教訓、十五。遠慮深さは、自信のなさの表れの場合がある。 2
2025/05/16 改
温かい時間だ。そんな隊員達の側で机に座り、書類や日誌などを確認していたベイルは、はぁっとため息をついた。
「おい、ウィット、ちょっと来い。これ、だめだろ。」
そう言って、彼が提出した報告書を差し出した。机の上に置いて見やすいように向きを変え、駄目な部分を指で指し示した。
「このくだり。『雉が火事で焼け出されて出てきていたので、あれを捕まえ、丸焼きにして食ったら旨そうだった。』これじゃあ、日記だろうが。隊長にもいつも、注意されているだろう。書き直しさせられるから、今のうちから書き直しておけ。」
「…嫌です。だって、雉が出てきたから、旨そうだと思って、それで他のことも覚えていられるのであって、雉のことを書かなかったら忘れます。」
ウイットの言い分にベイルは、ため息をついた。何回か説得しようとしたが、言うことを聞かなかったのでとうとう諦めた。
「知らないぞ。後で書き取りの練習もさせられるな。間違いだらけだ。そういえばウイット、お前…最近、任務にかこつけて字の練習をしてないだろう。スーガ、お前もウィットが言わないことをいいことに、サボってたな?」
「分かりましたよ、副隊長。やりますって。ほら、ウィット、辞書を出せ。」
指導役のモナがウイットに言うと、彼は胸を張って答えた。
「持ってきてない。」
一瞬、モナとベイルの顔が固まった。
「はぁ! 馬鹿じゃねえの、お前。なんで持ってきてねぇんだよ。せっかく隊長がお前に買ってくれたってのに…!」
「だって、必要最低限の荷物を持てって言われたから。」
「お前にとって辞書は、必要最低限必要な荷物だろうが…!」
「何を言ってるんだ、これでも俺は学科試験をちゃんと通ったんだぞ…!」
「あぁ、ほんと、それが解せねぇ。なんで、お前が学科試験をビリっけつでなく通ったのか、摩訶不思議だっていうの! やっぱり、前後の誰かと間違われたんじゃねえのか…?」
「それに、俺は馬術試験は一番だったんだからな…!」
「あぁ、はいはい。だけど、馬術試験はおまけの試験みたいなもんだからな。あんまり自慢はできねぇぞ。」
「お前、自分が頭良いからって、馬鹿にするな…!」
「何言ってんだ、馬鹿だな。俺より頭良い奴なんかごまんといるんだぞ…! 面倒な仕事はそいつらに任せ、適当にできる中間くらいにいるのが一番、楽なんだ。頭がいいって自慢して何になる? 余計な仕事が増えるだけだ…!」
「…二人ともいい加減にしろよ。」
頃合いをみてベイルが仲裁に入る。
「もう…しょうがねえな。俺が適当に問題を作るか。じゃあ、お前が食いたがってた『雉の丸焼きは旨い。』って書け。」
「……分かった、しょうがないな。」
「お前が言うことじゃないだろ。」
呆れたようにモナは言って、ため息をついた。親衛隊用に用意して貰っている部屋なので、ウィットは特別にいくつか置かれている机と椅子に座った。結構、書き物仕事が多いので必要なのだ。シーク一人の部屋ではなく、みんなの部屋のうちの一つだった。もう一つ隣に部屋がある。
「書いたぞ。」
「……どうやって、“虹”を丸焼きにして食うんだよ。」
そんなやり取りを見ているのは、グイニスにとって面白かった。
「若様、楽しいですか?」
フォーリが聞いてきた。
「うん。だって、私には友達がいないから。だから、従兄上とばかり遊んでた。」
グイニスは言って、フォーリと一緒に振り返った。
「おや、ようやくお目覚めですか?」
「少し前から目覚めていましたが、動いたらいけないと思い、じっとしていました。」
ベリー医師とシークの会話に、グイニスはへぇ、と思う。フォーリが起きた気配に気が付かなかったなんて、あんまりないことだ。
「先生、その治療が終わったら、起きて仕事をしてもいいですか? 事務作業が溜まりに溜まっているので。」
「仕方ないですね。いいですよ。でも、制服は着ないで下さい。あなたのことですから、制服に腕を通すと完全に他の仕事も始めるでしょう? ですから、寝間着に上着だけ着て下さい。」
「分かりました。とりあえず、事務作業だけします。」
シークは言うなり、ベイルを呼んだ。
