シェリアの祝儀 1
シークはシェリアの部屋から出て来ると、思わず大きく息を吐いた。
出発前の世話になった挨拶をした。明日、出発することになっている。何か言われたりされたりするのではないかと緊張したが、思ったより大したことはなかった。
彼女が具合悪いという噂は、この屋敷内にずっと流れていた。自分のせいらしい、ということは分かっていたので少し気まずくはあったが、傍目には若様を忠実に守っているのに、王の気まぐれな怒りを買って、厳しく叱責されて鞭打たれた話も流れていたので、屋敷内の人々の視線は気の毒そうなものそのものだった。
そもそも、領主のシェリアに好かれて迫られている噂も流れていて、シークは居心地は良くなかったが、真面目に任務をこなすしかないと思い、噂を気にせずに真面目に仕事を続けたので、侍女や侍従達、そして、手合わせをして以降からは、領主兵達、みんなの視線が好奇の目とは違うものになっていた。
そこに、毒事件や王がやってきた事件などが立て続けに置き、みんなシークに対して気の毒そうな顔になっていた。
いよいよ出発が近くなってきたので、主立った人達にはみんなに挨拶をして回った。シークだけでなく、隊員達も連れて挨拶回りをして回った。そして、最後にシェリアに挨拶をしたのだった。
シェリアは気だるげに長椅子に座っていた。彼女が美しいのは間違いない。陰のある顔で座っているが、それが余計に美しさを際だたせているようだった。
「ノンプディ殿、いよいよ明日、出発致します。今までお世話になりました。また、私のことでご心配をおかけしたようで、申し訳ありません。」
「……いいんですのよ。」
彼女は潤んだ瞳でシークを見上げた。妓楼出身のトゥインが、シークがここに来る前に、モナや数人に言われてやってきて、妙な指導をした。
『ノンプディ殿が涙を見せても、泣いてすがっても無視して下さい。それが、彼女の作戦です。隊長が女子供に弱いということを、最大限に生かす作戦ですから。必要事項だけ伝えて、きっぱりした態度で去って下さい。たとえ、倒れかかっても助けないで下さい。それが、彼女の作戦です。
具合悪いというのも、隊長の気を引くための作戦の可能性もあります。』
そ…そこまでするのだろうか?と思ったが、トゥインはすかさずシークの思いを見抜き、鋭く言った。
『隊長。女性を侮ってはいけません。これは…女の戦いです。気に入った殿方を決して逃がさないという、女性の戦いで普通に使われる作戦です。じっと潤んだ瞳で見つめるなんて、朝飯前ですよ。かよわい女性を演じ、男心をくすぐり、守ってやろうと思わせる。
女性達の美しい衣装や、化粧、香水や香油などは、彼女たちの鎧であり武具です。それらを巧みに操るための戦略も、昔から練りに練られて今日に至っています。男達の戦いと何ら変わらない激しさを持っているんです…!いいですね、隊長、決して油断してはいけません…!』
トゥインは妙に力説した。トゥインが結構良い作戦を立てるのは、もしかしたら妓楼という世界で生きてきたせいかもしれない。この女性達の戦いと戦略と戦術を見て育ったからかもしれない。
トゥインに厳しく言われて、シェリアの部屋にやってきたのだった。
「…それよりも、ヴァドサ殿。お体の方はもう、大丈夫なんですの?」
大丈夫だと言えば、何か妙なことを迫られるかもしれない、とさすがのシークも警戒した。
「…おおよそは。まだ、以前のようには回復していませんが、なんとか動けるようになりました。」
シェリアは潤んだ瞳で頷いた。ふう…と色っぽくため息をつく。
「そうなんですの。申し訳ありませんわ。」
一体、何の謝罪だろうか。
「ベブフフ殿の要請してきた一件、もし、わたくしがしっかりしていれば、そんな妙な要求はねのけてやりましたのに。わたくしが伏せっている間を狙ってしてやられましたわ。きっと、わたくしが伏せっていると知って、要求してきたのでしょう。
とんでもない話です。殿下の護衛である親衛隊に馬を使わせないなど。」
今の一瞬の彼女の目の煌めきは、れっきとした戦士のような目だった。
「その程度の嫌がらせは何ともありません。移動する際には必要ですから、彼らもどうにもならないでしょう。陛下のご命令もありますから、それを盾にしたら彼らも言うことを聞かざるを得ません。ですから、村にいる間の不便くらいは我慢します。街に出れば馬を使えますし。」
シェリアはどこか苛立たしげにため息をついた。
「……どうして…ヴァドサ殿は、そうして引いてしまわれるんですの?もう少し、強く要求してもよろしいのに……。そして…どうして、引いて欲しい時…普通の人なら引く所で引かないんですの?」
おそらく鞭打ちの時の一件について、話していると思われた。どう答えるべきか、返答に困ってしまう。
「……そう言われましても。それに、陛下とお話した時に思ったのです。陛下はある程度、わざと行き過ぎない程度のことは、目をつぶられるのだと。そうでないと、おそらくいきなり大事に展開してしまうからだと思うのです。
ですから、わざと少しのことならさせておく。そういうお考えなのだと思いました。
そのためか、レルスリ殿も最初から、ある程度の嫌がらせは生じると、私に忠告して下さいました。つまり、陛下がいろいろな事を任せておられるレルスリ殿が、そう言われるということは、陛下がある程度のことを黙認されるということだと私は理解しました。」




