教訓、七。権の前に、剣は役に立たず。 2
馬車は静かに進んでいたが、若様が目覚めて起き上がり、ベリー医師から水筒の水を受け取って飲んでいる。その時、馬車がはねた。フォーリが若様を支えてこぼれた水を拭き取る。
「ふふふ。わたくし、護衛のフォーリ殿が好みですわ。」
突然のシェリアの発言に、一同は言葉を失った。さすがのフォーリも一瞬、身を固くした。そして、さすがのバムスもすぐに言葉を返さなかった。
「…シェリア殿。殿下が驚かれていますよ。」
「……どういう意味?」
まだ、寝ぼけているのか、若様がきょとんとしてフォーリを見上げて尋ねる。
「わたくしの男性の好みに合っているということですわ。」
若様は目をぱちくりさせた。
「…え?」
「だって、男らしくて素敵ですもの。それに顔立ちも整っているし、何より声が良くってよ。」
シェリアはうっとりと、手を頬に当ててフォーリを見つめる。若様は目を丸くしていたが意味を理解して、表情を曇らせた。
シークは必死になって、シェリアが突然こんなことを言い出した理由を考えた。おそらく、無意味にこんなことを言い出したわけではないはずだ。
「…ふぉ、フォーリがいなくなったら、嫌だし困る…!」
若様は泣きそうな表情で、珍しく大きな声で言った。
「若様、ご安心下さい、そんなことにはなりませんから。」
フォーリは急いで若様を宥める。
「殿下、ご安心を。殿下から護衛を取ったり致しませんわ。」
シェリアはにっこり微笑む。
「そ、そうなの…?」
ほっとした若様にシェリアは続けた。
「時々、フォーリ殿をお貸し下さいまし。」
「!」
そ、そうくるか…!?シークは物も言い様だと思わず感心した。
若様はほっとした表情で、顔を輝かせる。
「…ほ、本当?そ、それなら…ふぐ!」
若様はフォーリとベリー医師に、口と体を押さえられて座席に押しつけられた。
(あぁ、今のは危なかったな。誘導だ。最初にいなくなるかもと思わせておいて、後から貸してくれと言い、いいよ、と言わせるためのものだった。)
けほっ、けほっと若様が咳き込んでいる。
「…フォーリ、痛かった。」
「申し訳ありません、若様。つい勢い余ってしまい。」
さすがのフォーリも今のは慌てただろう。シークは自分には関係ないと思って状況を分析していた。
「シェリア殿。ご冗談もほどほどにされた方が良いのでは?」
「まあ…バムス様、わたくしは独り身ですのよ?」
バムスは苦笑いする。今のは言外に、多くの女性と関係があるバムスに、非難する資格はないと言ったも同然だ。
「素敵な殿方に目が行ってもしかたありませんわ。」
「…しかし、相手はニピ族ですよ。」
やんわり言うバムスにも、シェリアはどこ吹く風という感じだ。
「構いませんわ。わたくし、殿下にあだなす者ではありませんもの。ただ、護衛を貸して欲しいと申し上げただけですわ。」
いや、そこまで開き直られるとあっぱれという感じだ。実際のところ、権力のある女性に目をつけられたら、どうやって逃げたらいいのだろう。
「…ご冗談もそこまでに。若様が困っておいでです。」
ベリー医師が咳払いして口を挟んだ。
「ご安心下さいまし。カートン家の先生方はご遠慮致しますわ。」
シェリアはにこやかに答える。それに対しベリー医師もにこやかに応酬した。
「ああ、それは良かった。もしお誘いを受けたら、どうやってお断りしようかと考えていました。あまり良くありませんが、薬にするか鍼にするか悩んでいましたので。」
薬か鍼で“お断り”する方法を何か考えていたというのは、けっこう物騒な話である。
「ほら、カートン家のお医者様方にかかれば、診察が始まったり致しますもの。興ざめですわ。」
この女性、バムスが評している通り、見た目に反してサバサバしているのではないか。女性らしい格好で雄々しい性格をしているようだ。だから、十五年ほど夫を殺したと言われていても、平然としていられるのだろう。そして、雄々しく夜の相手を求めている。
