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教訓、三十二。交渉は結局、妥協でもある。 6

「……そういう先生はどうなんですか?」

 どうも、はっきり言ってしまう一人、イワナプ・ジラーがベリー医師に尋ねた。ウィットは納得できないという表情をして黙り込んでいる。

「私?妻子はサプリュにいるよ。子育ては妻に任せっぱなしだな。ははは。妻も忙しいだろうけど。彼女も医者だから。」

 え?今、なんて?全員が思った。『妻子はサプリュにいるよ。』って言ったよな?みんな、そう思ってお互いに顔を見合わせる。そして、全員がベイルを見つめた。『副隊長、どういうことか聞いて下さい。』手信号が送られる。

 こういう時、結局みんな頼りにするのがベイルである。無難(ぶなん)に聞けるからだ。やっぱり、副隊長がいないとダメだ。と全員が痛感する。みんなの視線を受けて、ベイルは口を開いた。

「……先生、初めてご家族の話を聞きました。奥さんと子供さんがいらっしゃるんですか?」

 ベイルが聞くと、ベリー医師はあれ、という表情を浮かべた。

「あれ、君達に言ってなかったっけ?君達の隊長殿にだけ、辛そうな時に気を紛らわすために話したんだったか。結婚しているよ。今年で……。」

 ベリー医師は腕を組んで考え始めた。

「あれ?今年でうちの子達、何歳になるんだっけ?結局、ヴァドサ隊長には(うそ)の年齢を言ったような気がするなあ。」

 え!? 全員の目が点になった。先生、まさか自分の子供の年齢を忘れたんですか!?

「……先生、じゃあ奥さんは?」

 ベイルが子供の話を置いておいて、代わりにベリー医師の妻について聞くと、またも(うな)り始めた。

「あれ、いくつになったんだっけなー?女に年齢を聞くんじゃないって言われるから、結局、会うたびに聞かないから忘れちゃったな。」

 あれだけ、患者の情報は何も見てなくても覚えているのに…そう、全ての情報を診療記録を見なくても覚えているのではないか、というほど暗記しているので、みんな(おどろ)いていたのに、なぜ、妻子のことを覚えていないのか?薬のことだって同じだ。薬なんかは頭の中に図書館があるのでは、と思うほどのことを覚えている。

 それなのに!それなのに、なぜ、妻子のことは全く何も覚えていないのか?

「……先生、まさか、子供の顔を忘れたとかないだ…ですよね?」

 ずっと黙っていたウィットが聞いた。

「! ……。」

 一瞬(いっしゅん)、ベリー医師は、目を見開いてはっとした。

「…あぁー…忘れちゃったかなぁ。もう、大きくなってるだろうから。それに…家がどこだったかも忘れた。」

 全員、すぐには言葉が出て来なかった。

「えぇぇー!!」

 ほとんど全員、揃って大声を出してしまう。

「あのね、カートン家は家も支給してくれるんだけど、同じような長屋住宅なんだよ。だから、どれが自分の家だったか、結構、前から忘れた。

 いつも、家に帰るたびに違う家の中に入っていって、そこら辺全員、カートン家の家門の医者だから『また、お前、家を忘れたのか。』って言いながら、他の人が連れて行ってくれるから、問題ない。」

「……。」

 みんな(あき)れて声も出せない。つまり、ベリー医師は自分に必要ない情報は覚えない主義なのだ。誰かが連れて行ってくれる、というのは覚える必要がないので、覚えなくていい情報ということらしい。

「……先生、よくご結婚できましたね。」

 思わずベイルも本音で聞いた。

「うん。医師の見習いになってすぐに妻に迫られて結婚した。完全に医師になってからだと、結婚なんて大変だし、早い内にしておいた方が、田舎の両親も安心するだろうと思ってね。」

 この口ぶりからすれば、ベリー医師の妻は姉さん女房という感じがする。

「先生の奥さんは年上の方なんですか?」

「うん、確か十歳ね。いろいろ世話をしてくれそうだから、結婚した。」

「先生、奥さんになんて言われて結婚したんですか?」

 ジラーが尋ねる。

「え?」

 さすがのベリー医師も少し言葉に詰まり、少し恥ずかしそうな表情をした。みんな、なんて言われたのか期待して、ベリー医師の言葉を待ち構える。

「…それが、最高の文句だった。

『あなたの薬の使い方に、雷に打たれたように衝撃(しょうげき)を受けた。普通の人だったら、尻込みしてできないような調合、投与を行える、一見、ただの馬鹿のような肝の太さも素晴らしい。

 成功した時のどうだという、得意げな顔を見るのは腹立たしいから、失敗しろと思うのに、心のどこかで成功して欲しいと願っている自分もいて、複雑な気分にさせる人ね。もの(すご)く悔しいけれど、あなたは天才だと認めるわ。

 だから、私と結婚して欲しい。あなたが私と結婚してくれたら、一生、研究だけ出来る、そんな人生を約束するわ。あなたがやりたいように研究して、勉強して、立派な医師になってちょうだい。そして、出世するのよ…!』

 うん…今、振り返ってみてもいい言葉だったね。」

 想像を(はる)かに超えた結婚の申し込みの文句に、一同は言葉が出なかった。

「妻とは三、四回ほどしか会ったことがなかったけど、結婚を決めた。きっと、こんなにやりたいことができる結婚は、ないと思ったからね。」

 一同は言葉が出て来なかったが、本人達が納得しているのなら、それでいいのだろう。

「……そうだったんですか。それで、先生は好きなことができているんですか?」

「…うん、まあ、そうだね。妻に若様の宮廷医になったって言ったら、左遷の間違いじゃないかって言われたけど、ランゲル先生に頼まれたって言ったら、未来の宮廷医師団長に貸しを作れるなら良かろう、と言って快く送り出してくれた。」

 ランゲル・カートン、彼は現宮廷医師団長ダリル・カートンの息子で、次期宮廷医師団長の呼び声が高い医師である。

 それって“快く”なのかは不明だが、そんな奥さんだから、若様付きの医師をできるのかもしれなかった。それに、ベリー医師の妻は相当しっかりしていそうだ。家では確実にベリー医師は、妻の尻に()かれていそうである。

「ただ、私が結婚して子供がいることは、若様の前では言わないで欲しい。きっと、自分のせいで私が子供と生活できなくなったと思われてしまうから。」

 確かにそれはそうだった。


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