教訓、三十二。交渉は結局、妥協でもある。 5
「コンコン、失礼しますよ。」
その時、ベリー医師が口で扉を叩く音を言って、部屋に入ってきた。
「…先生、どうかなさったんですか?」
ベイルは急いで涙を拭って尋ねる。
「あのね、隊長殿が副隊長殿を心配していたので、様子を見に来たんですよ。」
「…隊長。」
ベイルは思わずうつむいた。その他の一同もはっとしていた。
「隊長殿の言葉をそのまま言うよ。
『先生、きっとベイルのことだから、今回の件でみんなの信頼を失ったに違いないので、副隊長をしていたらいけないと思い、やめると言い出すに違いない。ですが、ベイルのせいではないので、なんとかして彼の気持ちが前向きになれるように、してやって貰えませんか?今回は私が何か言ってもだめなので。』
ということでした。確かに落ち込んでますな、ベイル君。君のせいじゃないのに、とんだとばっちりを食ったね。投げやりで心臓を突き刺されたくらい、びっくりしただろう。それくらい、悲しかったはずだ。」
ベリー医師は、そう言ってベイルの肩を叩いた。
「…先生、私は……。」
それ以上、言葉にならない。なんとか止めていた涙がぼろぼろと溢れ落ちていく。
「苦しかっただろう。泣きたい時は泣くといいよ。心が千々に千切れそうなくらい傷ついたはずだ。隊長殿はね、君が思っているほど傷ついてないよ。もう、慣れちゃったみたい。あの人、打たれ強いねっていうか、鈍いのかな。だから、大丈夫。」
「…先生。」
ベリー医師の軽妙な口調に、ベイルは思わず泣きながら、軽く吹き出した。
「隊長殿の言うとおり、私も君の方が心配だよ。君は若様と出合った頃、はじめの頃だけど、若様がすっと一番、緊張しなかった相手だ。」
ベイルは思わずベリー医師を見つめた。
「……そうなんですか?私はてっきり、隊長かと。」
ベリー医師は首を振った。
「隊長殿に対しては、制服姿がかっこいいから、若様は少し気後れして緊張していた。でも、君に対しては緊張しなかった。馬だって君の馬に、最初に触っただろう?」
そういえば、そうだった。ベイルは思い出した。
「…どうしてなんでしょう?」
「それは、君が若様に一番、心の世界が似ているからだ。繊細なんだ。だからだよ。
最初、隊長殿は君を若様と仲良くさせようとしていた。それはあの人が、若様と君が似ていると見抜いていたからだ。でも、私は反対した。常に若様の側にいる人として、ふさわしくないと判断した。
それは、君が若様と同じように、繊細な部分を持ち合わせているからだ。剣の腕の善し悪しでは、心の世界なんて分からないからね。たとえ、剣が強くても繊細な人はいる。君のように。それを隠すために頑張る人もいる。
繊細な心を持っているのは、罪なことではない。生まれた時から、そういう心を持ち合わせているんだから。
私が反対したのは、若様と君、二人が同時に傷つくような何かが起きた場合、二人とも深く傷ついて、死に迫ってはいけないと思ったからだ。君の剣の腕が悪いと思ったわけではないからね。」
ベリー医師は泣いているベイルの肩をぽんぽんと叩く。
「言っておくけど、君がこのまま副隊長をやめたら、敵の思うつぼだ。きっと、この間のマウダの件、君や隊長殿、隊員の仲をおかしくして、仲間割れさせるための作戦だろうね。現に君は心に衝撃を受けてしまった。
普通だったら、衝撃を受けることなんだけど、君は余計に責任を感じてしまった。伯母だったから余計にね。でも、君が責任を感じるのは変だし、どうやって責任を取るわけ?まさか、伯母さんに会ったら、ブスって刺しちゃう?」
「……。」
「やめときなさい。ね、ここは『伯母さんはブスだ…!』って言うくらいに止めておきなさい。それに、妙なおばさんの話ばかりでなんだけど、おばさんは悪いおばさんばかりじゃないから。いい伯母も叔母もいるからね。」
『伯母さんはブスだ…!』って言うに止めておけと言われても…ベイルは苦笑した。
「…先生、それは分かっています。」
ベイルの答えにベリー医師は、にっこりした。
「それなら、良かったよ。それにしても、隊長殿もだけど、君も優しい人だ。
大抵、自然界の雄は前の他の雄の子供は殺して、自分の植え付けた種の子供を雌に産ませようとするんだけど、そうじゃない雄もたまにいるんだよな。人間も動物だから、本能に忠実な雄も多いから、前妻の子をいじめたりするんだよ。
だけど、ヴァドサ隊長も君も、そんな雄じゃないから良かったよ。自分の本能と欲望にだけ忠実な雄だと、若様の貞操が危なくなるからねえ。」
「……。」
みんな思っていた。なんで、急にこんな話の方向に?真面目な話をしていたはずなのに。
「きっと、ヴァドサ隊長は結婚してもうまくいくだろうね。ベイル君、君もそこそこ上手くいくと思うよ。
みんなもモテたかったら、ヴァドサ隊長の真似をするんだよ。女性陣は本能的に、彼を選ぶわけ。なぜなら、理由の一つに、仮に前の雄の子供がいたとしても、この人なら前の雄の子供を殺されない、という安心感があるから。小さくても、女の子は雌だから、三歳児でも本能的にヴァドサ隊長を選んでるわけさ。
誰に対しても、同じような態度だろう?自分の顔は端正なのに、顔の美醜で判断しないから。それに、頼って大丈夫、という安心感もあるだろうね。」
これは恋愛指南?でも、雄雌って話されるのは…どうも…。




