教訓、七。権の前に、剣は役に立たず。 5
ベリー医師の目が鋭くなった。
「私が代わりに言っておきましょう。さ、まずは中に入って。」
シークは無理矢理中に入れられ、ベリー医師がフォーリに事情を話す。若様は長椅子に横になっていた。
「ねえ、何か問題があったの?」
若様が身を起こして不安そうに尋ねた。
「いいえ、そうではありません。少し明日のことについてフォーリと話があるんです。そこにヴァドサ隊長がいますから。」
ベリー医師は言って、奥の部屋にフォーリと行き、何やら話し込んでいる。
「…どうしたのかな?」
不安そうな若様と目が合ったので、シークは軽く息を吐いた。
「本当に明日のことで話があるんだと思いますよ。何か問題が起こった訳ではありません。今のところ変化はないので。」
シークの答えに若様は少しほっとした表情を浮かべた。
「…そうか。なら、いいんだけど。」
「具合はどうですか?」
「……体は具合悪くないけど、人とたくさん会うと疲れる。お腹が痛くなったりすることもあるし。とても緊張するし、怖くなってしまうし。」
「私だって緊張しますよ。」
思わずシークは言ってから、頬をポリポリ掻いた。
「え、本当?」
「…ええ。ここだけの話ですが、国王陛下に拝謁した時、あまりに緊張しすぎて挨拶する口がもつれたんです。」
若様の目がまん丸になる。シークが照れ笑いすると若様もつられて笑った。
「しーっ、誰にも言わないで下さいよ、若様。これは部下達にも言ってないんです。」
慌ててシークが口止めすると若様はふふ、と笑いながら頷いた。
「分かった、言わないよ。」
そう言っていたずらっ子のように目が煌めく。フォーリが言ったことを思い出した。本来なら奔放な性格もあると言っていたことを。
「本当に秘密ですよ。バレたらしばらく、それでからかわれるので。」
思わず本音が出ると、若様がびっくりしたようにシークを見つめた。
「…どうかしましたか?」
「上司なのにからかうの?」
そういうことかとシークは納得した。何に若様がびっくりしたのか理解したのだ。
「ええ、人によりますよ。絶対に許さない人もいますが、私は部下達との距離を大切にしたいので、そこまで厳密に厳しくしません。大体、上司の悪口を部下は言うものです。本人を目の前にして言えるのは、健全な方だと私は思っています。それに、軽口を言い合えるくらいの部隊の雰囲気が好きなんです。」
「でも、規律は緩まないの?」
若様の指摘はまっとうなものだ。分かれば分かるほど、若様は賢い子だということが見えてくる。
「もちろん、行き過ぎれば緩みます。だから、緩んできたら締めます。緩んだら締めて、緩んだら締めての繰り返しです。」
若様は何か考え込んでいた。まだ、難しいかもしれない。
「ずっと締めっぱなしにしないのは、どうしてなの?」
「ずっと締めっぱなしだと、いつか折れてしまいます。私達国王軍は厳しい訓練を受けていますが、それでもそれが続きっぱなしだと、折れてしまう。緩める所と締める所の調整をうまくやるのが、隊の長の役目の一つだと私は思っています。」
「どうやって、それを見極めるの?」
シークは考えた。
「……。そうですね。難しいですが勘ですかね。なんとなく部隊の雰囲気などを感じて、言動から緩んできたと思ったら締める。部下達の性格はある程度分かっておく必要はあるかと思います。」
シークは数日前のことを思い出した。王宮を出る前にバムスと話していたことだ。若様は人との付き合い方などの話を真剣に聞いてくる。確かに人付き合いについて悩むのは、子供の頃からあるものだ。
だが、シークは十三か十四歳の頃、こんな話を大人と交わした記憶はない。隊を持つことになった部下にするような助言だ。
でも、考えてみれば若様はその年齢にして、場合によっては大人達を采配しなくてはならないことがあるのだ。“セルゲス公”という位がある以上、遠くない未来にその可能性がないとは言い切れない。いや、確実に己の判断でなさなくてはならない時が来る。
「…ありがとう、いろいろ教えてくれて。」
「いいえ、何か他にも質問があれば、私に答えられることなら、いつでもお答えしますので。」
言ってからシークは少し後悔した。若様の目がきらんと光り、立ち上がった。自分でシークに近づいてきて、じーっと観察する。観察されるシークは非常に居心地が悪い。
「な…んでしょうか?」
若様はふっと笑って首を振った。普段は年齢より幼いのに、今の仕草と表情は妙に大人っぽかった。
「ううん、なんでもないよ。そういえばこの間、馬車の中でノンプディが一緒に話をしたいって言ってた。」
「!」
もし、水か何か飲んでいたら吹き出していたに違いない。涎でもむせそうだ。
「フォーリは格好いいけど、ヴァドサ隊長もかっこいいと思うよ。それにためになる話もしてくれた。行ってあげないの?」
シークは慌てて否定した。
「い、いいえ、行きませんよ、若様の護衛という任務があるのに。」
若様は首を傾げた。無邪気になんてことを言うんだ、とシークは思う。子供の純粋な残酷さというものかもしれない。しかも、若様もフォーリはかっこいいと思っているらしい。
「レルスリの護衛もいるよ。人手は十分なのでは?」
「若様、隊長の私が、任務以外のことで勝手に抜ける訳にはいきません。」
「…話は任務以外なの?」
「あの場合の話は任務以外かと。個人的な話は任務外です。任務に関係するような話なら別ですが。」
「ふうん。」
若様がとりあえず黙った所で、シークは部屋の奥に向かって言った。
「それにしても、ベリー先生とフォーリの話は長いですね。ははは。」
言いながら奥に向かって行くと、扉を勝手に開けた。口に出せば聞こえるので、様子を覗っていただろう二人を睨んだ。
「話が終わりましたか?」
「ええ、今し方ちょうど終わった所です。」
笑いを噛み堪えながらベリー医師が答えた。フォーリも拳を口元に当てて笑いを堪えながら、先に部屋を出て行く。若様を別の部屋に連れて行く。