第十二節 光る君の方違え
R15指定は、一応念のために設定。
(『源氏物語』を取り扱う関係上、恋愛・性愛関係描写が出てきてしまうため)
基本、ドタバタコメディー(時々シリアスあり)です。
※この小説はあくまでフィクションであり、登場する歴史的事件、人物、企業名、大学名などは実在する同名のものとは別存在であるとお考え下さい。
【2023年11月27日連載開始】
第十二節 光る君の方違え
私は、決意新たに、自分の部屋を飛び出した。
この時間なら、師匠はまだ邸内にいるはずだ、行き違いにならないうちに捕まえねばならない。あんな口論をしてしまった以上、今日を逃せば、次に会うのはまた数ヶ月先ということになり兼ねない。
現状、私はノープランな訳だが、とりあえず、この家が安らげないというのが他で遊び歩く理由だと言うなら、どうしたら彼の意に沿うのか、そのリサーチだけでもしておこうと思ったのだ。
私とのお琴レッスン自体は、そんなに嫌がってるようには見えないし(これは単に、本当に琴や音楽が好きなだけかも知れないけれど)、食事についても最初のうちを除けば膳はほぼ毎回完食している(私の目視確認+女房情報)ので、我が家のご飯は気に入ってくれている模様。
あとは部屋の設えとかお道具とか、物理的な快適さに問題があるなら即対処しようと思う。今朝彼に投げつけてしまった「鏡が曇ってるんじゃないの」は、売り言葉に買い言葉の喧嘩常套句なので、本当にそれを贈りつけようとは思わないけれど、えーと、そうだな、なんか、源氏物語でも光源氏の気を引こうとして左大臣が衣冠束帯に付ける帯か何か(石帯って名前だった気がする)のいいやつを贈るってエピソードがあったはずだ。それこそ、先祖伝来の秘蔵の品を我が君に献上致しますって体でね。ただ、ことうちの師匠の場合、その手の豪華な装束系のプレゼントは的を外しまくってる気がするので、父上がそれを既にやったのかやってないのかは不明だけれど、やっちゃってたらかえってマイナスポイントだね。実際源氏物語本編でも、えーとその石帯だったかな?(ってどんな物なのか平安姫である私にもよく分からないんだけど)、それを贈った結果、光る君が三条のお屋敷を気に入るようになったというような展開は一切なかったはずだからね。源氏物語本編でもそのプレゼントは外した、ってことなのだろう。
師匠にその手の心配りをするならさ、たぶん、見た目の豪華さとか先祖伝来の貴重な品とかそういう路線ではなく、もっとシンプルに肌触りの良さとか着心地の良さとか、そういうところな気がするんだよね~。最初に会った時のあの言い分からして、ゴテゴテしたものが嫌いなナチュラル派の気配を感じる。ちょっと讃岐の庄で開発させてみようかなぁ、素材に徹底的に拘った織物を使ったスーパナチュラル狩衣とかね。縫製もさ、この時代にはない考え方だけど立体裁断の発想を入れると腕周りとかすっごい動かしやすくなるんだよね(私の讃岐時代の野良着=宋服がそんな感じ)。そのあたりを「葵の上」が気配りしたりすれば、それはプラスポイントになったりしないのかな、と。今のところ思いつくのはその位ではあるのだけれど。
そうしたまとまらない思いを胸に、勇み足で東北の対の一角へと向かう。
こういう時は先触れの使いなぞは出さない。いきなりの訪問の方が効果的だろう。
形だけの夫婦である私たちは当然のことながら寝所を共にしていない。
ただ、一応、お互いの部屋同士は近くに位置していて行き来に不便がないようになっている。(私は当初、これ、お琴のレッスンがやりやすいようにだと思っていたんだけれど。)
自室を出て、控えの女房たちの部屋の角を曲がれば当該の一角、少年師匠もとい光る君に割り当てられた居住区域だ。
ただ、そこまで来たあたりで、何やらガヤガヤと騒がしい空気が伝わってきた。
光る君付きの家人たちに交じり我が家の女房たちが立ち働いている。
――ん? 何だか、外に行く用意みたいなのをしてない?
