ヴァドサ家で起きた事件 9
「そういやあ、思い出したぞ。ヴァドサ・シークって、お前の身内だろ?兄弟?」
同期だと言っていた男が言い出した。
「……。」
「お前の所、親族多すぎて全然分かんねえや。そのヴァドサ・シークがシェリア・ノンプディに追い回されてるとかって噂だな。」
「!」
「ああ、そういや聞いた、聞いた。」
「こいつと似てんだろ、きっと。だったら、ありかもな。」
「っていうか、逆なんじゃねえか?だって、逆玉だろ、そうすれば。」
セグはシークのことを言われて、我慢の限界が来た。男達がシークの事を口にして、笑い合って馬鹿にしている声が、飛び交っている。
「うるさい、黙れ!!」
セグが怒鳴ると、静まったのは一瞬だけだった。次の瞬間、どっと爆笑してセグの声色を真似してさらに笑い合い、さらにシークのことを馬鹿にした。
「ほんとは夜な夜な、シェリア・ノンプディに泣かされてんじゃねえの?」
「ははは、言えてんな…。」
彼らは何が起こったのか分からなかった様子だった。セグを囲んでいた全員が地面に倒れ、二人ほどは腕と肩を押さえて悶絶している。あまりにシークを馬鹿にした二人だ。そして、周りで様子を遠巻きに見ていた人達も同様だった。シークやギークほどではないが、素早く数人を柔術技で投げるくらいできる。馬鹿にされても我慢していたセグが、とうとう怒ったので人々がざわついていた。
セグは同期だと言っている男の胸ぐらをつかんで立たせた。
「私のことはいい。私のことは、いくら馬鹿にしようとかまわない、我慢する…!でも!シーク兄さんのことだけは許さない!!シーク兄さんを、馬鹿にするな!何も知らないくせに、シーク兄さんを侮辱するな!もう一度言ってみろ!二度とその口をきけなくするぞ!」
怒鳴ってから、相手を突き放した。セグの剣幕に気圧されて、男はよろめいている。
「…くそ、泣きながら言うことかよ……。ひっ。」
さらに毒づこうとしたが、店の奥から出てきた気配にセグの後ろを見つめて、慌てて立ち上がり、走り出した。他の男達も同様だ。セグは涙を手巾で拭おうとして、祖母の簪をくるんだことに気がついた。
悔しくてたまらなくて、涙が出る。みんなが面白おかしくシークのことを馬鹿にして、侮辱することに。そして、それに自分が加担してしまったことに。自分に一番腹が立っていた。
仕方なく、セグは腕で涙を拭った。
「どっかの坊ちゃん。今の気勢は良かったぜ。悔しいよな。兄弟を馬鹿にされると。」
振り返ると二人の剣士が立っていた。二人ともただならぬ気配を漂わせており、危ない世界に生きている人だとすぐに分かった。店の奥から出てきたようだ。用心棒らしい。
「ま、心配すんな。俺達がやったことにしていいよな?」
一瞬、何のことを言われたのか分からなかったが、さっきの男達に対することだと分かって頷いた。それを確認すると、セグの肩をぽんぽんと叩いて、店の奥に戻っていった。
それと入れ違いに、店の主人が出てきた。
「すみません、騒ぎになってしまいました。」
セグが謝ると、主人は首を振った。
「いいえ。若様が悪くないことは明白です。それより、少し休まれてはいかがですか?」
「え…?」
セグが聞き返すと、主人は指で目を指した。目が真っ赤になっているのだろう。
「……あ。」
セグが戸惑っている間に、主人は店員に馬を裏に移すように命じた。
「どうぞ、こちらへ。」
奥に案内される。静かな客間に案内されて、お茶も出してくれた。
「しばらくしてから、お帰りになるといいでしょう。今は野次馬が。」
主人に指摘されて、セグはそうかと気がついた。店の主人の気遣いにどこかほっとしている自分がいた。あの中を帰るのは確かに、勇気がいった。注目されっぱなしだったから。
「ごゆっくりどうぞ。」
「ありがとうございます。お茶を頂いたら、帰ります。」
主人はセグを一人にしてくれた。板間の客間には絨毯がしかれ、その上に座布団が置かれていた。引き戸は開け放されていて、そこから中庭が望めるようになっている。静かな時間が流れていて、表の喧噪が嘘のようだ。
セグは淹れてくれたお茶を静かに飲んだ。
しばらくして、主人が様子を見に来ると、セグが床に倒れるようにして眠っていた。茶器が床に転がっていたが、中身は綺麗に飲まれていたので、こぼれていなかった。静かにそれを拾う。
「…ヴァドサ家の息子か。」
主人の隣に立っている男が呟いた。
「どう致しますか?」
店の主人がその男に尋ねた。
「…確かに顔立ちも悪くないし、武術の腕も悪くなかった。しかも、軍師・戦略部門の所属で頭もいいときている。」
「それで、念のため足止めしたのです。まさか雇ったチンピラの中に、本当に知り合いがいるとは思いませんでした。」
男は軽くため息をついた。
「帰してやれ。」
「帰しますか?」
店の主人が意外そうに聞き返した。
「ああ。ヴァドサ家は今は注目の的だ。やめておけ。足がつくとやっかいだ。」
「承知致しました。」
「少し寝かせてやれ。思い詰めた顔で寝てないのがありありと分かった。後は任せた。」
「はい、分かりました。後はお任せを。」
主人は男を見送ると、使用人を呼んでセグをきちんと寝かせた。頭の下に枕を入れて毛布もかけてやる。
「若様、若様、起きて下さい。」
若様とは誰だと思ったセグだったが、しばらくしてはっと目覚めた。ここはどこなのか、一瞬分からないで混乱する。少し考えると、質屋でお茶を飲んだ後の記憶がない。急いで体を起こすと、そこの客間で眠り込んでしまったことに気がついた。しかも、毛布までかけて貰っている。
「お目覚めですか?」
店の主人がにっこりした。
「あれ?私は…申し訳ありません、眠り込んでしまったようで。」
セグが言いながら目を外に向けると、空が夕焼け色になっている。
(しまった、もうこんな時間だ。)
調べ物をする時間がなくなってしまった。
「ごめんなさい、ご迷惑をおかけしました。こんな時間になるまで眠っていたとは。」
セグは急いで主人に頭を下げた。慌てて毛布を畳み、枕まで貸してくれていたことにさらに申し訳なさが募る。疑っていたことを申し訳なく思った。
「事情は存じませんが、何か思い詰められたご様子でした。よく寝て、よく食べること、それが元気の元です。よく寝て、よく食べなくては、正しい道には進めないかと思います。ですから、今の時間まで起こさなかったのです。」
よほど、切羽詰まった顔をしていたのだろうか。心配をかけたようだ。でも、少し張り詰めていた気が楽になった。
「…はい。ありがとうございます。お世話になりました。」
もう一度、セグは礼を述べた。店の主人は裏手の馬の所に案内すると、裏門からセグを送り出した。
「素直で礼儀正しい青年だったな。」
一人、店の主人は感想を述べた。
「これで、疑いは晴れただろう。」
呟くと店の奥に戻ったのだった。




