと聞いたから馬を飛ばして来てみれば! ったく、いい加減にしろ!」

 と、怒号を飛ばされた。

 バンという音は、その緑の袖口から伸びて来た握り拳が私の頭を殴り飛ばす音だった。

 ――っ痛い! 平安貴族って、雅で「あなをかし」の世界に生きているって聞いていたのに、案外、NOT雅で暴力的だよ~~!……ゲンコツは真面目に、本気で痛かった。

 その後、その暴力貴族……じゃなくて「お兄さま」は、近くにいた十二単姿の女性たち、この世界の召使い的存在で「女房」と呼ばれる人たちに、二言、三言何か(たぶんきっと、「あいつを甘やかすな」「もっと厳しく躾けろ」的なこと)を言いつけ、再度馬に跨がり帰って行った。

 これも後に少しずつ学習して獲得していった知識や情報からの状況判断なのだが、どうやら私は都ではそれなりに高位の貴族の娘で、しかも正妻の娘らしいのだけれど、何かの事情があって少し田舎の方で育てられていたらしい。

 そして、ここまで自分の過去(というか平安期から見たら二〇世紀は未来?)をはっきりと思い出せるようになったのは、この「春はあけぼの事件」からだけれど、実は、それ以前も、あの呼び声のようなものを聞きながら、薄らと目を開けたり、また閉じたりと、この「私」の魂は、こちらの世界を覗き見ていたのだと思う。思い返してみれば、薄らとだけれど、こちらの世界での幼き姫、「ちい姫様」としての記憶もある。

 例えば、「お母様」にあたる綺麗な女の人の顔。本気で物凄く美人! 平安人は絵巻物に描かれているように下ぶくれ=美女の証、というのはデマだったことが判明! ついでにこの人は血筋も凄い! 元姫宮様、つまり何代か前の天皇の娘というご出身。

 チョビ髭で、ちょっと二〇世紀基準だと絵描きさんなどの芸術家ぽい感じの容貌の「お父様」。割りと偉い人らしく、本名・藤原のなんちゃら様らしいですよ? やはり藤原氏かぁ、という感じですね。この時代の高位貴族として予想に難くない名字。

 身の回りの世話をしてくれるのは、「乳母」と書いて「めのと」と発音する育児担当の女の人と、その下で立ち働く女房たちや、更に更にその下で働く「おはした」と呼ばれる使用人たち。

 あの緑の袖口の若君改めゲンコツ兄貴以外にも兄弟は何人かいるらしく、そういう男の子たちが時々訪ねて来ては一緒に遊んでくれている光景というのも思い浮かぶ。

 そうしたいくつかの記憶イメージが、まるで、薄布を通してみた別世界のことのようにだが、確かに私の中にあった。

 もうこうなると私は一度死んで、そして時間を遡り何百年も前の世界に生まれ変わったいわゆる「転生」をしたという特殊状況に陥ってること自体は受け入れざるを得ない。

 ただ、その転生に際して、私が二〇世紀の現代で得てきた経験や知識というのは、生まれたばかりの赤ちゃんの脳には入りきらない容量なので、器である身体や脳がある一定のところまで育つまで、前世の記憶と私という一八歳の女子高校生の自我は封印されていたのではないかと思う。つまり、あの呼び声ならぬ制止の声は「身体の方が受け入れられるまでもう少し待て」という神様の声だったのではないかな。

 そう考えると、しっくり来た。


 ***


 そんな風に一八歳の現代人の私の記憶は暫く封印されていたらしいのだが、それでもちょろちょろと「漏れて」いたらしく、そのせいで両親たちは困った事態に追いやられていたようで、それがその、私が京の市中ではなく少し離れた場所にて育てられていた「とある事情」というやつらしい。

 まあ、その……端的に言ってしまうと、まだ乳飲み子と呼べるレベルの乳幼児がするには、ちょっとヘンなことを色々とやらかしてしまってたみたいでして……。

 例えば、その「薄布を通してみたような記憶」の映像の中には、一歳ちょっと過ぎくらいの赤ん坊姿の私が、自慢げに何か半紙のようなものを掲げていて、それを見た両親や乳母をはじめとした周囲の大人たちが目をひんむいて驚いてるなんてシーンもある。その半紙には「子曰、吾十有五而志于学」とある。……つまり孔子の論語な訳だ。確かに、そんなまだやっと歩きはじめたくらいの乳幼児が、教えられもしないのに論語の冒頭を書きだしたら、そりゃ問題になるわなあ……(何考えて、そんなことしたんだ、一歳の私!)。

 それで、その後は、先程のゲンコツ兄貴にこめかみの辺りを拳でグリグリやられながら説教食らっているシーン(赤ちゃんに説教って……!)が続き、その更に後には、寝てる小さな私の周りをお坊さんたちが囲んでもうもうと白い煙を炊きながらお経上げてるシーンなーんてものが続いてる。

 ……最後のお坊さん囲みのシーンなんて、たぶん、物の怪がついたとでも思われて僧侶を呼んで調伏されてたんじゃないかな。あまりに発達・発育の早い乳幼児なんて存在は、この時代の考え方では「狐憑き」状態と判断されたんじゃないかと思う。

 そんな「論語事件」を起こした私は、その狐憑き状態があまり人目に付かないようにと、都から少し距離を置いた場所で養育されることになったらしい。

 数えで二歳、満一歳半くらいの時に宇治にいるお祖父様所有の別宅へと移されのだそうだ。

 その宇治の別宅で三年ほど過ごした五歳の頃「春はあけぼの」と共に私の過去の記憶が覚醒。更にその暫く後、讃岐にある荘園に造られた田舎屋敷に居を移すことになった。

 場所がより田舎に移されているのは、まあ、ご想像通り。一〇歳を過ぎた知能発達の良すぎる女児を親が「これは、ちょっと、より人里離れた山奥で育てないとまずいな」と判断したらしいのだ。

 宇治で私の養育責任者となっていたお祖父様自体は「この子は天才だ! 末は博士か大臣か……という訳には、女なのでいかんのが残念だが、絶対にひとかどの人物になるぞ!」と自慢の孫娘と思ってくれていたみたいなんだけどね。

 でも、正直、華やかだけれど格式張った決まり事の多い京の本宅屋敷や、それより少しは自由が利くけれどまだ京風な雅の世界の影響強い宇治の別宅(祖父の監視付き)よりも、自然が多くおおらかな雰囲気の田舎屋敷の方が私の肌に合っていたと思う。親の目の届かない部分はしっかり者の乳母や女房たちが強力タッグを組んでサポートしてくれたし。

 勿論、両親や兄弟に会える機会が少ないのは寂しくはあったけれど、年に何回かはちゃんと会いに来てくれたし、この状況じゃあそれは仕方ないなと諦めるしかなかった。

 それが、私がこの転生先の平安時代で「ちい姫様」として過ごした幼年期の生育環境だった


次回投稿予定:明日 朝8時頃 (基本、毎日投稿です)

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― 新着の感想 ―
ひさしぶりに戻ってきました。覚醒前にちょろちょろ記憶が漏れてるというところが、おもしろいです。
[気になる点] 暴力兄貴はノーサンキュー
[良い点] ちい姫さまの天才事件、慌ててお祓いしてるの可笑しくて笑いました。今はもう慣れたのか?速攻ゲンコツくらわしてくる兄貴、好きです!
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