そう思っていたところ、探していた人物本人から声がかかる。
「これはこれは、北の方殿。こんなところで何を? ……否、其方がこここに来る用なぞ何もなかろうな。見ての通り、こちらは取り込んでいる。用がないなら、外してもらおうか」
そう問う声は、相変わらず冷たく、不機嫌そのもの。
やはり、先程の口喧嘩がまだ尾を引いているらしい。
「いえ、用というなら、その……、本日のお琴の鍛錬はどうするのかと、そうしたことを伺いに参りました。……あとは、その……先程はこちらも気が高ぶり、随分なことを言ってしまったと思いまして……。私は別にあなたが―光る君が、どこで何をしようが干渉する気はないのだということを言いたくてですね……」
「……また何の気の迷いかは知らぬが、その言い様はやはり気に食わないと言っておろう。但し、昼に言った通り、其方に対し私から六条の件を詳らかにするつもりはない。疾く、お引き取り願おうか。見ての通り、今、こちらは立て込んでいるのだ。琴の手習いの件も、本日は日が悪いらしい。というより、こちらの三条の方角全てが悪いらしい。そう占いに出ていると、家臣らは申しておる。方違えをせよ、だそうだ。」
「……え? 方違え、ですか?」
「そうらしい。宮中を辞するまでは何も言ってこなかった癖に、ここに来て急にだ。本当に煩わしいことだな、まったく……」
平安のお貴族様というのは、実は占いによって色々なことが決められていて、その占いによって方角にも吉兆が予言され、悪いとされた方角に留まることは大変いけないことで、守らなければ大病に罹ったり、仕事で大失敗したりすると信じられているのだ。
そして「方違え」とは、そうした占いで悪い方角で寝泊りしてしまわないように、一時的に別の場所に居を移すことを指す。別の場所に居を移すと言っても、全ての方向に別荘別宅があるわけじゃないから、知り合いの家にその日一日だけ泊めて貰ったりするのだ。それが「普通」の世の中だから、「方違えしなくてはならないので、今日だけ泊まらせて下さい」はよくあることだし、お互い様だと思っているので、都合しあうのが貴族社会というものなのだ。
ただ、こと「源氏物語」において、それも初期の章において、光る君の「方違え」というのはとても特殊で重要な意味合いを持つ出来事なのだ。
私としてはは「まさかそのイベントが今来ているのか!?」と、背筋に冷たいものが走る心地だ。
私は、落ち着け、まずは状況の確認を、と、心で何度か唱えた後、ちょっとばかりそらっとぼけた感じで、続けて問う。
「あ、あの、方違えだというなら、どちらに? 二条の御自宅へ戻られるということですか?」
「いや、あちらも同じく方角が悪いらしい。それ故、家臣たちがほうぼうをあたり探して来たのが、確か先の紀伊の守、否、紀伊の権守だろうか。私もよくは知らぬのだが、何かと特筆すべきことがあるらしく、かなり無理やりそちらへと決められた」
光る君のその返答に、私は背中には、更につっと冷たい汗が流れた。
「え? 紀伊の守か権守っていうと、つまり紀伊の国の受領の……?」
受領というのは、この時代独特の地方官僚システムの一つだ。現代社会で言う都道府県にあたるくらいの大きさにあたる「国」―例えば常陸国、上総国(かずさの国)、越後国(越後の国)、伊予国、紀伊国に赴任して地表行政を行う長官のことを「受領」と呼ぶのが一般的だけれど、時代が下がって平安中期以降くらいになるとトップの国司は任国に直接は赴任せずに都に留まって名前だけ「常陸の守」になるケースが出てくる(宮様や上級貴族が名誉職としてして「○○の守」に任命されたりしてね)。そうなると、その下の次官が事実上のトップとなるわけだけれど、その次官の名称が権守で、通称としては、その国の名前の下に「介」を付けて「紀伊の守」等と呼ばれる。で、この介さんは水戸黄門の助さんとは違って大抵悪役なことが多い。これ介さんに限ったことではなく任国に直接赴任する国守の方もそうなんだけど、とにかく任国に下った「受領」とは在任中、通常の徴税にプラスしていかに自分の取り分を上乗せした形で民衆から搾り取るか、そこが腕の見せ所と言われるからだ。米がよく取れる地域で何年か受領を務めてから京に帰ってくると、その後は結構羽振りの良い暮らしが出来るという話だ。彼の地の民からたっぷり搾り取った血税の上乗せ分によって。
――で、でも、今はそんな平安式悪代官システムの件はどうでも良くって! ええと、源氏物語で方替えで受領のお屋敷に行くというと、やっぱり、あの……。
ちょうど私のその心の疑問に答えるかのように、光る君の従者の一人が口を開く。
「はい、昨年まで紀伊の国の国守をされていた前紀伊の守様のお宅にてございます、御方様。先ごろ、邸内の庭を遣り水などに気を配り涼し気な風情に入れ替えたとかで、若君が涼を取られるにもよろしいかと思いまして。もともと、かなりのヤリ手でいらっしゃるらしく、受領階級にしては羽振りも良く、家来たちへの振る舞い酒もかなりのものが出るともっぱらの噂でして……おっと、失礼を致しました。つい本音が……」
「そこは、出過ぎだ。その出過ぎた本音とやらのために、無理に方違えなどという占いをこじつけたのではないだろうな?」
「い、いえ、そんなことは……! えーと、ないはず、でして……」
少年とその付き人が何やら主従漫才のようなものを繰り広げる中、私はそんなことには構っておられないというほど焦っていた。何故なら……。
――光源氏が「方違え」で「紀伊の守」の屋敷! 確か「あの事件」の現場が、まさに「そう」だったはず! しかもなんか遣り水がどうとか言ってるのも、確か合ってた思うし、うわあ……、どうしよう!
