教訓、三十二。交渉は結局、妥協でもある。 8
ベリー医師は、一同を観察した。みんな少しどころか寂しそうな表情を浮かべている。
「ヴァドサ隊長にとって、フォーリは一番、気を遣わなくていい相手だ。だって、一番強いから。若様の側にいる人間として、守ればいい人だ。」
みんな少し納得した。確かにそうである。ニピ族なのだから。
「でも、君達は全員、ヴァドサ隊長にとって、守るべき大切な部下達だ。任務を遂行するのは当たり前だが、誰も失わないように守ることを考えている。だから、そんなに寂しそうな顔をしないであげて欲しい。君達のことが二番なんだから。きっと、若様が今は一番になっていると思う。
そうでないと、ヴァドサ隊長が気を抜いて話せる相手がいなくなってしまう。」
みんなは考え込んだ。確かにそうだが、気持ちの中に寂しさはどこかあった。隊長はいつでも、自分達の隊長だと思っていたから。
「みんな、気づいているかな?フォーリがヴァドサ隊長の前では、完全に鉄面皮ではなくなったことを。フォーリの地が出てきたから、ヴァドサ隊長に向かって平気で殺気を放つんだよ。彼ならどんなに殺気を放っても、大丈夫だと安心できるからだろうね。」
ベリー医師の言葉にみんなは、はっとした。
「確かに…そうかもしれません。」
ベイルが呟くように言うと、ベリー医師は続けた。
「いろんな表情をヴァドサ隊長の前では見せる。たぶん、フォーリ自身、気がついてないと思う。ヴァドサ隊長にそこまで心を許していると。ニピ族は警戒心が強い。というか、そのように訓練される。」
ベリー医師のフォーリ自身、気がついていない、という言葉に一同はさらに驚く。
「フォーリはニピ族の中のニピ族だ。そのフォーリが、あんなに好き勝手なことをヴァドサ隊長には言う。私ははっきり言って、そのことの方に驚いた。めったに、ニピ族は自分の本性を現さない。地を見せない。陰で仕えるように訓練されてきている。
だから、余計に主君を失った時の反動の行動を、人々は印象深く覚えている。
そのフォーリが、ヴァドサ隊長には言いたいことを言っている。彼をからかったりしてね。びっくりした。彼の前では平気でいじけてみせるし。」
確かに思い当たる節はあった。でも、そんなに特殊なことだとは思っていなかった。
「みんな、ニピ族と接したことがなかっただろうから、そんなに特別なことだと思っていないんだろうけど、十分に特別なことだ。
めったに、ニピ族は自分達の仲間と主君以外、信じない。主君に殺される可能性があると分かっていても、主君を信じる。それがニピ族だから。そして、自分達の仲間と主君以外は、信頼して大丈夫だろうと思われる人間関係を築いても、信じないのが鉄則。主君と自分の命に関わるから。そのニピ族が、ヴァドサ隊長を信じた。
たぶん、フォーリに言っても、信じてないと言うと思うよ。でも、私に言わせたら、もう遅い。彼はヴァドサ隊長を友人だと思っている。それくらい、信用している。」
ようやく、ベリー医師が言いたいことが見えてきた気がした。フォーリはニピ族の鉄則を破ってまで、シークに心を開いたということだ。
「…先生、それがいけないことなんですか?」
ベリー医師の表情は明るくはなかった。
「ニピ族は情が深い人達だ。だからこそ、自分の主君一人だけを愛するように訓練もされる。主君を一人だけ選ぶのは理由がある。そうでないと、心が別れてしまい、緊急事態に陥った時、誰を助けて良いのか分からなくなってしまう。
時に無情に見えるほど、冷徹だと言えるほど、自分が選んだ一人を守るのは、そうでないと混乱して、どっちも助けようとしてしまう。そして、命を落とす。」
「……不器用な人達なんですね、ニピ族というのは。」
思わずベイルは感想を漏らした。
「そう。とても、不器用な人達。フォーリは少し危ないと思う。しばらく前だけど、ヴァドサ隊長に殺しておきたいと言っていた。おそらく、危険だとフォーリ自身も思っているんだろう。でも、殺したくない。ニピ族としては彼を殺して、みんなとも少し距離を取るのがいいと思っているはずだ。
