第6話
「お断りします」
「まだ何も言ってないよな!?」
職員室に来るなり開口一番に断りの旨を伝えると、頭髪がボサボサで顎髭も剃りきれてない痩せ型の、いかにもダメそうな男は焦ったような態度をとった。
「志保ならまだしもアイまでこの話を知ってたんだ。ろくな話じゃないだろ」
「げっ……ほ、ほら、アイならこの学校の生徒の状況くらい把握してるだろ? 他意はないって」
「今げっ……って言っただろ」
「マジで頼むって! お前にしか頼めないやつだから!」
「本性現しやがったな」
ダメそうな男は訂正しよう。このダメな男はクラスの担任の財前吾郎だ。財前とは昔からの付き合いで、パンデミックの頃はお互い背中を預けた仲だ。
いや、こんな情けない姿を見てしまってはそれも訂正しないといけないかもしれない。
「……ふふふ、そっちがその気ならこっちだって考えがあるぜ」
財前は椅子から降りるとゆっくり、本当にゆっくり膝を曲げ始めた。
「今からギャン泣きして土下座する! 言っておくが俺はすぐには泣き止まないぞ! 他の先生方の目線なんて気にしねぇ!」
「これが大人のやることかよ……」
「大人だからこそ使える手なんだよ! さあ膝をついたぞ! 後は腰を曲げるだけだ!」
既に周り視線が痛い。俺もおっさんのガチ泣きなんて見たくない。
「はぁ…….とりあえず話だけだぞ」
「お! 流石隊長、話が分かる!」
「……俺はここの学校の生徒でお前はここの先生だろ」
「あっ……そうだな、悪い。昔の癖で」
「分かってる。で、なんの話なんだ」
財前は机に置かれた紙を1枚取ると俺に向けて話し始めた。
「お前のクラス、1つ空いてる席があるだろ?」
「ある……ような?」
「あるんだよ。いわゆる不登校ってやつだ」
「今どき珍しくないだろ。パンデミックで心傷してるのは人間も克服者も同じだ」
「まあ、そうことだ。それでこのプリントを彼女の家まで届けて欲しいってワケ。ほら、お前の大好きな日常イベントだろ?」
こいつは今の話を風邪で休んだ子にプリントを届ける。みたいなものと混同しているのか?
そもそも、あれ自体も物語の中の話だけだろうに。
「"彼女"って女の子かよ。なんで俺なんだ? クラス委員や日直。他に適任があるだろ」
「彼女は克服者なんだ」
まだパンデミック収束から1年しか経っていない。差別とまではいかないが、自分から克服者に関わろうと思う一般人はあまりいない。
「それで俺が適任ってわけか」
「そういうこと。な、頼むよ」
「まあ、それくらいだったら」
「よし決まりありがとう! あ、プリントは必ず手渡しで渡してな。絶対だぞ」
「は? なんで?」
「顔色を見て健康状態を確かめて欲しいんだ」
克服者はphaseにもよるが身体が丈夫であっても不死ではない。怪我だってするし、風邪だって引く。塞ぎ込んだ克服者が家から出ずに孤独死したなんて話もよく聞く。
「家は閉まってて最悪居留守されるかもだけど…….お前ならなんとかなるだろ」
「なんとかは出来ても犯罪だろ」
「多少は大丈夫! 担任の先生権限的なやつだ!」
「先生はそこまで万能じゃねえ」
「じゃあよろしくー」
俺が断らないのが分かった途端、適当になってきたな。まあ、克服者なら仕方ないと俺も思ってしまし、俺の性格をよく分かってる財前なら話せば分かると考えていたのだろう。
俺は財前にその不登校児の住所を聞くと、職員室を後にした。
「…………」
今の財前の話には一部嘘がある。
同じクラスだから俺に頼んだ。そこがおかしい。ただプリントを届けるだけなら、今の時代クラスを重視するより克服者である点を重視すべきだ。それなら俺よりアイが適任だろう。アイの性格上断る訳もない。
そしてなりより周りの先生たちの反応だ。
財前の土下座で動揺はあっても本題自体には普段と変わらない様子で聞き流していた。
アイが知っているほどの内容を、いや、アイが知っているからこそ、この学校の先生では知ることを許されない案件であると推測できる。
今思えばアイが仄めかしたのも俺にこの推測をさせるためだろう。もう財前を問い詰めてやろうかと思ったが──
「おっさんに泣き付かれるのはな……」
今思えば財前が最初に土下座したのも……いや、それはないか。