第四話 「商品内容」
再び訪れた静寂。
暫くの間、御土とウィンは見つめ合っていた。
すると、今度は先にウィンの方が視線を逸らした。
先程アウレリウスに運ばれた紅茶に慣れた手つきで砂糖を入れる。
その姿はとても優雅で、今のこの緊迫した状況には不釣り合いだった。
ちなみに御土の方はと言えば、そんなウィンの優雅な姿をなにも言わずじっと見つめている。
緊張からなのか、額には汗が滲んでいた。
その顔は険しく、ただ先程と違うのは、その険しさの中に不安が見え隠れしていることだろうか。
若干見つめるというよりは睨みつけるような目つきだが、やはりその不安は隠しきれないらしい。
だがウィンの方はというと、まるで御土が目の前にいないかのように、焦ることなくゆっくりと紅茶を掻き混ぜている。
勿論指先まで神経が尖らせられた優雅な手つきで。
紅茶を掻き混ぜ終わると、ウィンはゆっくりとカップを口元へ運んでいく。
少しも音をたてることなく、一口紅茶を喉へ通すと、またゆっくりとカップを元へもどした。
その一連の動作はまるで流れるようで、ウィンの育ちがいいことが容易に推測できる。
カップを戻し、一息つくと、ウィンはやっと口を開いた。
「で、具体的には何のチャンスをやればいいんだい?」
今までの投槍な口調ではなく、ゆっくりとした、威厳が感じられる口調。
その話し方に、ウィンの雰囲気が今までのものとは打って変わって、「時間屋の店長」となっていくのが分かる。
御土は少しまた躊躇ったが、先程よりは落ち着いて口を開いた。
「8日前に戻して欲しい」
「何故だい?」
「実は今日と昨日、俺の高校は中間テストだったんだ」
「それで?」
「つまり8日前はテスト初日の一週間前だったってことだ。俺が言いたいのは、もう一度俺に、テストを受けるチャンスを与えてほしいんだ」
「成程。でも君にはもう既にもう一度テストを受けるチャンスがあるんじゃないのかい?」
そう言って、ウィンは口の端を上げた。
先程の天使のような微笑みとは打って変わって、歪んだ笑み。
はじめ、御土は言われたことがよく分からなかったけれど、すぐに察したのか顔を真っ赤にした。
「な、なんでお前がそれを知ってんだよ!」
「だってそうでもなけりゃ、テストをもう一度受けたいなんて思わないでしょ?ただでさえ一回受けるだけでも嫌なのに、もう一回だなんてね。そう考えれば、もう一度テストを受け直したい理由が自ずと浮かんでくるってわけさ」
「でも、もしかしたら只単にいつもよりも成績が悪くて受けたいって言ってるだけかもしんないじゃねーか!」
「君に限ってそれはないでしょ。僕の人を見る目を甘くみないでほしいね。君はそんなに勉強熱心じゃないでしょ?」
図星を刺され、御土は口籠る。
少し、ウィンの澄んだブルーの瞳が怖くなった。
「で、僕達が何もしなくてももう一回受けられるのに時間を戻したいのは何でだい?」
「もう分かってんだろ」
「まあ一応商売っていうのはお客様からきちんと注文を受け付けなきゃならないからさ。君が言ってくれないと先へ進めないんだよ」
その言葉を聞いて、
(商売って難しいんだな)
と御土はしみじみと思った。
「で?理由をどーぞ」
「まあ分かってると思うけど、俺はさっきお前が言ったみたいに、テストをもう一回受けたいっていうか、テストをもう一度受け直したいんだ。俺いつも思うんだよな、テスト終わった後でさ。『もっと勉強しときゃよかった』ってな。まあ誰だって一度はそう思ったことあるんじゃねーの?いつも点数いいやつがいたら別だけどさ。で、今願ってもないチャンスが目の前に転がってるわけだ。飛びつかねーわけがねーだろ」
(それに、その方が成績上がるしな)
そっと心の中で付け足した。
それを黙って聞いていたウィンはやはり分かっていたのだろう、特に驚くでもなくすんなりと口を開いた。
「まあ、そんなことだろうとは思ったよ。それに、その方がこのまま僕らが何もしないでテストをもう一回受けるより成績上がるしね」
そう言ってウィンはまた歪んだ笑みをした。
どうやらウィンには何もかもがお見通しのようだ。
まるで御土の心の中まで読んでいるのではないかと思わせる位、図星をついてくる。
「うん。まあ君の頼み……お客様の注文は分かったよ。8日前に戻せば、今度こそ君はきちんと勉強をするんだね」
今度こそ、を強調してウィンはそう言った。
その言い方が少し気になったが、御土は頷く。
「はいはーい。じゃあ早速8日前に君を戻してあげよう」
そう言って今度は綺麗に微笑んだ。
今すぐ戻されるのかと体を強張らせた、がしかし。
「ご主人様。まだ言い忘れていることがございます」
そこで今までずっと口を閉ざしていたアウレリウスが口を開いた。
「代償を」
そう短く言うと、再びアウレリウスは口を噤んでしまった。
(代、償……?)
代金、の間違いではないだろうか。
あまりにも突飛なものを生業としているとはいえ商売は商売だ。
きちんと金は払うつもりでいた。
だが、今のアウレリウスの代償、という言い方が気になる。
御土の首を汗が伝った。
「ああ! そうだすっかり忘れていたよ!」
だが何か思い当たることがあるのか、御土の緊張などお構いなしでウィンは明るい声をあげた。
その話し方から言ってアウレリウスが言うほど大変なものではないのだろうか。
御土の緊張が少し和らぐ。
「そうだったね! これを言い忘れたら大変だった! 悪徳業者にはなりたくないんでね、ちゃんと説明するよ」
そう言ってウィンは満面の笑みを御土へと向ける。
「時間屋、と言っても商売は商売。ちゃんと代償は払ってもらわなきゃいけないんだ」
ウィンも代償、という言葉を使った。
どうやら先程のアウレリウスの言葉は間違いではないらしい。
それでも恐る恐る希望を込めて訊いてみた。
「代金、の間違いじゃないのか」
「ん? お金? いやあ、そんなものは僕らはいらないよ!」
では一体何を払えばいいのだというのか。
御土の頭の中には何故かおぞましい顔をした悪魔が思い浮かぶ。
まさか……
「魂、とか……」
「へ? いやいやいやいや! そんなもの受け取れないよ! 第一どうやって受け取ればいいのさ!」
そう言って、もう隠せない恐怖を露にした僕を見てウィンは笑った。
「そんな大それたものいらないさ! 貰ったってどうしようもないしね。君、僕らを悪魔か何かと勘違いしてない?」
またもや図星を突かれる。
図星を突かれた御土の顔を見て、ウィンはとうとう腹を抱えて笑い出した。
そんなウィンを御土はあっけにとられて見つめる。
一通り笑い転げたあと、乱れた呼吸を整えて、ウィンは御土へ向き直った。
「僕らが欲しいのは君の魂なんかじゃないよ」
「じゃあ、一体何が」
「僕らが欲しいのは、君の時間さ」