教訓、三十二。交渉は結局、妥協でもある。 7
「みんなは私のことで驚いているけど、そもそもフォーリだって子供がいるはずだ。」
ベリー医師はぼやいた。
「!」
この情報は驚きを越えた衝撃だった。
「ニピ族は結婚事情が特殊だから。任務に出るってことは、死に近くなるってことだ。そのため、里から出る前に女性と何人も関係を持って出て来る。女性達が妊娠して子供を産まないと、里から出して貰えない。つまり、任務に出られない。」
みんな目を白黒させて聞いていた。でも、ニピ族と契約を交わしているカートン家一門の医師の話だ。嘘とは思えない。むしろ、驚きの内容だが、信憑性はあるように感じられた。
「子供は弱くて死にやすいから、最低、二人は子供が生まれないと任務に出られない。昔はもっと基準が厳しくて、三人か四人だったらしいから、古い掟を守っているフォーリの里では、たぶん四人くらい生まれてから、出てきたと思うよ。
そうすることで、優秀な若者の子孫が絶えないようにして、里の人間の数を保ち、子孫が断絶しないように管理してきたわけだ。
そうやって生まれた子供は、他の兄姉の子供として育てたりしている。だから、甥ということにして息子であることは、しょっちゅうある話だ。本人もどの女性が産んだ子供が自分の子供か、分からない。わざと任務に行く前だから、知らせない決まりだ。村や里の長老達が厳密に管理している。」
ニピ族の里の事情まで話されると、ニピ族の驚きの行動の理由が分かる。確かにサリカタ王国では、婚約の時点で初夜まで済ませてしまうのが普通だし、できちゃった婚も普通だが、国王軍では厳しく規制されている。婚約なしのできちゃった婚は許されていない。
国王軍は華の職業なので、国王軍に入った若者と結婚するための女性達の競争が激しくなったためである。
そういうことで、おおらかなサリカタ王国でも、一度に多くの女性と関係を持つのは、さすがに良しとはされない。だから、驚いたがニピ族の特殊事情による、特殊な結婚事情と言えるのだろう。
「…ではニピ族は結婚しないんですか?」
モナが尋ねた。
「いいや、するよ。一度、任務で里の外に出た後、帰ることが出来たらさせるんだ。つまり、初めての任務で死ぬことも多くある。結婚というのは、彼らにとって初めての任務に出た後、よく生きて帰ってきた、というお祝いと同時に、一人前のニピ族として認めるという儀式でもある。」
はあ、なるほど、とみんな納得した。結婚一つ、民族によってまるで考え方が変わるものである。
「女の人はどうなんですか?」
今度はロモルが尋ねた。
「女の人は元来、任務に出ることはなかった。男の人の多くが任務で里の外に出て行く。男手がない中で、敵に襲撃された時に里を守るために舞や踊りを身につけていた。
ところが、女性の需要も高まり、女性も任務に出ることになった。でも、そうなると優秀な女性が里の外に出て、死ぬ可能性が出てきた。
任務に行く前に、男みたいに何人も異性を当てがうわけにはいかないから、女性の場合は任務に出る前、既婚未婚の男性にかかわらず、気に入った人との間に子供を産み、一年ほど育ててから、任務に送り出すことにした。
子供を産むと体型も変わるし、産んだ後に体を元に戻すのに時間がかかるから、女性の場合は、任務に出る前に時間がかかる。だから、女性のニピ族が任務に出ていたら、里に子供を置いて任務に出ていると、思った方がいい。男の場合は、分からないようにできるけど、女性の場合は子供を産むから、置いて出て行くという気持ちが強くなるからね。」
それでも、昔からの生き方を変えないで生きているのがニピ族だ。
「…そこまでして、任務に出ているなんて知りませんでした。里を出て行く時、死ぬかもしれないという気持ちと覚悟で、行くことになるんですね。」
ベリー医師は頷いた。
「だからね、フォーリもサグも、君達の隊長殿を気に入っているんだよ。」
「!?」
全員、何で? という疑問が顔に浮かぶ。今までの話の流れとどう関係するのか、いまいち分からない。
「隊長が手合わせしたら強かったからじゃないんですか?」
「もちろん、それもある。でも、ヴァドサ隊長は真面目な人で、この任務に就いてから、いつでも死ぬ覚悟、死ねる覚悟でいるからだ。自分達の生き様と似たものを感じているからだと思う。
そうでなかったら、フォーリは今頃、ヴァドサ隊長を殺しているかもしれない。『若様を盗ろうとしている。』そう言っていたし。
君達も見ただろう。若様が一時、ちょっと心が不安定になった時、ヴァドサ隊長でないと寝なくなった。その時、フォーリがかなり殺気を放っていたはずだ。」
みんなは目をしばたたかせた。
「でも、それって、盗ろうとしているわけではないでしょう?それに、フォーリも確かに殺気立っていましたが、単純に隊長の方ばかりに若様がくっつくからだって思っていました。」
アトーの意見に、みんな頷いた。
「そうじゃないんだな、ニピ族の考えは。自分の主の心が他に向き始めたら、その相手が“敵”になるんだよ。主を盗もうとしている“敵”だと思うんだなー。でも、フォーリ自身もヴァドサ隊長を気に入っているから、殺すに殺せないんだ。おかしいことに。はははは。」
何もおかしくない。というか、笑うところなのか、そこは。それどころか、みんなは今日、どれほど驚いたか分からないが、今日一番、背中がぞっとした。
「…た…隊長、そしたら、凄く危ないんじゃ?」
「実は…フォーリのヤツ、毎日、隊長を殺す機会をうかがってるってことか?」
みんなはシークが殺されやしないかと不安になった。なんせ、最強の武術を持っているというニピ族なのだ。何とも不可思議な思考と心持ちの人々である。いや…不可思議ではない。強烈な嫉妬心だ。
「まま、そう心配しなくて大丈夫だろう。この間、ヴァドサ隊長が機嫌を損ねたことがあったんだけど、フォーリが慌てて機嫌を直そうとしていたから、大丈夫だ。」
初めて聞く話にみんな仰天した。
「…隊長が機嫌を損ねたんですか?口では言ってみても、本気で機嫌を損ねるって珍しいって思うんですけど。」
思わずベイルが言うと、ベリー医師も頷いた。
「そうですな。しばらく、お冠でいじけてました。フォーリもサグも、本気で機嫌を直すのに必死になってた。」
「隊長が珍しい。私達の前では決して、そこまでいじけるなんてないのに。一体、何の話をしたんですか?」
「いや、それは言えないな。ちょっと可哀想だし。わざわざ言うわけにはいかない。」
びっくりして尋ねたベイルの質問に、返ってきた答えを聞いて一同は納得した。
「そうですね。ああ、びっくりした。」
「その後、あの御仁は一人で納得しちゃって、解決、まあ、二人ともほっとしてた。だから、フォーリは屈折しているけど、本気でヴァドサ隊長を殺せない。大事な友になっていると思うよ。」
「…友ですか?隊長も…そう思っているんでしょうか…。」
ベイルは少し寂しく思って聞いてしまった。ベリー医師は、そんなベイルに微笑んだ。
「しょうがないよ、君達は部下だから。そして、ヴァドサ隊長もおそらく、フォーリのことは友だと思っていると私は思う。二人とも言いたいことをお互いに言っているし。楽しそうだ。」