「あの事件」は、源氏物語の中で自分の―葵の上の死とは全く別方面で、非常に困った、言うならば「ヤバイ」事件だ。
もし、それが今夜起こるのだとしたら、私はどうすべきなのか。
「あ、あの! 光る君! 紀伊の守の屋敷というなら、私も是非、ご一緒したく存じます! 遣り水って、滝とか噴水のことですよね? わぁ、楽しみだなあ、きっと綺麗なんだろうなぁ……うふふふ、楽しみ~!」
「は? 何故、其方までもが……。それに、其方、その口調、全く期待なぞしてなかろう。そもそも左大臣家の財力であれば、紀伊の守が成せる程度の園の設え、珍しいことでもあるまい。実際、どちらかの別宅は遣り水の見事な庭を有していると、先ごろ左大臣殿本人から聞いたように思うが?」
「い、いやですね、私、その……、田舎育ちなので、父の持ってる別宅の全て行ったことがあるわけでもなく……。そもそも、別宅って全部、お父様の妾宅や愛人宅だったりするし……、あ、それに、今日みたいな月の美しい日に、そういう風情のあるお庭を背の君と散策するというのも一興だろうなと思いまして! ……あは、あはははははは、きっと楽しいですよ。師匠、理屈っぽいから、噴水の仕組みや構造とか考察しはじめちゃったりして。それに、あと、琴の大好きな師匠におかれましては、その手の庭造りの妙としては、えーと、そうだ『水琴窟』っていうのもあるらしくってですね、今度、うちの三条殿にもそういうの造ってみないかと、そんな相談もしたいかな、と。あは、あははははは」
「……先程から『それに』と、笑いで胡麻化す表現が多すぎる。だいたい本日は朔夜で月は出なかろう。水琴窟というのには、私とて多少の興味は沸くが、それが紀伊の守の邸宅で実現されているわけでもあるまい。相変わらずの挙動不審だな。……其方、何を企んでいる?」
「や、嫌ですわね、光る君、そんな企むだなんて、人聞きの悪い……。えーと、えーと、とにかく、私も紀伊の守の京屋敷と新しい庭というのに興味が沸いたのです! 私は……、その、都一番と評判の姫として、この都の流行の最先端を把握しておかねばならぬのです! それが、雅の道を極めんとするお母様の娘としての、いわば義務なのですよ! そう、母上や父上に、報告しないと! 紀伊の守が権の守として任期中どれだけ在地の人間から搾り取ってきたか、とか。あとは、その……、光る君が好まれる居住環境をお庭方面から考察してですね……!」
「……何を申しておるのか、相変わらず意味不明だな。だが、どうやら其方も我が卜占結果には何か思うところがあるらしい。私にしたところで、占いなどに行動を制されるのはなんとも煩わしい。どうにか言い逃れはできぬものかと思っていたところだ。……良かろう。其方が引っ掻き回せば、確実に場は荒れ、家臣たちも方違えなどせねば良かったという話になる。さすれば信心深き我が家人にも幾ばくか教訓が得られよう」
向こうさんが何をどう納得されたのかは、それこそ「さっぱり」だったけれど(場が荒れるって何!?)、取り敢えず同行許可は降りたようであった。
だが、そこは全てが思い通りという訳ではなく、
「しかし、出立の刻限は迫っている。それに間に合わなくば、其方は後から来るがよい」
と、外出の用意が全くできてないこちら側には「後から追いかけてこい」とすげなく言い渡されてしまったという次第だ。
出発の刻限とか、そういのも全て占いで決まってくるものなので、置いてかれるとしても、それはそれでしょうがないんだけどね!