「その、報告書を持ってこい。」
隊長が起きたことで、その場の空気が途端にぴりっと引き締まった様子に変化した。
「さっそく仕事ですか。仕方ないですね。」
「申し訳ありません。ですが、気になる話が聞こえていたもので。」
言いながらうつ伏せの状態で、背中はベリー医師に治療して貰いながら報告書に目を通し始める。
「ウィット。」
名前を呼ばれただけで、“虹”の丸焼きは旨いと書いていたウィットが立ち上がって、隊長の前まで行った。フォーリに対しても強気だったウィットが、シークの前では少し緊張気味なのが面白い。
「……はい。」
「お前、これは明らかに駄目だろう。しかも、紙面全体を使ってこれだけか? 全部書き直し。」
「…はい。」
「もちろん、雉の丸焼きの話はいらない。」
「…でも。」
「リタ族が印象に残った出来事で、いろいろなことを暗記していることは知っている。それでも注意するのは、他の人にはお前が暗記した他の情報は伝わらないからだ。お前一人が暗記していることを書かないと、他の人には伝わらない。分かるか?」
ウィットは首を捻っている。
「…それで、雉の丸焼きでお前は何を思い出すんだ? 他に何を見た?」
「街道脇の木々や草が燃え、燃えやすい木が生えている箇所は特に壁のように炎が迫り、昼間のように街道が明るく照らし出される。火の粉が舞い、熱風が街道を駆け抜け、取り残された馬車の客車を燃やし、炎の竜巻が渦巻き、一度、森に入って消えた瞬間に馬と仲間達と共に隙間を縫って走り抜けた。」
抑揚をつけて歌うようにウイットは答えた。報告書のことをよく分からないグイニスでさえ、今の方を書いた方が良いということは分かる。
ベイルや他の隊員達も、なんでそれを書かないんだ、という表情をしている。隊長のシークは、あぁ…まだ分かってなかったか…という感じだ。
「…そっちの方を書け。前から言ってるだろう? 覚えるきっかけの方を書くんじゃなく、覚えた内容の方を書け。」
「…でも、隊長、覚えるきっかけの方を書いておけば、後で思い出す時に役に立ちます。」
「うん。それは、お前の日記に書け。こっちは雉の丸焼きの話を読んでも、お前が目撃した火事の状況は全く分からない。」
「…ああ、そっか。」
ようやく納得して理解したらしいウィットは、分かりましたと言って、報告書を受け取り机に戻った。
隊長って大変なんだな、とグイニスは感心して見ていた。
「それと、スーガ、お前も全部書き直し。」
「えぇ、なんでですか! ちゃんと書きましたよ…! 四枚も書いたのに…!」
「おまえ、大事な部分を何カ所か端折っただろ。辻褄を合わせてあるが、ちゃんと書け。お前がこれしか気が付かないというのは、あり得ないだろう。六枚でも七枚でもいいから、全部書け。」
はい、とモナは仕方なく報告書を受け取った。
「…結局、お前も書き直しだな。」
「お前と理由が違うだろ。一緒にすんな。」
ウィットとモナは小声でやり合う。
シークは他の報告書に目を通すと、ベリー医師の許可が出たので、起き上がって寝間着を直そうとし、グイニスとフォーリに気が付いてびっくりした。
「若様…! いらっしゃたのですか?」
「うん。」
「一体、いつからですか?」
あまりの慌てように、思わずくすりと笑ってしまった。
「結構、前からだよ。みんながレルスリと話をした後、みんなと来た。先生が診察して治療している間、ずっと見てた。」
「起こして下されば良かったのに。」
「先生が診察と治療が先だって。」
カートン家の医師らしい判断に、シークは言葉を失った。失っていても顔をしかめて痛みを我慢しながら、とりあえず寝間着は急いで直している。
意外に筋肉隆々で腕が丸太のように太い、という訳でもなかった。余分な筋肉はついていないようだ。そういえば、シェリアがいつも鍛えていて引き締まっているから、国王軍の兵士でもいい、ということを言っていたが、確かに彼の肉体は引き締まっている。
フォーリも均整の取れた肉体をしていて、かっこいいと常々思っていた。シークも同じでフォーリと比べてもいい線をいっていると思う。
リタ族も村で一番、強い戦士は意外に細身だったりして、必ずしも外見的に強そうな人が強い訳でもないことを知っていた。