教訓、五。部下にも魔の手は伸びる。 7
一同はその声の主を見つめた。ダロスだった。
「なりません、若様。私は過ちを犯しました。死罪をお許し頂いただけで十分にお報い下さっているのに、それ以上のことをお受けするわけには参りません。私は若様を売ろうとしたのです。そんな者のために、御自ら危険なことをなさってはなりません…!」
ダロスは双眸を涙で揺らしながら、はっきり若様を見つめて告げる。
「…でも。」
「でもではありません。だめです。人形で十分です。若様がそのようなことをなさってはなりません。危ないことをさせられません。昼間だって危なかったでしょう。どうか、大人の言うことを聞いて下さい。」
きっと、ダロスは妹と重なっているのだろう。きっぱり言われて若様は唇を尖らせた。
「だって、それが終わったらいなくなっちゃうんでしょ…! クビになっちゃうんでしょ! それは嫌だ…! せっかく、みんなと仲良くなれそうなのに…!」
そう言ってフォーリのマントに顔を埋めた。誰もすぐには言葉を出せなかった。みんなと仲良くなれそうなのに…。その言葉が妙に胸に突き刺さる。誰も友人がいないから、余計にそうなのだろう。
「…ねえ、叔父上には内緒にしたらだめなの?フォーリ?」
ぐずぐずと湿った声で若様はフォーリに聞く。フォーリは困ったような表情をしていたが、優しく若様の頭をぽんと撫でた。
「若様がそれでよろしいなら、構いません。ただ、フェリムの処遇についてはヴァドサに聞かなくてはなりません。」
「…本当?ヴァドサ隊長がいいって言ったらいいんだね?」
若様はフォーリのマントから顔を上げ、涙で潤んだ瞳で嬉しそうに頬を染めて尋ねる。少年趣味があるとかないとかの次元を超えて、可愛らしすぎる。性別を超えて神がかった愛らしさだ。
(これは、まともに見たらいかん。)
シークは急いで視線をそらし、うつむいて指示を待った。
「ね、ヴァドサ隊長、今日のことは叔父上に報告しないで。だって、報告しちゃったらフェリムを罰しないといけなくなっちゃう。そうなったら、新しい人員を補充しないといけないでしょ。もしかしたら、もっと叔母上から指示を受けている人が来るかもしれないよ。」
シークはダロスを見やった。ダロスも驚いている。若様は実に賢い少年だ。そういうことにすぐに頭が回る。そういう事情がある以上、罪を犯しても隊をやめさせることができないことに、シークは気がついていなかった。
「…確かに若様が仰ることにも一理あります。ですが、身代わりは人形です。若様ご自身が行かれてはなりません。」
「…うん、分かった。」
若様が頷いたので、シークは敬礼した。ダロスも同じように敬礼する。
「若様。寛大なお心でフェリムの罪をお許し頂き、まことに感謝申し上げます。なんとお礼を申し上げたら良いのか、本当に言葉も見つかりません。」
ふふ、と若様が笑った。
「見つかってるよ、言葉。」
計りかねて思わず顔を上げてしまった。途端、後悔した。まっすぐに若様と視線が合ってしまう。
「…だって、お礼、言ってるよ。」
「!そういうことでしたか。気が回らず申し訳ありません。」
生真面目に頭を下げるシークに向かって気配が動いてきた。目の前に若様が立っている。
「…お金は私が払う。」
突然、さっきよりも凜とした声で言ったので、頭に意味が到達するまで少し時間がかかった。
「え!?」
シークもダロスも仰天して顔を上げ、若様を見つめた。すぐ側でじっとシークを見つめている。こんなに驚いていなければ、あまりの可愛らしい美しさに魂が抜けてしまうかもしれない。それくらいの近さだ。もし、王宮なら何度叱責を受けたか分からないだろう。
「だって、私を攫おうとした原因は借金なのでしょう?お金を払わない限り、解決したことにはならない。」
「で、ですが…!なぜ、若様が払うのですか?私が払うならまだしも!」
慌ててシークが言うと、隣のダロスはもっと慌てた声で言った。
「そ…そ、そうです!隊長に払って頂くのだって、心苦しいのに、ましてや若様に払って頂くなんてそんなことできません!」
「なんで?私が払えば問題ないよ。結婚のためのお金を使ったらだめだよ。」
「え?!私は婚約を破棄したんですよ!」
シークは狼狽えて唾を飛ばしながら大声を出してしまう。
「でも、取っておいた方がいいよ。二人の様子を見ても、その人と結婚した方がいいと思う。」
若様は言うとフォーリを見上げて彼のマントを引っ張った。もっと幼い子がするような行動だが、なぜか若様がしても変ではなかった。
「やっぱり、フォーリ、払ってあげて。」
呆然としていたシークは急いでフォーリを見上げた。フォーリと視線が合ったが、彼はすぐに若様に視線を移し、頭を下げた。
「若様の仰せの通りに致します。」
シークとダロスは目を白黒させた。
「やっぱり、話したら真面目な人達だもん、この人達ほどいい人は来ないかもしれない。」
若様が言ったこの言葉を聞いてシークは気が付いた。ダロスは隣でただただ呆然としている。
(まさか…。今の金の話は試験だった?)
そう思った瞬間、背中に冷や汗がつっと流れた。ついつい、可愛らしい容姿と可哀想な過去に気を取られ、他の所に目が行きにくい。だが…きっとそうだ。わざと金を払うと若様は言ったのだ。そして、シークとダロスの反応を見た。素の反応を見て、払うかどうか決めた。そして、フォーリも分かっているから素直に従った。
可愛らしい顔で自然に試された。しかも、試された方は試験だと気が付いていない。シークだって最後の言葉ではっとしたものの、ダロスのように聞き流す可能性もあった。
(…これが王子。)
王太子もただならぬ存在感があった。そして、この過酷な運命にある王子も例外なくその血筋を引いている。
だから、王妃は刺客を送るのだ。息子である王太子に引けを取らぬ賢さを持っているから。
シークは呆然としているダロスと共に、深々と若様に頭を下げて礼を言った。