教訓、五。部下にも魔の手は伸びる。 5
シークはダロスを睨みつけていた。今は怒っていた。悲しみもあった。名乗り出ろと言った時に名乗り出もしなかった。信じてくれていなかったことも分かったし、自分の隊の者が守るべき対象を売ろうとした、ということも悲しかった。
「答えろ、フェリム!」
シークが数発殴ったので、ダロスの顔は腫れていた。
「なぜ、裏切った!そもそも、なぜ確認した時に名乗り出なかった?妃殿下の指示であろうとなかろうと、そういう働きかけがあった時点で言うべきだった。あの時点で言うことができなかったとしても、あの後にでも言ってくれれば良かった。なぜ、言わなかった?お前がそういう行動を取ったのはなぜだ?その理由を説明しろ!」
「……。」
ダロスは押し黙っている。他の隊員達は隣の部屋にいるが、まる聞こえだろう。この場にはダロスの他にベイル、ダロスの腕の治療にきたベリー医師とフォーリに、仕方なく若様がいた。本当なら若様に取り調べの場にいて欲しくない。なんせ被害者だし、それに何より心が傷ついている少年だ。そんな場面を見せたくなかった。
しかし、フォーリは尋問をしたいことがあるし、ベリー医師もダロスの腕を治療する必要もあり、さらに無関係でもないから立ち会う必要もあり、そして、二人がこの場にいるなら若様も一緒にいるしかなかった。
自分の隊の者が若様を攫おうとしたのだ。取り調べの間、別の部屋にいて貰い、その間は自分の隊の者が護衛するとはシークも言えなかった。
「…ヴァドサ。私が質問してもいいか?」
今まで黙っていたフォーリが聞いてきた。彼には質問する権利がある。シークは頷いた。
「いいだろう。」
場所を譲って数歩下がった。若様はベリー医師の後ろに隠れるようにして立っている。少し怯えているようにも見えた。守ってくれようとしている人達だと思い、信じようとしてくれたのに裏切ってしまった。せっかく開きかけた心を傷つけてしまった。そう思えばシークはとても申し訳なかった。
「お前、いくら貰った?」
その言葉に初めてダロスが反応を示した。思わずという感じでフォーリを見上げる。
「お前達の素性はこっちでも調べさせて貰っている。全員ではないが、お前のことについてはある程度情報が入ってきた。危険人物から先に連絡が入るようになっている。」
フォーリの言葉にシークは、緊張と驚きで彼を凝視した。なんだと、と思う一方で、ニピ族の情報網はどうなっているのだろうとも思う。つまり、首府のサプリュで護衛がシークの隊に決まった時から、情報は集められてフォーリに順番に入っているということだろうか。
隊員達の知らない情報も入っているということなのか。それらを知るのは怖くもあった。
「隊長のヴァドサに内緒にしている情報も入ってきている。お前の父親が知人の保証人になっており、借金を被ったな?