でも、そうすれば若様のお心を深く傷つけてしまう。だから、生かしている。殺した方がいいというのは、これ以上、親しくなったら本当に危険な状況になり、見捨てなくてはならなくなった時、それができないのではないかと、フォーリ自身、危惧しているからだろう。」
「……先生、フォーリや隊長にそのことを話した方がいいんじゃないんですか?」
ベリー医師は複雑な表情を浮かべた。
「この話をフォーリにしても、フォーリは認めようとしないだろう。それに、ヴァドサ隊長には別の言葉で話して、距離を取るように言っておいた。若様にかこつけてね。
君達に事実を話しているのは、君達の隊長にどうやって話すかが分からなかったからだ。フォーリがいざという時、ヴァドサ隊長を見捨てられないかもしれないから、今のうちに、これ以上親しくならないうちに殺しておこうという、複雑なニピ族の心情と悩みをどうやって伝えるかということだ。そんなことを言ったら、ヴァドサ隊長はどれほど悩むだろう。
そう思えば、彼に事実は打ち明けられないし、かと言ってニピ族の複雑な心情と悩みは放置しておいていいものでもない。誰かが理解しておかなくてはならない。
君達のうちの誰に話しておくかと思ったけれど、全員に話しておくことにした。君達、全員この話を聞いたんだから、私と共犯になるんだからね。」
「……先生、共犯って。」
「だってね、ニピ族の性格を臭いほど知っている私達からしたら、非常に危険だ。本当なら、親衛隊を代えるなり、隊長の交代なりさせるべきだと私も思う。
でも、若様を守る任務上、それは難しいし、何より陛下のご命令もあるから、不可能だ。だからだよ。
だから、それにかこつけて、見守っているんだ。二人の友情を。人である以上、誰でも孤独な戦いは辛い。」
考えてみれば、フォーリはずっと二年以上孤独な戦いをしてきたのだろう。ベリー医師がついているとはいえ。戦ってきたのはフォーリだ。
「共にいわば前線で戦う仲間を得てしまって、フォーリは戸惑っているし、失いたくない。それだけなら良かったけど、個人的にも友情が芽生えてしまった。」
「…先生、やはり、危険だと思われるなら、フォーリにそれ以上、親しくならないように踏みとどまるように伝えるべきでは?本当なら友情が芽生えることは、喜ばしいことのはずなのに。難しい人達なんですね、ニピ族っていうのは。」
ベイルが言うと、ベリー医師は頷いた。
「私は止めたくないんだ、二人が友情を築くのを。」
さんざん危険だと言っていたのに、ベリー医師は困ったようにため息をついた。
「だって、人として当たり前のことだろう。気の合う人同士が友情を築いていくのは。それに、あんなに楽しそうなフォーリの顔を見たことがないんだよ。」
みんなその言葉にはっとした。楽しそうなフォーリの顔を見たことがない…。それがどんなに、フォーリにとって若様を守ることが大変だったかを物語っている気がした。
「だから、私は賭けている。」
「何を…ですか?」
「その友情によって、危険を回避し、危機を乗り越えられると。若様を守り切ることができると、二人に証明して貰いたい。任務をまっとうできるのだと。
そして、ニピ族に少し考えを変えるきっかけを作って貰いたいんだ。そうでないと、彼らは自分達がどんなに辛くても、その生き方を頑強に変えようとしないから。」
ベリー医師は苦笑した。
「ちょっと勝手な話だけどね。本当にそう思ってるよ。」
そう言って、ベリー医師は部屋を出て行こうとした。
「そういえば、ベイル君。もう落ち着いたみたいだね。君は優秀な副隊長だ。君がいないと、ヴァドサ隊長は困るんじゃないかな。君がいるから、彼の抜けたところを補佐できているし。案外、彼ドジな所あるよね。間も悪いっていうか。間が悪いんだよ、ほんと。運が良いのか悪いのか、分からない人だよね、彼は。ははは。」
ベイルの肩をポンポンと叩くと、ベリー医師は爽やかに笑いながら立ち去った。
何と言ったら分からず、一同はベリー医師を見送ったのだった。




