教訓、七。権の前に、剣は役に立たず。 10
シークがそっと起きて身支度を調えていると、シェリアが寝返りを打っている様子だった。いつの間にか、制服は近くの小机にきちんと畳まれて置いてある。下着は洗濯しても乾くわけがなく、新しい物が用意されていた。仕方ないからそれらを身につける。
物凄く屈辱的だったし、物凄く怒ってもいた。誰に?そんなことは、一番分かっていたから、余計に腹立たしいのだ。何も…抵抗すらできない自分自身に。何の力もない自分に。
そして、権力で屈服させたシェリアにも、そして、どうやら一枚噛んでいるらしいバムスにも、さらに、薬を渡した可能性のあるベリー医師にも腹を立てていた。フォーリに対しては仕方ないから、怒る資格はないと思う。それでも、どこかもやもやした気分にはなる。
「……まだ、辺りは真っ暗ですわ。」
シェリアの寝起きでぼんやりとした口調の声に、シークは起きたのかと思ったが、無視していた。
「…怒っていらっしゃるのね。もう、行かれるんですの?」
シェリアがごそごそと動いているのが分かっていたが、無視して制服の中着を着る。
「!」
後ろから抱きつかれた。思わず反射的に振り払おうとして、なんとか堪えた。そんなことをすれば、彼女は放り飛ばされて怪我をしてしまう。
「……初めてですわ。わたくしをここまで拒絶なさる殿方は。どの方もみな、わたくしを手に入れようと媚びを売るのに。」
「どうか、離れて下さい。こんなことは今回限りにして下さい。部下達を巻き込むのもやめて下さい。」
シェリアがため息をついた。
「……あなたは何にも、分かっていらっしゃらない。お願いして聞いてくれるなら、どうして脅しが必要なんですの。隙を見せればすぐに脅しにかかってくるのですわ。あなたみたいに真面目で、部下思いの方なら、なお簡単なこと。お願いして聞いてくれる相手ばかりではない、ということよ。」
彼女の忠告には一理あり、思わず聞いてしまう。
「本当に公正な方ね…。わたくしに腹を立てていても、筋が通った話なら耳を傾けて下さる。いいですこと、あなたは殿下を護衛する親衛隊の隊長なのです。どんな相手であれ、きっぱりと断固とした態度が必要なのですわ。
わたくし達にどうすればいいのか、分からなかったのでしょう?いきなりの抜擢で、しかもあなたは真面目すぎて、人脈を必死に築くとかしてこなかった方。媚びを売ることもできない。ならば、方法は一つしかありませんの。きっぱりとした態度を貫くことですわ。そうすれば、陛下と王太子殿下のご信頼を得、任務を全うすることができるでしょう。」
シェリアはシークの背中に顔を押し当てたまま、重要な話を続ける。なんで、もっと普通に話してくれないのだろう。
「おそらく、貴族にも同僚にも不評を買うでしょう。それでも、断固とした態度を貫けば、見ている人は見ているものですわ。誰の信を得、誰の不評を買うべきか、あなたならもうお分かりでしょう。」
「…ご忠告には、感謝します。ですが…。」
「分かっていますわ。」
シェリアがシークの背中で悩ましいため息をついた。そんなことしないで欲しい。怒っている状態でも、少し心がぐらつきそうになる。でも、おそらく彼女は自分の容姿を最大限に生かしている。姉妹も従姉妹もいたから分かる。彼女たちは無意識に、自分をよく見せる方法を知っているものだ。そして、今の彼女も同じだ。
「行かれるのでしょう。…残念ね。」
「残念がらないで下さい。二度とありません。」
シェリアがはっとした様子で黙り込んだ。もしかしたら、想像以上に彼女が傷ついたのかもしれないが、二度あったら困る。彼女だって良からぬ風聞が立つのは良くない。気にしないらしいと分かっていても、こっちの気分が良くない。
ようやくシェリアの腕が離れた。服を整え、上着を着る前に髪を縛ろうと髪紐を探していると、シェリアの気配がした。寝間着に上着を羽織っただけの姿で、すっと小机の前に行き、小物入れを差し出した。
「お探しの物はこちらに。」
とりあえず、礼は言う。
「ありがとうございます。」
髪紐を取ろうとした途端、彼女に持って行かれた。
「わたくしが結いますわ。」
「いいえ…自分で…。」
断ろうとして思わず、言葉を飲み込んだ。彼女の顔色がぼんやりした明かりの中でも悪かった上、両目が涙で潤んでいるように見えた。
「…お詫びにさせて頂きたいんですの。」
呆然と立っていると、シェリアが苦笑した。
「おかけになって下さいまし。」
仕方なく椅子に座った。シェリアが櫛とブラシを手に髪を梳き、結ってくれる。妙な気分だった。契りを交わした訳でもない間柄だ。落ち着かなくていたたまれない。妙に緊張して、じっと終わるまで固くなっていた。
「終わりましたわ。」
シェリアの声で、思わず息を吐いてから立ち上がる。
「…すみません。お手を煩わせました。」
早くこの場を立ち去りたくて、急いで上着とマントを身につける。すると、後ろからシェリアが襟などを直してくれた。
「申し訳ありません。」
儀礼的に礼を述べると、シェリアが少し寂しそうな顔をした。
「それでは、失礼致します。」
軽く頭を下げてくるりと背中を向ける。シェリアが何か言いたそうにしていたが、無視した。
部屋の外に出ると、一旦、客室内の廊下に出る。そこで、侍従から剣を受け取った。何があったか分かっているだろうと思うと、嫌な気分だった。
大股で部屋を出て、そこでようやく息を吐いたのだった。