教訓、十三。周到な罠に気をつけよ。 6
2025/04/27 改
煙がこちらまで降りてきている。暗がりと煙が流れている中、松明の火だけで進む。どこかでパチパチ…という音がしている。大混乱の後の静かな気配の中、馬の進む足音とパチパチと爆ぜる音が聞こえて否応なしに緊張が増す。
「みんな、手ぬぐいで顔を覆え。」
シークは命じた。煙の臭いが濃厚になってきた。もちろん、若様の顔も覆う。シークのマントの中に隠れているが必要だ。なんとかなだめすかして、固まっている若様をマントの中から出し、ベリー医師から受け取った布で鼻と口を覆った。優しく頭を撫でてからマントに隠すと、銅鑼のような音を聞いてから固まっていた体が少し、ほぐれたようだ。
フォーリはなんと大変なことをしているのだろう。子守に慣れていなければ、とてもじゃないが対応できない。
若様の顔を覆ったので、シークは自分も手ぬぐいで顔を覆った。
「待て。」
フォーリが止まった。馬上で鉄扇を抜く。静かに暗がりの前方に向かう。フォーリが鉄扇を抜いたので、全員がすぐに戦闘態勢に入る。
「何者だ?」
フォーリが猛獣でも唸るような声で、向こう側に尋ねる。暗がりの向こうに、人がいるのも確認できない。しかし、ニピ族が警戒している。ピン、と緊張で空気が張り詰める。
「!」
「下がって伏せろ!」
シークが叫んだのと、フォーリが鉄扇を開いて馬上でニピの踊り…舞を始めたのは同時だった。ヒュ、ヒュ、ヒュウと矢が飛んでくる。矢が放たれる寸前に弓弦の音が聞こえたのだ。
部下達が下がりながら剣で矢を弾いている。シークは今、剣を抜けない。若様を抱きかかえている状態だからだ。剣を抜けなくはないが、何かあった時、手放さなくてはならず、間違えば若様に怪我をさせてしまう。こういう状態になって初めて、ニピ族が鉄扇を武器に使っている理由が分かった気がした。
「!」
後ろから剣戟の音がして、シークは振り返った。
前からも後ろからも敵が来ている。
「ベリー先生、こっちへ。」
ベリー医師を促した。さすがに剣戟に気を取られていて、シークの声にはっとして気が付いた。
「フォーリ…!」
前方にいるフォーリに声だけかけると、馬首を返した。森に逃げるしかない。二人は急いで森の木々の間に逃げ込んだ。暗がりで煙によって見えにくいのは、相手も同じだ。二人は松明を持っていないため、少し離れただけで途端に辺りは暗くなる。
本当は部下にも声をかけたかったが、そんな暇はなかった。それに、下手に声をかければ、敵に居場所を知らせることにもなる。必要最低限のベリー医師とフォーリにだけ、声をかけたのだ。
暗がりの中を進んでいくと、後ろから近づいてくる気配がする。そろそろ、馬で進むのは無理かもしれない。
「ベイルか?」
誰か確かめるため、わざとそう聞いてみた。
「……はい、そうです。」
一瞬の間があった。ベリー医師とシークがすかさず武器を手に取ろうとした瞬間、暗がりの向こうでドサッと何かが落ちる音がした。おそらく落馬したのだ。
「もう、馬で進むのは無理だ。」
フォーリだった。ベイルのフリをした敵を殺したか、気絶させたのだ。馬を引いて歩いている。
「そうだな。助かった。」
ベリー医師もシークも馬を下りた。暗がりで馬に乗るのは危険だ。足下がよく見えないだけでなく、枝に頭や体をぶつけることもある。ぶつけるで済めばいいが、気絶したりしたら最悪だ。
シークはしがみついている若様を抱え直した。
「ちょっとお待ちを。」
ベリー医師は言って、荷物の中をごそごそしていたが、手探りで何かを見つけて取り出した。なんとなくの気配でどこにいるかは、分かる。だんだん目が暗がりに慣れてきたのもあった。ベリー医師はおんぶ紐になるものを取り出したのだ。それを使って若様の体を固定する。かなり、腕が楽になった。
以前、フォーリの肩が丈夫だと驚いたが、丈夫なのはこれで日々鍛えているからかもしれない。
「先生、ありがとうございます。これで、いざという時、剣を抜けます。」
「お礼はいいですよ。若様を確実に守って下さい。」
相変わらずベリー医師は手厳しい。
三人は静かに道路脇の森の中を進んだ。剣戟の音が止んだので、敵を捕らえるか、敵が逃げたかしたらしい。
フォーリが手を挙げたので、残る二人は立ち止まる。静かにしていると、ガサガサして何者かが近づいている。もし、シークの隊員なら笛を鳴らす。だが、笛を鳴らさない。
フォーリはわざと、自分が引いてきた馬を押し出すようにして走らせた。敵らしき者がいる方向にゆっくり走って行く。
「…なんだ?」
「馬だ!」
ガサガサと動きながら、しかも、馬に驚いて声を上げたので、はっきり分かった。敵は五人。
「なんだ、誰も乗ってない。」
「?向こうに……。」
馬の陰から行ったフォーリが動いているのが、なんとか見える。あっという間に五人が何も言わなくなった。
本当なら道に戻った方がいいのだが、敵の動きも分からないし、すでにどの辺にいるのかさえも分からなくなっている。
じっと目をこらすと、道があると思っていたより左側に松明の火が見えた。つまり、思ったより違う方向に入り込んでいるということだ。
「フォーリ、あっちが道だ。」
小声で教えると、フォーリはじっと道の方を観察した。
「…仕方ない。行くか。」
フォーリはしばらく罠かどうか考えた様子だったが、仕方なく松明のある方向に向かう。戻っていくしかない。真っ暗な森を歩くのは無謀なことだ。