教訓、三十一。以前と違う自分を把握すべし。 10
一触即発の空気になった時、若様の
「ねえ、待って…!」
という声が響いた。シークの後ろから、フォーリと出てきて横に並ぶ。
「ねえ、おじさん。」
はたして、おじさんとは誰のことなのか、一瞬、みんな戸惑った。が、自然とマウダの頭領らしき男に目線が行く。
「…もしかして、おじさんは私か?」
マウダの頭領らしき男が、自分を指さして若様に確認すると、若様は大きく頷いた。
「…王子様、一体、何の用ですか?」
「……おじさんは…マウダの人…なんでしょ?」
マウダの頭領らしき男は頷いた。
「そうですよ。」
「……さっき、…言ってた。マウダは……王族と……に、ニピ族…が……護衛している…人は…攫わないって。…か…カートン家の…お医者さん…と…関係者も…攫わないって。」
「ええ。確かにそう言いました。それが、マウダの掟ですから。」
すると、若様はぎゅっとフォーリのマントを握り、少しだけ身を乗り出した。
「……そ…そしたら…その人…か……カートン家の…関係者だよ。……だって…ベリー先生の…患者だったもん。」
「王子様。元患者は関係者にはなりません。患者を入れたら、膨大な数になるんでね。」
「……で…でも……そしたら、わ……私の関係者だよ……。だって…その人…いなくなったら…ば…ヴァドサ隊長が…悲しむし…私も…嫌だもん。…も…もしかしたら…また…上手く…話せなくなって…べ…ベリー先生が…困る…ようになる…かもしれないよ。
……それに…ニピ族が…怒るよ。…フォーリも…サグ…も…ヴァドサ隊長が…好きなんだよ…。ぐ…具合が…毒で悪くなる……前には…とても…強かったから…。もっと…本当は……手合わせを…したかったの。
フォーリ…もサグも…本当は…怒ってるんだよ…。…面倒なことを…したって……。なんで…こんな…時にやってくるんだって…。」
若様は今、懸命にロルを助けようと、自分を引き合いに出して、カートン家のベリー医師が困るとか、ニピ族を使って怒るからやめろとか、マウダと交渉しようとしている。シークは泣きたくなった。普通に話すのだってやっとなのに。
「王子様。結局の所、何を言いたいんですか?交渉するには、何か持っていないと交渉ってのは成立しないもんです。王子様は何か持っていますか?」
マウダの頭領らしき男は、若様にも遠慮なくぴしゃりと告げる。だが、一度も早く言えとは言わない。最後まで話すのを待っているのは、意外なところだ。
若様はしばらく震えていたが、フォーリのマントを握り直し、顔をさらに上げて、さっきより声を張り上げた。
「……わ…私が…言いたい…のは、…お…オスターって…人を…返せ…。……そ…して、わ…私には…何もないが…セルゲス公という位はある…!」
若様はさらに震えながらも、フォーリのマントは握ったままだったが、前に出た。
「…私は…叔母上の…言われるとおり、役に立たない者だが…血筋だけは…王族の血筋だ…!亡き父上は…王で…叔父上も…王だ…!お前が…攫おうとしている者は…私を護衛する…親衛隊の…者だ…!返せ…!お前もそうやって…私を…愚弄するのか…!」
若様は一呼吸置いた。
「……お前達は…さっき、私の…叔母上は…関係ないと言った。……でも…おかしい。…本当にヴァドサ家の…問題だけで…ヴァドサ隊長を…攫いに来たのなら、なぜ…早く逃げないで…のんきに…問答をしている?
最初は……ヴァドサ隊長を攫う者達を…逃がすためだと…思った。でも…ヴァドサ隊長を…攫うのに失敗した…時点で…なんだかんだ言わずに…その者を担いで……さっさと逃げ出せば良かったはず…。」
確かに若様の指摘通りだった。さっきから、シークも違和感を持っていたことだ。なぜ、さっさと逃げずにこんな問答を繰り返しているのか。疑問だったのだ。
「なるほど、王子様。あの愚かな王妃が警戒するわけだ。なかなかの慧眼だ。」
「…けいがん?」
若様が首を傾げる。
「簡単に言えば、本質を見抜く目を持っているということかな。」
口を開きかけたフォーリではなく、マウダの頭領らしき男が答えた。
「王子様の疑問に答えようか。単なる興味。王妃が嫌う王子様が、どんな器か見に来た。そして、その親衛隊の隊長を攫おうとして、どんな反応を示すのか、攫ったらどうするのか、そんなことを見るのもあった。」
単なる興味だと言われて、若様は戸惑っている。
「王子様。話がある。もし、こっちに来て話すというのなら、こいつは返す。」
「分かった。」
シークやフォーリが口を挟む間もなく、若様は即答した。
「お待ちを、一人なんて危険です。」
フォーリがすかさず反対した。
「分かった、途中までだ。話は王子様一人にだけする。マウダの掟を破る気はないから安心しろ。ここには、ニピ族が二人もいるんだ。お前達の方が分がいいんだからな。」
「フォーリ、来て。」
若様は有無を言わせず、フォーリのマントを引っ張ると、フォーリは若様を抱き上げた。若様は歩いて行くつもりだったようだが、フォーリは何か言って抱いたままだった。相手はマウダだ。若様の美貌に魔が差して、王族なのに攫うかもしれない。それを警戒しているのだろう。
シークも警戒して、すぐに動けるように部下達に指示して彼らの後を距離を置いて追う。当然、ベリー医師もついてきていた。
だが、途中で約束通り若様はフォーリの腕から下りると、一人でマウダの男の元に向かった。フォーリがやきもきしながら、マウダ達を睨みつけている。殺気を隠しもしない。
若様はマウダの男に何か耳元で言われていた。周りにマウダの手下達がいるので、不用意に一定の距離以上近づくことは出来ない。かろうじて、姿が見える所で立ち止まっていた。
若様とフォーリが戻ってきて、担がれていたロルもようやく返された。若様の表情は暗い。男に何を言われたのか分からないが、よくないことだったのだろう。
「それじゃあ、王子様。それと、カートン家の先生。迷惑かけたな。」
マウダの男は若様とベリー医師にだけ挨拶して、去って行った。結局、何をしに来たのか分からない。シークを攫いに来たのも、本当だったのかも分からなかった。
シークは助け出されて、ようやく簀巻きから解放されたロルの無事を確認した後、押し黙っている若様の前に行って、礼を述べた。だが、なぜか若様は意味ありげにシークを見つめた後、うつむいてしまった。思わずフォーリを見るが、フォーリも視線をそらした。もしかしたら、ニピ族のフォーリは話していた内容が聞こえたのかもしれない。
変ではあったが、とりあえずその晩の騒動はようやく終わったのだった。