三スクル支払わなければならず、庶民がそれだけを支払うのは無理だ。なんとか、お前の働きなども含めて一スクルは返したが、後二スクルの支払いの期限が半月後に迫っている。」
ダロスの顔色が蒼白になった。まさか、知っているとは思わなかったという表情だ。フォーリの言葉にシークも驚愕してダロスを見つめた。思わずフォーリを押しのけてダロスの前に立った。
「お前、今の話は本当なのか?」
ダロスはうつむいて震えている。
「おい、答えろ、フェリム!」
シークはダロスの胸ぐらをつかんで怒鳴った。
「…私はお前達、みんなを信じていた。誇りを持っていいと思っていた。出世は上手くできなかったが、それでも志だけは高く、胸を張れる隊員達に恵まれていると信じていた。それなのに、なぜ、そんなことに手を出した?二スクルのためか?」
「……隊長、申し訳ありません。どういうヤツらかは分かりません。ですが、家の借金のことを知っていました。そして、隙を見て若様を攫ってこいと言ったんです。
最初に一スクル渡されて、受け取ってしまった。返すべきだって分かっていたのに、受け取ったらだめだって分かっていたのに、それを実家に送ってしまった。コニュータに来てから指示されて、隊長がいない間に話をつけて…それで、攫ってきてヤツらに若様を引き渡したら後、二スクルを受け取る約束だったんです。
日時は指定されていませんでした。とにかくカートン家の駅から連れて出て行けば、向こうの方から出向いてくると言ってきました。それで、様子を覗っていたんです。そんなに急ぐつもりもありませんでした。
ですが、今日の昼間に事件があったので…もし、他の刺客に殺されてしまったらどうにもならないと思ったので、夕方に実行しようと思ったんです。」
「つまり、昼間の男とは別だと?」
シークが怒りを堪えながら確認すると、ダロスは頷いた。
「お前、取引をした相手に何か他に特徴はないのか?」
フォーリが冷たい声で尋ねる。本当は殺したい所を我慢しているのだろう。
「……。」
「おい、答えろ。私はお前のことでフォーリに言い訳の一つもできない。だから、彼の質問には必ず答えろ。」
ダロスの双眸が揺らいだ。
「…隊長。申し訳ありません。隊長にご迷惑をおかけしたくなかった。取引の相手については、本当に分かりません。ただ、何かの組織のようではありました。指示も若様を攫って、とにかく駅を出て来いというものだったので。それ以上は分かりません。」
「フェリム…。本当に私に迷惑をかけたくなかったのなら、なぜ、言わなかった?相談すれば良かった。確かに二スクルは大きい。ちょっとした大金だ。だが、たった二スクルだぞ。それのために、お前は人生を棒に振るんだ!それだけで済む話か?
そもそも、守るべき対象を攫うとは何事だ!私達は信頼を受けている。誰から信頼を受けているのか、陛下からだぞ…!
たった二スクルだ! それくらい、私が出してやった! それで、部下が人生を狂わせるより遙かにましだからな!」
「だから、言いたくなかったんです!」
ダロスが初めて大きな声を出した。
「隊長に言えば、それくらい出してやるって言われることくらい、分かっていました…! だから、言いたくなかった。隊長が…博打でクビになったザルスにも、家族が路頭に迷わないように、いくらか渡してやっていたのを知っていました。でも、ザルスは結局あの金で博打をしに行ったんですよ…!
あの金がなんなのか知っているから、言えませんでした…! 結婚のための準備の金だって知っているから、言えなかったんです。」
シークは泣きたい気分になった。いい部下だ。上司の自分を慮って一人で問題を抱え込んで…。でも、一言相談して欲しかった。どうして、相談してくれなかったのだろう。いや、自分も悪かった。早めに言っておけば良かった。
そうすれば、ダロスも過ちを犯す前に思いとどまってくれたかもしれない。シークは目を瞑ってため息をつくと、縛られて膝をついているダロスを見下ろした。
「…早めに言っておけば良かった。」
声が掠れてしまい、格好が付かない。
「任務に就く前に婚約は破棄してきた。」
「! え!?」
ベイルとダロスが同時に声を上げた。
「ど、どうしてですか、隊長! アミラさんは納得したんですか!? 二年も待ってたのに!」
ベイルが珍しく勢い込んで聞いてきた。
「そうですよ、隊長、あんなにいい人なのに、隊長にふさわしい人はアミラさんくらいですよ!」
ダロスも自分の今の立場を忘れたのか、大声を上げた。
「アミラはいい女だ。私にはもったいないくらいだ。だからこそ婚約を破棄した。この任務は何年続くか分からない。結婚しても一人で寂しい思いをさせる。結婚しなくても、何年も婚約の状態で待たせてしまう。その間に婚期を逃してしまうだろう。若くて美しい時代を待たせるだけになってしまう。だから、婚約を破棄してきた。
婚約を破棄すれば、私よりもいい人を見つけて結婚できる。」