マウダ事件が起きた時のこと。 4
「!」
シークとマウダの少年の二人は、同時に落ち葉に滑ってお互いに組み合ったまま、後ろに転んだ。そして、そのままシークは組み敷かれかけたが、足技で向こうに投げ飛ばした。ちょうどマウダの面々の方に転がり、相手はすぐに受け身を取って立ち上がった。
シークも急いで立ち上がる。
「お待ちを。」
マウダの声の低い男が、少年を止める。前に出てきた声の低い男の顔には、刀傷があった。それが凄味を増している。体制を整えたら、また向かって来そうだった少年は男を見上げ、それからマントを目深に被り直した。
「ヴァドサ・シーク、あなたは強い。私の急襲を躱したのだから。これで、取り逃がしても仕方ないと頭領も納得するだろう。」
彼は言って行きかけたが、振り返った。
「久しぶりに楽しかった。」
そして、少し考えてから口にした。
「…実はあなたを攫うように依頼したのは、ルマカダ家から嫁いだあなたの叔母です。よほど、あなたの才能が妬ましいのでしょう。自分の息子達が出世できないのは、あなたのせいだと思いたいようです。」
思わずシークは息を呑んで、相手を凝視した。王妃は関係なかったらしい。
「傷ついたでしょう?私も傷つきました。」
「それ以上は…!」
マントの少年に声の低い男が厳しく戒める。
「分かっている。」
彼は言って、今度こそ身を翻した。声の低い男を始め、彼を守るように取り囲む。死んだだろう仲間の遺体は他の者が運び、怪我をしただろう者も一緒に去って行く。
しばらく、シークは彼らが去った後を凝視していた。マウダに攫われずに済んだが、後に苦いものが残る。
叔母がシークを攫うように依頼した事実。よく考えれば、若様とかなり似た境遇だった。そして、十剣術の間で噂になった大事件。わざわざ言われれば、傷ついたことを意識させられる、私も『傷ついた。』という言葉。
「……彼は噂の人でしょうか。」
サグがぽつりと言った。
「ヴァドサ、大丈夫か?」
フォーリが隣に立って聞いてきた。
「……大丈夫と言えば大丈夫だが、大丈夫じゃないと言えば大丈夫じゃない。」
「…なぞなぞか?」
「…何とも言いがたい、難しい心境だ。複雑な気分だ。」
「最初から一番最後の部分だけでいいだろう。」
シークは複雑な気分で泣きたくなった。叔母はそこまで、自分のことが嫌いだったのか。そこまで、息子達よりも出世したことが許せないのか。身内同士で、ただの一度もシークのことを褒めてくれたことも、喜んでくれたこともなかった。何をやっても叔母には、責められた。叔母の息子達がしでかした過ちは、みんなシークのせいにされた。
そして、妬みなんかのために、シークを攫うように依頼した。今回はフォーリとサグのおかげで助かったが、成功した事例を知っている。
その事例が、さっきの少年だろうか。十剣術の一つ、ヨリクン流の時期総領に指名されていた少年が、マウダに攫われたのだ。年齢的にも間違いなさそうだった。
「……あの子は…どう思った?」
フォーリが静かに聞いてきた。
「間違いないと思う。あの短刀の使い方は、ヨリクン流だと思う。」
何とも言えなかった。マウダという伝説の人攫いの組織の一端が見えたのだ。攫われた人が、マウダの一員になっている事実が。
「……かわいそうに。」
思わずシークは言った。若様と大して年齢が変わらないように見えた。
「お前、たった今、同じようになる所だったんだぞ。」
フォーリが呆れたように言った。
「分かっている。だが…あの子は私を助けてくれた。わざと対戦して、勝てないから仕方ないという状況を作って。」
「あれは護衛というより、逃亡の阻止のように見えましたね。あの子が決して逃げないように。」
「私もそう思いました。」
サグの言葉にシークは同意した。
「行こう。」
しばらく呆然としていたシークは、二人を促した。
「大丈夫か?」
もう何度目かになる問いをフォーリにされて、シークは苦笑した。
「気を使わせてすまない。何とか大丈夫だ。それに、陛下と約束した。身内との不和を解消すると。これ以上、ないくらいにとんでもない事実が見えた。だが、落ち込んでもいられない。気になることがある。」
三人は走り出した。
「…ベイルか?」
フォーリが聞いてきた。サグも驚かないので、調べて知っているのだろう、身内同士だということは。
「そうだ。きっと、わざと私に誰が攫うように言ったのだと思う。そうだとすると、向こうにいるベイルにも、同じ事を言った可能性が高い。ベイルの方がより、責任感を感じてしまうだろう。ベイルのせいじゃないのに、ベイルの伯母が私を攫うように言ったのだから。もしかしたら、私より傷ついたかもしれない。
たぶん、私とベイルの関係をわざと言って、隊の中に不和を起こす目的があるのかと思う。妃殿下が関係なかったように思えたが、本当にそうなのかどうか。」
「確かに、そうですね。」
サグもフォーリもシークの意見と同じだった。
「とにかく、急がないと。」
そう言って走ったが、シークは一番最後を走っていた。サグがみんながどこにいるか、案内してくれた。しかし、息が続かず途中で走れなくなり、歩きながらぼんやり姿が見えてきたみんなに近づいた。話し声が聞こえてくる。
すると、シークが危惧した通りだった。ベイルが衝撃を受けて、剣に手をかけ、斬ろうとしたのを若様が止めていた。
フォーリがびっくりして若様の成長に感動しつつ、危ないとぼやいた。そして、ギン、とシークを睨み、さっさとあれを何とかしろと殺気を飛ばしてくる。シークは最近、フォーリの殺気に慣れっこになった。
「…分かっている。だから、そう睨むな。な、落ち着け。」
思わずウィットか誰かに言うように言ってしまう。フォーリはムッとした様子で、何か言い返そうとしたが、もう、若様達のすぐ側だったので、飲み込んでいた。サグが思わず吹き出しかけたのを堪えている。きっと、余計に腹が立っただろう。後で喧嘩しなければ良いが。
「行くぞ。」
シークが気を取り直して言うと、二人も一緒に走り出し、飛刀と呼ばれている小刀を投げた。
そうして、若様達の前に出て行ったという次第だった。




