教訓、四十二。気の使いすぎは良くない。 5
シークに上手くお祝いを言えなかったと、泣きべそをかいている若様を慰めるため、シークはフォーリの殺気を無視して、肩車をしてやった。若様が喜び、フォーリも渋々それを認める。だが、その様子を隠れて見ている者があった……。
「…ほんと?」
「はい。」
若様の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。鼻水がたらーと垂れているが、そんな顔をしていても、若様は可愛らしい。ベリー医師がちり紙を渡そうとしたが、それを受け取る前に若様はついという感じで、垂れてきた鼻水をフォーリのマントで拭った。
ああ、やったか……。そこにいた一同は思う。でも、フォーリは怒ったりしない。他の人……子供でもたぶん怒るだろうが、自分の主の前では常に優しい表情を浮かべている。
「…フォーリ、ごめんなさい。あのね、とけた鼻くそがマントにくっついちゃった。鼻水と一緒に出てきたの。」
説明しなくても、出所は分かっている。
「大丈夫です、若様。それより、鼻をかみましょう。」
「うん。」
若様はフォーリにちり紙を手渡されて、自分で鼻をかんだ。前だったらフォーリがしてやっただろう。どこか寂しげな表情をフォーリは浮かべている。その様子は微笑ましく、さらにそんなことじゃ将来的にどうなるものやらと思ったりして、おかしくなった。
とうとうシークは吹き出してしまった。若様が目を丸くする。釣られてみんなも笑い出した。フォーリがやたらと寂しげでおかしいのだ。
「どうしたの?」
不安そうな若様の頭を撫でると、シークは言った。
「フォーリに、もっと焼き餅を焼かせてやりましょうか。」
「え?」
若様がきょとんとしている間に、シークは若様の体を持ち上げて肩車をしてやった。きっと、来年はできないだろう。今のうちだ。今がぎりぎりそんなことをしてやれる体格だ。
「!うわぁ…!ははは。」
途端にめそめそしていた若様の声が、弾けるように嬉しそうな声に変わった。屋敷の天井が高いのでできる芸当だ。そして、途端にフォーリから殺気が放たれる。だが、シークは無視した。
「重くなりましたね、若様。大きくなりました。」
「隊長、後で腰を痛めないで下さいよ。うちの親父、末の弟にそれしてやって、ぎっくり腰になったんで。」
ジラーが言って、その場が笑いに包まれる。
「確かに、子供が生まれる前からぎっくり腰じゃ、さすがに年寄り臭すぎる。」
「なんだ、人を年寄り扱いして。じゃ、お前達が誰か交代するか?」
「遠慮します。フォーリに殺される。」
「そうですよ。このフォーリを見て下さいよ。」
シークを睨みつけているフォーリを振り返り、シークは言った。
「フォーリ、心配するな。お前にも交代する。ほら、準備をしろ。」
「フォーリ、怒らないで。楽しいよ。天井が凄く近いよ。」
若様に言われたら、どうにもできない。
「ねえ、フォーリもしてくれるの?」
とたんにフォーリは、にこやかになる。
「若様がして欲しいなら、いつでもして差し上げます。」
「ほんと?」
若様の目が輝いた。
「じゃあ、フォーリにもしてもらう。だって、ヴァドサ隊長がぎっくり腰になったら大変だもん。」
ぶっ、と誰かが盛大に吹き出した。全員が爆笑する。憮然としていたフォーリも笑っているし、若様はへへ、と笑い、シークも苦笑した。当然、ベリー医師は遠慮無く笑っている。
それを観察している者があった。
今日、王子を攫い、事故死を装って殺すはずだった。だが、何の因果か村娘のセリナが落ちた場所に勘づき、自分も落ちかけた上に木に引っかかっている王子を助けてしまった。
そんなことをしている間に、現場から引き離したはずのニピ族の王子の護衛が、戻ってしまったのだ。
もし、あのまま誰にも気づかれなかったら、王子は力尽きて落ち、死んだだろう。上手くいかないものだ。
だが、それにしても、その後は親衛隊とニピ族との間で一戦交えてもおかしくないくらい、険悪な仲になっておかしくないのに、なぜかなっていない。ニピ族は主だけを守る。そのために親衛隊などの他の護衛とは、馬が合わずに衝突することは普通にある話だ。
ところが、この部隊は違った。最初は確かに、険悪な雰囲気が漂っていた。それなのに、途中から何か変わっていた。
そうだ、この親衛隊の隊長のせいだ。普通、もっと親衛隊の隊長ともなれば誇り高いので、ニピ族とぶつかっておかしくないのだ。それなのに、この親衛隊の隊長は自分の方が引いて、ニピ族の意見も納得して聞いている。
もっとぶつかればいいのに、ぶつからない。
その上、この状況は何だ?王子を肩車して遊んでやっている。そして、結局みんなで仲直りしてしまった。険悪な様子は全くなくなってしまった。
その様子を見ている何者かは、腹が立った。こうなれば、もっとお互いに疑心暗鬼になって喧嘩するように仕向けよう。
どうやら、親衛隊の隊長のヴァドサ・シークがニピ族の護衛のフォーリの信頼を勝ち取っているせいもあり、お互いに話し合いですんでしまうようなので、ヴァドサ・シークの信頼を落とすような事件を起こせばいい。
もちろん、王子の暗殺が第一目的なので、それも達成しつつ暗殺に失敗しても彼らが険悪な仲になって、一枚岩で行動できなくなるようにするのだ。
観察していた者は、そっとその場を離れた。とりあえず、屋敷から離れて家に帰る。計画を練らなければ。
家に帰ると、子供達が待っていた。
「お帰り、父さん。どうしたの、こんな夜まで。」
「ちょっと、気になることがあって、仕事してたら遅くなってな。」
「もう、暗いのに?」
「暗くなる前に帰ってきたさ。」
「ふーん。それより、ご飯だよ。」
「ああ、そうか。」
そんな平和な会話が続く。
早く、王子を暗殺しなければ。この日常を守るには必要条件だ。男はそんなことを心に思ったのだった。
星河語
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