ヴァドサ家の騒動 14
「そうだ。薬を処方したいので、どこか作れる所はありますか?」
ラクーサ医師が申し出た。
「おそらく、台所がいいかと。息子の誰かに案内させます。」
ビレスは言った後、書斎を振り返った。
「そこで話を聞いているのは分かっている。誰か、先生方が薬を作れるように、台所にご案内しなさい。」
すると、部屋の引き戸がすっと開いて、ギークが顔をのぞかせた。
「父上、おそらく今は、台所は大変な状態でしょう。先に準備をしに行っていますので、しばらく先生方にはお待ち頂けないかと。」
医師の二人は頷いた。
「それで構いません。それから、これからは私達が処方した薬だけを飲んで頂かないといけません。」
ビレスは長いサクン家との付き合いがあるが、頷いた。一度で毒を飲まされているだろうと見抜いた医師達だ。しかも、シークの命を助けたという話が嘘には思えなかった。彼らの目は嘘を言っているようにも見えなかった。
「分かりました。薬は誰か、信頼できる者が作るようにしますか?」
ビレスの問いにバムスが頷いた。
「事情を知っているご子息のうちの誰かがよいでしょう。」
ビレスはイーグが厨房の準備に行っただろうと考えて、ナークを呼んだ。すっと、静かに部屋の引き戸を開けてナークが入ってくる。
「お呼びでしょうか、父上。」
「話は聞いていただろう。お前がユグスの薬を作りなさい。作ってから飲ませるまで、決して目を離してはならない。」
「分かりました。しかし、私が仕事に行っている間はどうしますか?朝か晩はできるにしても、昼などは?」
ビレスは少し考えてから口にした。
「私がしよう。ケイレも忙しい。私がするのが一番だ。」
すると、ナークが目を見開いた。
「え、父上がですか?」
もちろん、暗にできるのだろうか、という疑問がある。少々ムッとして、ビレスは息子に言い返した。
「…お前達が子どもの頃、誰かが具合悪くなると、私が薬を煮出して作った。ケイレが身ごもっていたりすれば、つわりで作れないことはままあった。それに、パレンの薬も長いこと私が作っていた。」
知らなかった事実に、息子は目を丸くしている。きっと扉の向こうでギークも同じ顔をしているだろう。
これを知っている子供は、おそらく長男のアレスとシークくらいのものだろう。シークは子守だけでなく、裏方を手伝っていた上、他の子達が道場で練習中も道場にいなかったため、父が台所で薬を作っている姿を見ていたし、手伝っていた。
「とにかく、お前ができない時は私が作る。ナーク、分かったな?」
「はい。分かりました。」
そう言って、引っ込んだ。やがて、イーグが戻ってきて、厨房で薬を作る準備ができたことを伝えに来た。
薬を作る手順を教わるため、ナークとビレスは医師達と行くことになり、ギークとイーグはユグスを休ませるために部屋に連れて行くことになった。だが、真相が分からない以上、チャルナの元に帰すわけにはいかないので、早くに亡くなった娘のパレンが療養していた部屋に休ませることにした。
ビレスは大変なことになったと思いながら、しかし、これも自分の責任だと感じていた。きちんと手を打たなかったからだ。やはり、無理をせず、離縁させるべきだったのだ。ここまでチャルナが道を踏み外す前に。
バムスも道場に戻っていき、それぞれみんながいなくなって、書斎は静かになった。バムスのニピ族の護衛達も当然いなくなる。
本当に誰もいなくなってから、書斎の隣室、先ほど医師達と小声で話していた部屋の、小さな物入れの引き戸が開いた。中から一人の青年が這い出てきた。中は意外に広くなっていて、人一人が楽に隠れることができる。子どもの頃、かくれんぼでよく隠れていた場所だ。
伯父の書斎の隣室だ。当然、客人が多い場合は引き戸を外して、大きくして使えるようになっているから、他の子供達は隠れようとしなかった。
でも、セグはここが好きだった。本がたくさんあって、本の匂いも好きだった。ここに入ることが許されていた子供が一人いた。シークだ。シークは道場で学ぶことを許されていなかったが、なぜか代わりに書斎に入ることは許されていた。彼は四日に一回、子守を免除される日があり、その日には一日中、ここにこもって本を読んでいた。
セグは許されていたわけではなかったが、勝手に入っていた。それでも、伯父は黙っていることを許してくれた。シークにひっついて、一緒に本を読んでいることもあった。
子どもの頃は不思議だった。シークはなぜ、道場で学ぶことが許されず、長老達が教えているのか。だが、ある日、知ったのだ。
ここに隠れていて知ってしまった。聞いてしまった。ビレスがもう一人の叔父エンスと話しているのを。
『やはり、シークの才は顕在か?今も変わらないか?』
『相変わらず、私より優れた才がある。先日も長老達のような動きをしていた。もう達人のような動きだった。子供だからと馬鹿にできない。足りないのは、子供で小さいから体力がないことだけだ。』
エンスの問いにビレスが答えた言葉。衝撃を受けた。だから、道場で教えないのだと知った。その理由に嫉妬した。だが、それを知って以来、シークの動きを見てみると、自分の遙か上を行っていることに気がついた。どんなに努力しても、敵わないことがあると初めて知った挫折だった。
シークに対して、憎まれ口を叩き当たるようになったが、そんなことをするたびに、困ったようにたたずんで、訳も分からず傷ついた表情をシークがするので、自分のしたことに自分で傷ついた。自分の小ささが嫌だった。
それなのに、本当は仲直りしようと、何度もシークの元に行くのに、なかなかできなくて。そのうちに兄達が母の命令で、軍内でもシークに嫌がらせをするように言ってきて、板挟みになった。
シークが親衛隊に任命されるようだという、話が出てから、母は余計に陰湿になった。兄達もだ。
そして、一線を越えた。分かっている。決してやってはならない一線を越えたのだと。
だが、さっき全て話を聞いてしまい、母がすでに一線を越えていたことを知ってしまった。シークを剣士狩りに遭わせたのは、母のチャルナだったのだ。死んでいたかもしれないのに。
そして、春のねつ造事件に続き、今回。母がマウダにシークを攫うように依頼した事実を聞いてしまった。
とんでもない大事になっている。どうしたらいいのだろう。どうやって、母を止めたらいいのだろう。しかも、父は苦悩していた。自分達を母が駒扱いしていることを。
セグは静かに部屋を出た。呆然としながら、暗い廊下を歩いた。母に問いただしたいが、そうすればシークを窮地に追いやるかもしれない。バムスの計算を狂わせることになるかもしれないのだ。
なんせ、母は優しい父に毒を盛って毒殺しようとしているようだから。
昔は母のことは好きだった。いつから、嫌いになっただろうか。父のことは今でも好きだ。シークのことだって同じだ。世話をしてくれた優しい兄だ。従兄と言っても兄と同じだ。二人で一緒に書斎に入り浸って本を読んだ。本当は今だって本当の兄達より、一番好きな兄だ。
いつの間にか涙が頬を伝っていた。
もう、後戻りはできない。戻れないほどに、道が違えてしまっていた。
セグは一人、呆然と空を見上げた。




