第五話 「契約」
「俺の、時間……?」
御土はウィンの言っていることがよくわからず、眉間に皺を寄せた。
「そ。僕らが欲しいのは、君の時間さ。それが時間を創る代償だよ」
相変わらずウィンは天使のような微笑みを浮かべ、御土を見つめる。
だがそれに対して御土は、やはり言っていることが分からないのか、ポカンとした表情だ。
「アウレリウス。悪いけど僕の代わりに説明してやってくれるかい?」
「了解しました」
ウィンに説明するよう促され、今までドアの前にいたアウレリウスは、ウィンの座っているソファーの後ろまで歩いてきた。
それでもソファーに座らないところから、ウィンとアウレリウスの上下関係が窺える。
「それでは代償について説明致します」
相変わらずの淡々とした口調でアウレリウスは話し始めた。
無表情のせいか、本人にはその気はないのだろうけれども、若干御土を睨みつけているように見えてしまう。
(俺、この人苦手かもな……)
その視線に耐えられず、一瞬御土は目を逸らしてしまう。
今、御土の体は恐怖と不安とでガチガチになっていた。
けれどもアウレリウスはそんな御土をお構いなしに口を開いた。
「私達がお客様に時間を創って差し上げることの代償は、そのお客様の時間を頂くことです。例えば、御土様の場合、ご注文内容は『8日前に時間を戻す』というものです。では、どうやって御土様を8日前に戻して差し上げるのかと申しますと、既に御土様には今まで過ごしてきた8日間、というものがございます。その8日間とは別に私達が8日間分の時間を創り、既に御土様が過ごしてきた8日間と入れ替える、という仕組みなのです」
「つまり君が遊んで過ごした8日間の代わりに僕らが8日間分の時間を創ってあげる、ってわけ」
『遊んで過ごした』をやけに強調してウィンはアウレリウスの説明を要約する。
またしても歪んだ微笑みをしたウィンを御土は睨みつけた。
「私達が言う“代償”というのは、その既に御土様が過ごされた8日間のことを言っているのです」
アウレリウスはそう言い終えると、もう説明は終わりと言わんばかりに再びドアの方へと歩いていった。
そして先程と同じように無表情でどこかを見つめている。
(そういえば、この人がこんなに話してるの聞いたの、俺初めてだ)
御土はこんな時にも関わらず、そんなことを思った。
気がつくとアウレリウスを無言でじっと見つめてしまっていたのか、痺れを切らしたウィンが口を開く。
「僕らの言ってること、分かったのかい?」
アウレリウスをじっと見つめていた御土はハッと顔をウィンの方へ戻し、咄嗟に頷いた。
「で、君はそれでいいのかい?」
体を乗り出し、先程よりも真面目な顔になってウィンは御土へ問うた。
初めて見た、その真剣な表情に御土は不安になる。
(代償って、過去をこいつらにやるってことだろ?)
金を払わなくて済むし、何より過去なんて今更どうしようもないものなのに、何をそんなに真剣になるのだろうか。
御土は言いようのない不安に駆られる。
「本当に、いいんだね?」
そうやって改めて聞かれると、すんなりと頷けなくなる。
御土はその不安を抑えきれなくなり、口に出して質問した。
「何でそんなに何回も聞いてくるんだよ」
言葉面は強気だが、声音には御土のその不安が滲み出ていた。
「いいかい、過去を代償にするってことは、もう君は同じ過去を繰り返すことはできないんだ。決してね」
「過去なんてそもそも繰り返すもんじゃねーだろうが」
「代償となった過去は思い出すこともできなくなる。そして当然、その過去の先にある現在も変わってくるんだ」
御土の突っ込みは無視され、あくまでウィンは真剣に続けた。
「どんなに頑張っても、同じ様に過ごすことはできないんだよ」
そう言うと、ウィンは御土の返事を待つかのように口を閉ざす。
その言葉を聞いて、御土の体から力が抜けた。
「それだったら寧ろ好都合だっつーの。同じように遊んじまったら折角戻っても意味ないしな」
そう言って口の片端を上げ、ウィンの歪んだ笑みを真似てみる。
それを見たウィンも同じように笑い、背もたれに体を預けた。
「じゃあ契約成立だね。ってことで悪いけどこの契約書にサインしてくれないかい?」
一体どこから出してきたのか、ウィンがそう言うと同時にアウレリウスが御土へと一枚の紙を差しだした。
差し出された紙に目を落とすと、何やらおかしな文字がびっしりと並べられている。
「そこにサインしてね」
そう言ってウィンは紙の一番下、おかしな文字でびっしりと埋まっている紙に唯一あるスペースを指差した。
そこには下線が引いてあり、その右側には判を押すスペースが取られている。
御土は促されるままに、そこに名前を書いた。
「達筆だね」
そう言ってまたしてもウィンはあの歪んだ笑みを顔に浮かべる。
自覚はしていてもやはり口に出されると神経に触るらしく、御土は思いっきりウィンを睨みつけた。
「で、判はどうすりゃいいんだよ」
不機嫌さ丸出しの口調で御土は聞いた。
「ああ、それなら問題ないよ。アウレリウス、彼の判を押してあげて」
そう言われてアウレリウスは御土の手をとった。
その突然の行動に御土は戸惑う。
「な、何すんだよ!」
それでもそんな御土の言葉はお構いなしでアウレリウスは何かを取り出し、それを御土の指へと走らせた。
「痛っ……」
突如、指に感じた痛み。
それはチクリとした小さなものだったけれど、明らかに何か傷を負ったことが分かった。
「一体何を」
したんだ、と御土が言い終わる前に、アウレリウスはその痛みが走る指を例の契約書へと運んだ。
そしてその指を例の判を押すスペースに押し付ける。
やっと指を解放され慌てて手を引っ込めると、指が押し付けられた場所には真っ赤な指紋が付いていた。
指へ目をやると、小さな傷口から赤い液体が滲んでいる。
瞬時に何をされたのか悟った御土は、アウレリウスを睨みつけた。
「何しやがる!」
「判を押しました」
けれども、御土の怒りの形相を物とも言わず、アウレリウスはしれっと一言だけ言った。
その態度に頭にきた御土はまた文句をいいかけたが、
「あ、れ……?」
突如体を襲った脱力感と倦怠感。
そして激しい眩暈にも襲われ、御土の視界は闇に包まれていった。