***
何故、私がこの方違えと紀伊の守の屋敷問題に拘っていたかというと、それはこれらが『源氏物語』の中でもかなりのアバンチュール系の話の話に繋がっていくからだ。
――これって「空蝉事件」だよねえ……! あの、人妻に無理矢理言い寄って不倫する話! 方違え先の屋敷(紀伊の守の館)に偶然逗留中だった人妻が、所謂「中流の女」だからと興味持ち、その女性が夜眠ってるところに忍び込んで、かなり強引に口説き落とすやつ。そしてその不倫相手の人妻は一度はその強引な手口に乗ってしまったものの、その後自分のしてしまったことに後悔深く、二度目の逢瀬では関係を持つことを拒否。光る君の手の中に一枚の薄衣を残し、余韻たっぷりに逃げ出す。その様子が蝉がするりと脱皮する様に似ていることから「空蝉の君」と呼ばれている。
――本当にあるんだよ~、そういう過激な不倫・婦女暴行一歩手前ってエピソードが! あの有名古典の冒頭に!! そしてそういうのが、実際に高校の教材だったり、大学入試頻出問題だったりする訳で!!!(空蝉事件自体は、うちの学校の指定教科書には出てなかったけどね)
ただ、今回、この「空蝉」事件の委細詳細を思い出していたりすると間に合わなくなってしまう可能性があるので、現状光る君の一行様に出来るだけ遅れをとらないように、こちらも外出の準備を整えるしかない。
すぐさま、楓と椿を呼び、必要最低限の支度を指示する。
そして、一方、私は剛速球で各所に文を書きまくった。
お父様、お母様、兄様方、そして紀伊の守本人……。
紀伊の守って職位には、何か聞き覚えがあって、確かウチの兄様たちの誰かが先の除目でその国の守か権守だかの職位を得た気がするのだ。勿論、兄達のような上流貴族のボンボンの場合、その称号は他にもいくつも持っている名誉職の一つにすぎず、実際にはその地に下向せず、それこそ現地には代理人を送る訳なんだけど、そのあたりで何か伝手があるなら使わない手はない。
文の返事が来るまでの間、私は楓と椿を急かして自分の衣装を外行きに相応しいものに替えさせる。
文の返事は予想通り、お母さまからが最初に届いた。
よし、お母さまから外出許可は降りた。ついでに確認したいことも確認出来た。三の兄上が現・紀伊の権守らしい。
お父様への文の返事は遅いに決まっているから(今日も今日とてどこかの愛人宅だろうし)、もともと事後承諾になっても構わない系の確認と念押しの文面だ。
――三の兄上からも来た! 何々「この筋肉に賭け、紀伊の権守は確かに我なり。今日は素振りを千回した。疲れた」……相変わらず意味不明だな~。本当に三兄の頭の中って筋肉で出来てるんじゃ? でもこれで、既にお母様から確認はとれているけれど本人からも再確認がとれた、と。これで何かあったら、うちの三兄の名前を出せばいいよね。私がいきなり尋ねていって先方に不審がられたりしたら「兄の一人が紀伊の国ご縁がありまして」とか何とかこじつければいい。
――二の兄上からは「それは私の下の弟だね。また何を始めようとしているのか知れないけれど、どうか騒ぎを起こさぬように。最近、色々と物騒だと聞く。戸締まりはしっかりと」だって。兄弟の中で一番常識人だけど心配性の二の兄らしい返信だ(でも、その二の兄ですら、私が何かしでかすと決めつけていてるし!)。
――長兄の一兄への文が実は一番重要な確認事項を含んでいるのだけれど、未だお勤めから帰っていないらしく、なかなか返事が来ない!こうしている間にも、ことは起こってしまうかも知れないのに!!!
――ならば、仕方ない、奥の手を使うか!
次回更新予定:明後日(12/8)朝8時頃
(基本、毎日更新ですが、本日明日の分含め2本投稿したため、一日空け、12/8に次話をお届けします)




