第二話 「ご主人様」
屋敷の外はあんなにも荒れに荒れていたにも関わらず、屋敷の中は見違えるほど綺麗だった。
「やっぱでかいな……」
「ご主人様自らが厳選した屋敷ですから。デザイン、快適さ等共に優れたものとなっております」
彼が驚きで声を漏らすと、男は前を向いて歩いたまま、そう答えた。
彼は予想外の綺麗さに興味津津で、先程から屋敷の中をキョロキョロと見まわしている。
(確かにすごい綺麗だ……)
男が言ったとおり、屋敷の中にあるもの全て、驚くほど綺麗なものだった。
屋敷のところどころにある置物は当然の如く、さり気なく施された装飾一つでさえ見るものすべてを引き込んでしまう程繊細で、莫大な金がかけられているのが分かる。
また、階段の手すり一つをとっても、外とは打って変わってよく手入れされているらしく、まるで鏡のように屋敷の中をその光沢に映していた。
「……それにしてもやけに静かだな。この店の主人とやら以外、誰もいないのか?」
「ええ。私とご主人様以外誰も住んでおりません」
相変わらず後ろを振り返らず、前を向いたまま淡々と男は答えた。
淡々と答えているにも関わらず、その声は凛としており、それを聞いていた彼もつい、聞き入ってしまっていた。
それに合わせて、キョロキョロと忙しなく動いていた首が、男の方に定まる。
(この人、執事かなんかか?)
男は外見からすると20代前半だろうか。
顔だけを見ると結構若く見えるのだが、男が放つ独特の雰囲気と、見事に着こなすタキシードで、大人びた感じを漂わせている。
その鼻梁はスラっと通っており、透明感ある切れ長の瞳は屋敷の奥をまっすぐに見つめている。
とても男のものとは思えないその肌は白く、あまり外出していないことが容易に感じ取れる。
またその髪は闇を思わせる黒で、どこか艶めいていた。
その漆黒の髪も相まって、その肌の白さを際立たせているのかもしれない。
とても整った顔立ちで、それこそ微笑んでみせればそこら中の女達が寄ってくるだろうに、この男はかつてないほど無表情だった。
「……何か?」
彼がじっと見つめていたせいか、男が彼の方を向いていた。
「あ、いや、何でもない」
彼は慌ててそう取り繕って微笑んでみせた。
「……そうですか。何かありましたらすぐ言って下さい」
そう言って男は再び前を見据えて歩き出した。
歩きだしてすぐ、男はある一つの部屋の前で歩みを止めた。
「着きました。ここがご主人様の部屋です」
案内された部屋は屋敷の奥の奥、他の部屋の扉とは違い両手開きの扉の部屋だった。
「ご主人様。お客様をお連れ致しました。失礼します。……それではお客様。どうぞ中へお入り下さい」
そう言って男がその扉を音もなく、ゆっくりと開いた。
「え?」
男に言われるまま、開かれた扉から部屋へと足を踏み入れたはいいものの、彼はすぐ異変に気づいた。その部屋は真っ暗だったのだ。
「えーっと、あの、真っ暗で何も見えないんだけど……ってええ!?」
彼は振り返って男に電気を点けてもらえるように頼もうとしたが、いつの間にやら扉は閉められており、男は消えていた。
「え!? ちょっと待てよ! 暗くて何も見えないんだって! おい! 電気どこだよ!?」
何も反応がない。
それどころか手探りで掴んだドアノブを回しても、扉はびくともしない。
「おい! 一体どういうつもりだ!」
もう形振り構わず助けを求めている。
もういっそのことドアを蹴り破ってやろうかと思い距離をとった、その時だった。
クスクスクス……
今まで人気が無かった部屋の奥から忍び笑う声が聞こえた。
「……誰かいんのか?」
こんな暗い部屋の中である。
誰もいないと思っていたが、どうやらそれは違うようだ。
クスクスクス……
次第に笑い声は大きくなっている。
「おい! 誰かいるんだったら電気点けろ! 暗くて何も見えやしねえ!」
クスクスクス……
「おい! 聞いてんのか! 電気点けろって言ってんだよ! …………もういい!」
やっぱり蹴り破ってやろう。
そう思って再び扉へと向き直った。
助走をつけて一気に蹴る!
そう思って走りだし、扉を蹴りつけようとしたその瞬間。
「ご主人様。失礼します」
不意に扉が開き、そこから先程の男が突然入ってきた。
「うお!?」
走りした勢いを急に止めることはできず、男を蹴るまいとなんとか蹴りだした足はひっこめたものの慣性の法則に流されるまま扉に突っ込んでしまった。
ちなみに入ってきた男はというと、彼の努力は何だったのか、見事なまでに彼を避けていた。
バランスを崩したため頭から扉にぶつかり盛大な音をたてたが、当の扉はというとびくともしていない。
「――――……っ! いってえ!」
涙を浮かべながら後ろを振り返ると、男が灯りを点けてくれたのか真っ暗だった部屋が明るくなっていた。
「大丈夫ですか?」
男が屈んでそう聞いた。
「…………」
扉に突っ込んだ自分も悪いのだが、受け止めることもせず避けたことも苛ついたので無言で抗議してみる。
が、男はそれをイエスととったのか、ゆっくりと立ちあがり、部屋の奥の方を振り返った。
「ご主人様。お遊びが過ぎます。お客様なんですからきちんと応対して下さい」
そう言ってある一点を男は見つめていた。
「ご、主人、様……?」
男の視線の先を見ると、部屋の奥にあるソファーに一人の男が腰かけていた。
その顔に如何にも楽しそうな笑みを湛えて。
そして、その男はあろうことかこう言ったのである。
「いらっしゃいませ。どのような時間をお望みですか?」