「ところで、護衛隊長殿はなんというお名前ですか?」
バムスが話題を変えるため、シークに聞いてきた。そういえば、名乗る時を逸して名乗りそびれていた。
「ヴァドサ・シークです。名乗るのが遅れてしまい、申し訳ありません。時を逸してしまいまして。」
「おや、ヴァドサ流の剣士ですか? 嫡流の方で…?」
「はい。本家の五男です。」
「そうでしたか。」
「ご結婚はなさっておりますの?」
横からシェリアに問われ、内心シークは焦った。
(こっちに向いてこないだろうな。…いや、私にはないか。)
内心の動揺を隠して答える。なんとか言葉を濁して逃げよう。
「…え、えぇ、こ、婚約者が……。」
「ヴァドサ隊長は婚約を破棄したんだって。」
シークは顔から血の気が引いた。思わず声の主の若様を見つめる。
(なぜ、今に限って素直に、しかも、素早くどもらずに言ってしまわれる……。)
フォーリが若様の唇に人差し指を当てて、難しい顔で首を振っている。
今のは失言ですよ、という合図に若様はそうなの?という表情をしている。
「ほほほ、やっぱりいいですわね。殿下に向ける目だけ優しいんですもの。フォーリ殿がいいですわ。」
話がまた元に戻る。シェリアはやっぱりフォーリを狙っている。
「それとも、護衛隊長殿が代わりに来て下さる?」
「!」
思わず変な声でえ!?と言わなかっただけましだった。
「まだまだ若いですわ。構わなくってよ。」
なんて答えればいいのか、全く分からない。
「シェリア殿、本題に入らないと困り果てていますよ。」
バムスがやんわりとたしなめる。シェリアは仕方なさそうにため息をついた。
「今日の宿は、高級旅館ですわ。殿下がいらっしゃるというだけでも話題になります。それが殿下のご容姿は麗しく、その上、護衛までもが見目良いと、たちまちのうちに噂になるでしょう。しかも、国王軍は華の職業で、その上、名誉な親衛隊ですわ。まだ、若い兵士達がぞろぞろいるのです。わたくしの言いたいことはお分かりですわね?」
確かにその通りだが…。もっと分かりやすく言ってくれればいいのに。無駄に焦るではないか。
「最初からそう言って下さればよいものを。誤解を受けますよ。」
ベリー医師が物怖じもせず言い返す。
「あら、誤解ではありませんわ。わたくしの好みはフォーリ殿ですけれど、親衛隊の子達でも構いませんわ。あんまり若い子は、わたくしの好みではありませんけれど、護衛隊長殿や幾人かの方は当てはまりますわ。毎日訓練をしているから、引き締まって均整の取れた体つきをしていますもの。」
ほほほ、とシェリアは笑う。誰も彼女には勝てないかもしれない。
「恐ろしいのは、剣を持った刺客ではないかもしれませんわよ。」
笑いながらシェリアは続ける。
「夜中にこっそり忍び込んでくる娘がいるかもしれませんわ。殿下のお泊まりになる部屋には、さすがに侵入は難しいかもしれませんが、親衛隊のみなさんなら唾をつけやすいですもの。誘いに乗ったら危ないですわ。その間に刺客が入り込むかも。」
笑いながら言うことではない。
「……ご忠告、感謝致します。」
とりあえずシークは礼を言った。
「まあ、お安い御用ですわ。お礼を言われることではありませんことよ。そうですわね、それなら今夜、二人でお話し致しませんこと?」
(え!?ど、どうしたらいいんだ?)
「申し訳ありませんが、任務がありますので。」
とりあえず、任務を理由に断りを入れる。
「…そう。残念ね。」
シェリアは本当に残念そうに呟いた。どうやら、バムスが誘いを受けないのは、彼女の好みに当てはまらないかららしい。
シェリアが静かになったので、こっそりシークは息を吐いた。ようやく“お誘い”が終わって良かった。だが、実際には終わっていなかったのである。