教訓、七。権の前に、剣は役に立たず。 8
「もう、分かったでしょう?」
言いながらシェリアは、小卓の上に置いて伏せてあったガラスの椀に手を伸ばして二つ並べた。さらにガラス製の優美な酒瓶に入った酒を、注ぎ口から注ぎ入れる。濃厚な酒の匂いが漂い、それだけで相当強い酒だと思われる。
「お飲みなさいな。これを飲んだら放してあげてもいいわ。」
放してあげてもいいとは、随分と曖昧だ。
「これを…頂いたら解放して下さると?」
「そうねえ、考えるわ。」
シークは考えたが、ここから出る唯一の方法だ。仕方ない。
「分かりました。頂戴致します。」
シェリアは艶美な微笑みを浮かべると、一つを差し出した。
「…頂きます。」
一口飲んだ。思わずむせそうになる。かなり強い酒だ。
「そうだわ。殿下はあなたに、わたくしの所に話をしに行くように仰った?」
思わずぎょっとして、反射的に顔を上げてシェリアの顔を凝視した。
「そんなに怖い顔をしないで下さる?わたくしがお願いしたんですの。馬車の中で。」
シークは目を丸くした。そんな会話は一切なかった。一体、いつ?
「わたくし達だけが理解できる秘密の暗号よ。」
言われてシークは思い至った。シェリアは扇しか手に持っていなかった。
「…もしかして、扇言葉ですか?」
扇言葉とは、宮中の女性達が気づかれないように会話する時に使う、暗号だ。扇を使って相手に意思を伝える。貴族の女性達も内緒話をする時に使うし、こっそり気に入った殿方と密会する時にも使う。だから、貴族であれば男性も多くは知っている。ほほほ、と彼女は少し酔った表情で笑った。
「正解よ。…あの子、殿下は賢い子ね。殿下に扇言葉を教えたのはわたくしよ。まだ、殿下が七つかそれくらいの頃。…そうね、やはり七歳だったわ。妃殿下が身罷られた後だったから。おかあさまって寂しがって泣いておられたから、つい可哀想になって抱き寄せてお話しして差し上げたわ。その時に教えたのよ。それを覚えているなんて。」
酔っているせいか、シェリアは急に饒舌になって話した。
「それでは、先日、殿下に拒絶されて驚かれたでしょう?」
シークが聞くとシェリアは虚を突かれたように、とろんとした目で見つめてきた。妖艶で思わずどきっとしてしまう。
「まあ…。そうね、びっくりしなかったと言えば嘘になるわ。でも、それよりも可哀想になって。」
なんだか、自分は無関係のような物言いに、シークは違和感を覚えた。彼女だって八大貴族の一人だ。若様がそんな目に遭った原因を作った、一人に違いないのだ。若様が受けた虐待を聞いているせいか、急に腹立ちを覚える。
「…お言葉ですが、その原因を作られたのは、あなたもではありませんか?」
怒りを含んだ語調に、シェリアがどこか悲しそうな表情を浮かべた。目を伏せてため息をつくと、次の
瞬間にはぴっとした目線ではっきり言った。
「確かにわたくしにもバムス様にも、その責任はあります。わたくしは確かに政治的には、今の陛下と一緒になっています。でも、これは望んでいなかった…!これは望まなかったのです!」
初めてシェリアの口から、激しい感情的な言葉が漏れ出た。シークは思わずシェリアを見つめた。彼女の言葉が本当なのかどうかを見極めようとした。そうしている間にも、シェリアはシークを逃がさないように腕をつかんで放さないのだ。
「…わたくしには分かっています。」
沈んだ声でシェリアが言った。
「殿下に何があったのか…。バムス様もご存じですわ。」
「!」
思わず凝視する。
「そう、睨まないで下さいまし。ご存じ?」
言いながらシークにしなだれかかってくる。とうとう逃げられなくなってしまった。下がろうとしたが下がれない。壁にどんっと当たっただけだった。
「往生際が悪いわ。……あなたは知っていて?女性は殿方と一晩ご一緒すると色香が出て参りますの
よ。」
ぎょっとしてしまう。つまり、確実に若様が監禁中に何をされたのか知っているということだ。
「…殿下は幼い頃から大変、可愛らしいお子様でした。でも、あんなに色香はありませんでした。幼子なのですから当然です。それが、今度お会いした殿下は、女のわたくしが驚くほどの、濃厚な色香を纏っておられましたわ。ですから、分かりました。何をされたのか。」
「……。」
「あなたも知っていたのね?」
「そ、そ…それは。」
ふふ、とシェリアが歌うように笑う。
「ひどい叔母君ですわ。」
王妃を非難する発言に、二の句が告げない。
「まあ、驚いて心臓がドキドキしていますわね。」