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シェリアの独り言 2

 シークがシェリアから逃げようと後ずさった姿を思い出して、思わず忍び笑いした。剣術の達人なのだから、シェリアのことなど簡単に気絶させるなり、なんなりできただろうに、彼はそんな強行手段に出なかった。あくまで逃げようと逃げ回った。


 顔にどうしようと書いてあるようで、焦って逃げようとする姿に、つい、からかいたくなって。後を追って。シェリアより年下だが顔立ちも悪くないし、女性を知らないわけではないはずだ。大体、国王軍の中の親衛隊を選抜する時、顔も選考条件に入っている。特に隊長と副隊長は必ずだ。兵士達は知らないが、将軍になれば分かる話だ。それでも、公にはできないので秘密事項ではある。


 なんだか、少女時代に帰ったような気分になって、嬉しくなってしまった。彼の行動が可愛かったから。戸惑って困惑していて。それでも、部下達を巻き込まないで欲しいと頼んできて。

 シェリアはクッションに顔を埋めたまま、ため息をついた。彼が欲しかったのだ。だから、力尽くで手に入れた。でも、信頼を得るためならゆっくり、時間をかけた方が良かった。


(……だって、バムス様の任務をお手伝いするには、そうするしかなかったもの。それに…久しぶりに胸が高鳴ったんですもの。)


 心の中でシェリアは言い訳をした。

 彼はとても怒っていた。誇りをひどく傷つけた。分かっている。本当はそこまでしなくても、彼が無実だったことは。でも、バムスが徹底的にやると分かっていたから、自分もそれを言い訳にしたのだ。


 涙が染み出るように溢れ出る。

 彼は怒っていて、強い酒と薬で意識が朦朧(もうろう)としていても、シェリアには優しく無体な真似はしなかった。


 とても、後悔していた。

 あんなに拒絶されるとは思わなかった。行って欲しくなくて。気が付いたら引き止めようとしていて。夫以外に引き止めた男は一人もいない。それなのに、体は動いていた。

 二度とないと言われた時、心が(はげ)しく動揺した。自分でも思わないほど、傷ついた。思わず泣きそうになって必死に涙を(こら)えた。身分は自分より低い。でも、心根は崇高で清らかだ。そんな彼の誇りも心も傷つけた。


(……わたくしは、恋をしている。)


 シェリアには分かっていた。危険な思いが芽生えたことを。一瞬で恋に落ちてしまったことを。

 危ないから、捨てなくてはならないと分かっているのに、できそうもない。いろんな人を見てきたから分かるのだ。あんなにすてきな人がそうはいないことを。


 だから、手に入れたいのだ。自分の手元に置いておきたい。それは、できないのに。そんなことをすれば彼の人生を壊してしまう。彼の人生を壊したくない。少し事情を知っただけで、セルゲス公に同情して心を痛めていた。優しい人だ。セルゲス公から取ってはいけない。


 理性と感情がぶつかりあって、シェリアは胸が苦しかった。久しくなかった感情と苦悩に、自分が生きていることを思い出した。乾いた冷たい気持ちでいる時には、感じなかった。


 夫が死んで十五年だ。覚悟して隠し続けていても、心はどこかで傷ついていた。愛した人を毒殺したのだと人々から噂され、そのように見られることに。

 そういう視線と態度で接してくる、そんな態度でも構わないし慣れているはずだった。そうだ、そういう態度に対しては慣れている。こっちも同じそういう態度で返してやればいいのだから。


 でもシークにはできなかった。彼は真心を持っての真摯(しんし)な態度だった。だから、人としての心が思い出されて、久しぶりに心が温かくなって血が通ったような感じがした。温かくて気持ちよかった。


 申し訳なくて髪を結うと申し出た時、彼は断ろうとして、でも、シェリアの顔を見て黙り込んでしまった。きっと、それくらいひどい顔をしていたのだろう。泣きたいのを堪えていたら、呆然として立ち尽くしている彼を見て、思わず苦笑してしまった。


 髪を()いて結んであげるくらいは、他の男にもしてやることはある。男性でも髪を伸ばす習慣のあるサリカタ王国では、髪をお互いに結び合うのは、(ちぎ)りを結び合った仲であるとか、親しくなって結婚を考えてもいい間柄での行為とか、そういう意味合いもある。

 彼らはそれだけで、喜んでいた。そして、シェリアに忠誠を尽くしてくれる。でも、彼は違う。背中から困惑しきっている様子が漂っていた。早く終わって欲しそうだった。国王軍では髪の結び方も決められている。だから、手早くそのように結んだ。


 終わるやいなや、素早く上着とマントを羽織って行こうとする。慌てすぎて襟が曲がっていて、思わず手直した。最後までできるだけ視線を合わせないようにして、儀礼的に挨拶をして行ってしまった。


 シェリアは布団に潜り込んだ。さっきまで彼がいた所に手を()わせる。彼の匂いと温もりが残っている。


 涙が(しとね)に吸い込まれた。

 この布団の中にいる間だけ、しばらくただのシェリアでいよう。そして、布団を出たらノンプディ家の女領主に戻るのだ。冷酷で夫でさえ毒殺できる、魔性の美貌(びぼう)を持った女領主に。

 そう決めて、シェリアは、恋のさざ波にしばらく身を(ゆだ)ねた。

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