教訓、十二。他言無用の話も、話さなくてはならない時がある。 5
2025/04/23 改
シークとフォーリは森の小径から出ると、街道に戻った。パーセ大街道には、馬車用の車道と歩道の他、馬用の道がある。馬を走らせるための道で、石畳になっていない。石だと馬の脚に負担をかける。そのため、分けられていた。
馬用の道を二人は駆け抜けた。
「便利だな。」
隣を馬で駆けるフォーリが言った。シークは国王軍のしかも、親衛隊の制服を着ている。国王軍はどこを通るにも一番に優先されるため、誰もが道を空けるのだ。まっすぐ行けるからである。
やがて、馬車の隊列に追いついた。長々とした隊列はレルスリ家とノンプディ家の馬車だ。馬用の道も混んできて、大混雑している。フォーリが隊列を止めなかったのも、こうした大渋滞を引き起こさないようにするためだった。
だから、シークもこうした事態を避けるため、小さな停留所では止まらず、大きな場所でしか止まらないことにしている。若様の調子が悪くても、大きな停留所まで我慢して貰っていた。さっき、止まっているかと思ったのは、そうした大きな停留所が近くにあったからだ。
「私は先に行く。」
フォーリはシークに馬の手綱を手渡すと、鞍の上に立ち、あっと思った時には、並んでいる馬車の客車の上に飛び移っていた。レルスリ家の家紋がついた馬車だ。レルスリ家の使用人達も驚いている。
(まさか、馬を飛び越えて行く…! つもりだった。)
考えている間に、フォーリは客車の上を走り、助走をつけて馬を飛び越えて、前の馬車の客車の上に飛び移った。軽々と行ってしまう。
「ご案内致します。」
呆然とフォーリを見送っていると、どこか笑いを含んだ声がして振り返った。バムスの護衛でサミアスという名前のニピ族だ。
「ありがとうございます。…ところで、この馬はそちらの馬ですか?」
フォーリが乗ってきた馬について尋ねると、サミアスは頷いた。
「はい。お預かりします。」
「お願いします。」
礼を言うのも変なので、そのまま預ける。
「…あのう、ニピ族は…みんな、フォーリみたいなんですか?」
馬を歩かせて進みながら、シークはサミアスに聞いてみた。彼はシークよりも十歳は年上のようだ。
「…彼のようにというのは…?」
「なんと言うのでしょうか、あれで疲れないんでしょうか? 確かに渋滞は避けられるでしょうが、いちいち馬を飛び越えるのは体力を使います。」
サミアスはおかしそうに笑いを噛み堪えた様子だった。
「早く主君の元に行きたいからです。若い内だけですよ。我々も年を取れば無理は利かなくなり、仕方なく若い仲間を入れて、一緒に主君を守る同志を増やしますから。」
「…しかし、主君の元に早く行きたいと言っても、屋根の上を走ったりすれば、かえって主君を守る体力がなくなるのでは?」
「我々はできるだけ早く主君の元に急げ、という訓練を受けます。障害物があるなら回らず乗り越えて行け、と訓練されます。回っている間に主君を失う経験をしてきたからです。後に体力を残すより、まずは主君の元に行けと教わりますし、時間短縮による利点もありますから。」
ニピ族に授けられる教えを聞いて、シークは納得した。
「分かりました。ニピ族はとにかく時間優先で、主君の元に走るということなんですね。フォーリには聞きにくかったので、助かりました。」
すると、サミアスが意味ありげに振り返った。
「それを聞いてどうするんですか?」
「フォーリが時間を優先するなら、我々は持久力を優先します。戦闘になったとして、長い時間耐えられるかどうかが勝敗を分けます。最終的には体力勝負になりますから。」
サミアスはそういうことか、という表情を浮かべていたが、にっこりして忠告してきた。
「それと、ニピ族はやきもちやきですよ。」
「え? それは…。」
聞く前に声が聞こえてきた。若様の声だ。
「やだー、ヴァドサ隊長が来るまで、馬車に乗らない…! 追い出したりしてない?」
「若様、そんなことはありません。渋滞しているから時間がかかっているのであって、ヴァドサは後から来ます。」
「でも、やだー、乗らないもん…!」
シークは青ざめた。これはニピ族は…主の気持ちが自分以外に向くのは嫌だ、ということか?
「さあ、早く行って差し上げないと。殿下が先ほどから泣かれています。」
サミアスはにっこりして道を空けてくれた。とりあえず、礼を言って進んでいくと停留所で、馬車から降りた若様がしくしく泣いていた。
「フォーリは私が寝ている間にいなくなった。嫌いだよ…!」
若様にしては珍しく虫の居所が悪い。今までこんな我がままを若様が言ったことは、一度もなかった。
「若様、申し訳ありません、遅くなりました。」
シークは馬を部下に任せて急いで、若様の前に片膝をついて敬礼して謝罪する。シークの声に若様がはっとして、泣き顔で顔を上げた。
「若様、ヴァドサが来ました。」
フォーリが言うことを無視して、若様はベリー医師につかまってシークの前に来た。ベリー医師も困り果てた表情を浮かべている。初めてベリー医師の困り果てた表情を見たような気がする。いつも、からかわれているので、いい気味だと思うが、今はそんなことを思っている場合ではなかった。
「…良かった、いなくなったと思った。」
「若様、申し訳ありません、ご心配をおかけしました。フォーリは私と話をするために来てくれたのです。急ぎ私と話をした方がよいと判断したので、若様が寝ておられる間に出てきたのでしょう。」
サミアスに注意されていたので、まずフォーリの行動を説明する。
「…本当?」
「はい。嘘は申し上げません。」
「……。」
若様は少し考えている様子だったが、涙を手の甲で拭い、ちらりとフォーリを見やった。
「…じゃあ、許してあげる。」
小さな声でフォーリに告げる。
「若様、感謝致します。」
フォーリが礼を言ったが、それを無視した。やっぱりまだ怒っているのだろう。そんな姿を見ていると、幼い弟妹達や親戚やヴァドサ家ゆかりの子供達の、子守をしていた頃の気持ちを思いだしてしまう。怒ってむずがっている子に、高い高いをしてやったり、おんぶしたまま走ったりして機嫌を取っていた。
「ほら、機嫌を直して下さい。」
言いながら、つい頭をこの間みたいにぐしゃぐしゃと撫でた。若様がびっくりして顔を上げる。両手で撫でられた頭に触り、へへ、と笑った。ようやく機嫌が直ってきた。
「…ねえ、ヴァドサ隊長、怒って悲しんでた。悲しいことあったの?」
若様とは今日、挨拶をしただけだ。それだけで、相手がどういう心境なのかを理解している。信じられないほど繊細で敏感だ。
「若様の仰るとおり、腹立たしくなぜ、そういう事ができるのか、理解できず、悲しいことがありました。でも、もう大丈夫です。私の周りには、そういう人だけではなく、部下達やフォーリも含めて心配してくれる人達がいます。若様もこうして心配して下さり、心から嬉しいです。それだけで気持ちが軽くなりました。」
若様は嬉しそうに、ふふふと笑う。
「本当? 役に立った?」
「はい、とても。」
シークが深く頷いてみせると、声を上げて嬉しそうに笑った。キラキラとした笑顔にこっちも思わず微笑む。