マウダ事件が起きた時のこと。 3
だが、途中でシークは落ち葉で滑って転んだ。大体、シークはニピ族ほど、夜目がきかない。暗闇の中、木立に激突しなかっただけましだと思おうとしたが、なんて情けない。しかし、嘆いている暇はない。
素早く起き上がって、息を整えると後ろを振り返った。
「お前達…!これ以上、追ってくるな…!死にたくなければ、下がれ!私も無駄な血を流したくない。できるならば、下がって欲しい。」
シークの言葉にニピ族の二人が急いでやってきた。
「お前、相手はマウダだぞ。」
フォーリが驚き、シークの肩を掴んだ。
「知っている。だが、それがどうした?お前達の間には何かあるようだが、私にはそんなもの関係ない。こうして、攫おうとしているのだから、抵抗するのは当たり前だ。それに、私は親衛隊の隊長だ。簡単に攫われるわけにはいかない。
それに、このままだと若様のところに、これ達を連れていくことになるんだぞ。」
フォーリに言った後、目の前のマウダの一員らしき者達に向かってさらに言う。
「すまないが、もう少し前の私なら手加減できたが、今は全くできないから、思いっきり行く。そうなれば、死ぬだろう。」
剣の柄に手をかける。
「本当に斬るんですか?」
サグも驚く。
「話して去ってくれるわけでもなく、私を攫うのが目的なら斬るしかないでしょう。」
サグに伝えた後、取り囲んでいるマウダの一員らしき者達にさらに続けた。
「死にたくなければ、去れ。私も斬りたくない。だが、攫われるわけにはいかない。ずっと追ってくるなら、こうするしかない。」
シークは剣を静かに抜いた。呼吸を整え、静かに取り囲んでいる者達を見据えた。暗闇の中、ぼんやりとその姿を捕らえることが出来るだけだ。相手の呼吸を見極める。久しぶりの実戦で、しかも、体がすっかり弱ってから初めてだ。
以前より慎重にならなければならない。相手の呼吸を大事にする。長老達は力は若者達より、かなり弱くなっているのに、強かった。相手の呼吸を知り、上手く合わせてしまうからだ。焦らず長老達の教えを守れば大丈夫だ。
シークは落ち葉が踏まれる微かな音を聞き取った。まずは右側。打ち込んできた動きを読んで半歩躱し、横っ腹を剣で叩いた。相手が倒れた所で体を反転させ、数歩進んで次に向かってきた者の臑をかすり、胴を叩く。剣の横っ腹で叩いているが、鉄の棒で叩いているのと同じだ。かなり痛むだろう。
三人目は左に向きざまにまっすぐ剣の腹で面を打った。打ち所が悪くて死ぬかもしれない。それくらい、上手く入った。地面に倒れた者達を避けて、横に移動する。
だが、次は手加減ができなかった。暗がりの中、何かが飛んできて思わず避けた直後の攻撃で、それを躱した後、まっすぐ剣を振り下ろした。その手ごたえから、斬ってしまったことが分かった。血の臭いが漂い始める。
残りの者がかかろうとした所で、待ったがかかった。
「待て。」
静かにまだ若そうな声が、マウダ達を止めた。あまりに若い声に、シークとフォーリとサグの三人は驚いた。
向こう側の奥にいるようだが、ぼんやりとしか見えない。静かにやってきたが、驚くほど気配なく足音がほとんどしなかった。ニピ族の二人が声を出すまで、気がつかなかったようだ。それくらい、気配がない。
相当の武術の遣い手だとシークは警戒した。まだ、若いがかなりの腕だ。決して油断は許されない。だが、彼が近くまで来て、その身長にさらに驚いた。かなり低い。まだ少年に間違いなさそうである。シークの肩ほどの身長だろうか。
「…だが、いいのか?取り逃がすことになる。」
ようやくマウダの二人目…いや三人目の声がした。
それに対して、少年らしきマウダの人物が答える。マントを目深に被っているように見える彼は、どう聞いても、まだ少年のような若さの声だ。
「予想と違うことが起きたら、撤収しろと言われていた。今、予想外のことが起きている。ニピ族が二人も助けに来た。頭領の作戦が見破られたということだ。そして、助け出された本人に私達はやられている。しかも、手加減していた。本気の殺意が見えない状態でこれでは、本気を出されたらもっと被害が大きくなる。」
「引け。」
もう一人、マントを目深に被っている若そうな男の隣に、ぼんやりと別の男が立った姿が見えた。その男の低い声の命令に従い、マウダの一同が一斉に引いた。
「あなたとは…。」
その少年が近づいてきた。一定の距離を保って立つ。
「もっと元気な時に、手合わせをしてみたかった。ニピ族達があなたに敬意を払っている。よほどの遣い手とお見受けする。噂は正しいようだ。」
「…噂?」
シークはまさか、と思いながら尋ねた。
「ニピ族五人と手合わせして勝ったとか互角だったとか。ただ、その後に毒を盛られたり、国王陛下の怒りをかって鞭打たれたりしたそうで。」
やはり、そういう噂か。裏の人々の情報収集能力には驚嘆するばかりだ。
「だから、今の私には勝てないはず。」
後ろのマウダの面々がはっとしたようだった。シークにはその理由は分からないが、とっさに相手の手首を掴み、その攻撃を躱した。
「……ふ、ふふふ。さすがはヴァドサ流の剣士だ。私の急襲を躱すなんて。躱されるのは久しぶりだ。この柔術技がやっかいだな。」
少年のマントが少し取れた。闇になれた目には、少しの月明かりで彼の容姿が見えた。ちょうど木漏れ日のようにうっすらした月明かりが、雲が晴れて射してきたのだ。
少年は驚くほど、男か女か分からない柔和な顔立ちをしている。若様とは傾向が違う美少年だ。若様に見慣れていなければ、みとれてしまうかもしれないほど整っていた。
(…リタ族か?)
彼はまだ若いが、マウダの中で特別に大切にされているように感じる。後ろの声の低い男がやきもきしているような様子を見せた。
「…君は、まさか。」
十剣術の間で噂になった、ある大事件を思い出し、シークは思わず口に出しかけた。
「余計なことは言わない方がいい。そうして下さい。」
彼は組み合っている状態を利用して、シークの耳元で囁いた。よく分からないが、彼はシークを助けようとしてくれているのか。
「もう少し、揉み合って下さい。」
彼は言うなり、さらに技をかけてきた。体術技でシークの腕から抜けていこうとする。少年だからといって、油断はならない。いや、油断できる状況ではない。相当の武術の天才だ。こっちの動きを読んで動いてきて、的確に急所を打ってこようとする。
それを抑え、決して短刀を持つ右手を自由にさせない。高い武術の技を持った者同士なので、自然と激しく揉み合った。
何も知らなければ、何をしているのか分からないはずだ。体をくっつけて、犬みたいにぐるぐる回っているようにしか見えないだろう。だが、ここには武術の素人はいなかったので、みんな固唾を呑んでその成り行きを見守った。




