ヴァドサ家の騒動 9
ビレスは深く頭を下げ、妻を始め子供達もそれに習う。
「それから、私はシークにサプリュに戻ったら結婚するように命じた。何でも任務に就く前に勝手に婚約を破棄したそうで、それならば婚約の破棄の破棄をせよと伝えた。そういえば、婚約者に宛てた恋文の添削はしたか、バムス?」
恋文の添削、その言葉にケイレを始め、三人の息子達は、はっとした。そういうことだったのか…!と初めて理解する。兄のシークが妙な手紙をアミラに宛てて送ってきた。あまりにも甘ったるい蜜たっぷりの菓子のような、彼らしからぬ手紙に、家族は頭を悩ませた。
「はい。致しました。私が指導した通りに彼が書いたので、普通の音信を尋ねる手紙がきちんと恋文になりました。」
バムスが蕩けるような笑みを浮かべて答える。
「夫人よ、読んだか?」
王はケイレと息子達の様子を見て、読んだことを確信していたが、わざと尋ねた。ビレスはきょとんとしているので、彼にはそのことを伝えていないのが分かる。
「……え、あーその、あまりにも、いつもの息子の手紙とはかけ離れており、婚約者のアミラが心配して、わたしに見せたのですが、わたしもよく分からず、この息子達と共に何かあったのかと考えました。」
ケイレの答えに思わず、王は爆笑した。
「バムス、何と書いたのだ?夫人を身代わりに申してみよ。」
「陛下、さすがにそれでは悪ふざけが過ぎるかと。」
「ふむ。だからといって、ビレスに言うわけにもいくまい。」
王は何が何でもバムスが何と書いたのか、知りたいらしかった。
「…それでは、手紙を持って参りますか?」
ケイレは思い付いて言ってみたが、バムスは多くの女性を虜にしてきた最上の微笑みでにっこりした。多くの他の男性にしてみれば、自分の女を取られる最悪の笑みであるが、しかし、実際には多くのバムス憎しの敵意を持った男性でさえも、思わず見とれてしまうような笑みである。
「そのような手間をかけずとも覚えています。」
そして、それはケイレにも通用した。思わず頬を赤らめ、目をしばたたかせて慌ててうつむいて目をそらす。
「ふむ。やはり、夫人を相手に何と書いたか申してみよ。最初の触りだけでも構わん。」
王はなぜかそれにこだわり、もう一度言い出した。
「しかし、陛下。」
バムスは言いながら、目線をビレスに移す。
「ふむ。ビレス、少しの間、夫人を借りるが、それくらいで怒らないだろう?」
王に言われれば、嫌ですなどと言えない。戸惑いながら、ビレスは頷く。
「…はあ、はい。」
王にやれ、と目線で命令され、仕方なくバムスは立ち上がり、まずはビレスの前で謝罪する。
「申し訳ありません、総領殿。奥方殿をお借りします。」
ビレスもバムスが乗り気でないのは分かっているので、謝られたら許可しないわけにもいかなかった。やはり、戸惑ったまま頷いた。
「はい。」
バムスはケイレの前に片膝をついて座り、彼女の手を取って両手で包むように握った。
「私の愛しい人よ、何ヶ月もあなたに会うことが出来ず、私の胸の内は激しい大火のように、あなたを思う気持ちで焼け、溶けて無くなってしまいそうです。」
出だしを聞いただけで、ビレスの目が点になり、バムスを振り返ってまじまじと見つめた。ケイレもギークもナークもイーグも、内容を知っていたが、バムスが口にすると、何だか妙に恥ずかしくなり、思わず彼を凝視した。うつむいていたケイレは思わず顔を上げてしまい、バムスと目が合ってしまったので、硬直した。
あたかも本当に愛している妻か誰かに、しかも二人っきりで囁いているかのように、じっと熱い目線で見つめられるので、固まってしまったのだ。夫にそんな甘い言葉を言われたこともなく、そんなに熱い目線で見つめられたこともない。びっくりしてしまった。
「愛しい人よ、あなたはお元気でしょうか。あなたの側にいたくて、夜な夜なあなたと過ごす夢をみます。あなたが私を見つめて、恥じらいながらも私に手を伸ばしてくれた時のことを忘れられません。せめて私の魂があなたの元に飛んで行けたらいいのに。あぁ、私に羽があれば、あなたの側に飛んでいけるのに。」
バムスが言うと、恋文というより詩のようだった。その上、なぜか彼が言うとおかしくない。シークが言っているかと思えば、ギークもナークもイーグも爆笑したに違いないが、バムスが言うと、似合っているのがおかしい。その上、一種独特の空気が漂う。ふんわりとした何かに包まれて、実際には見えないのだが、何かキラキラしたようなモノが一体に輝いているかのような感じだ。
彼は何か特別なものを持っているのか。持っているとしたら、恥ずかしいと思う、羞恥心を持っていないのが強み、というものを持っているのだ。
ヴァドサ家の男性陣は、呆然としてバムスを見つめた。
「私の身にも様々な試練が降りかかりましたが、心配しないで下さい。私は一時もあなたのことを忘れたことがありません。確かに試練は荒れ狂う波のように、次々と私の身に降りかかりました。でも、一心にあなたを思う愛で、全てを乗り越えました。」
ケイレはバムスの声を聞いているうちに、心臓がドキドキしてきて心拍数が上がり、息が普通に出来なくなった。とうとうケイレは後ろに倒れた。
「母上!」
「ケイレ、大丈夫か!?」
息子達と夫が慌ててケイレを支えようとしたが、驚きのあまり出遅れていた。一番最初に支えたのは、ケイレの両手を握っていたバムスで、かっこよくさっと背中に手を回して助けた。
「ヴァドサ夫人、大丈夫ですか?」
最上の麗しい笑みで尋ねられても、ケイレは呆然としていた。いや、余計に呆然としていた。
大丈夫ですかじゃない、お前のせいだ、と息子達は言いたかったが、王が命じたのだったとかろうじて思い出した。
その王はといえば、単純に悪ふざけしただけではなかった。この家族がどういう反応を示すのか観察していたのだ。
「ヴァドサ夫人、しっかり。」
ケイレは遠くにバムスの声が聞こえた。そのうち、母上、母上、と呼ぶ息子達の声が聞こえ、バムスの向こう側に目をまん丸にした夫の顔が見えて、ケイレはようやく夢見心地だった目が覚めて、現実の世界に引き戻された。バムスに抱きかかえられていることに気がつき、慌てて体を起こそうとすると、息子達が支えてくれた。
「も、申し訳ありません…!わたしは、なんてことを!」
ケイレは慌ててバムスに謝罪した。恥ずかしさのあまり、全身が火が出るように熱い。穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。
「いいえ、何も問題ありませんよ、ヴァドサ夫人。」
穏やかな目で微笑まれ、ケイレはまた心拍が上がっていくのを感じた。急いで目をそらして、うつむき呼吸を整える。
「ふむ。さすがはバムス。そのような文章、シークが書けるはずもないわ。」
王は一人で満足げに笑いをかみ殺している。ビレスは困り果て、息子達は特にギークは憮然としていた。バムスは苦笑しながら自分の席に戻る。




