教訓、五。部下にも魔の手は伸びる。 4
ダロスは若様を気絶させた後、一度壁に寄りかからせて座らせ、制服のマントを脱いだ。用意しておいた服の帯を使い、素早く若様を背負うとしっかり体に固定した。そうしておいてもう一度マントを羽織る。ぱっと見ただけでは若様を背負っているとは分からない。
ダロスは階段を下り、仲間達が詰めている部屋の前を通り、出て行った。一人にどこへ行くと聞かれ、笑顔で便所だと答える。
食事中だったのもあり、誰もダロスが若様を背負っているとは気が付かなかった。
堂々と建物を出ると、フォーリと隊長のシークに気づかれないよう、大急ぎで厩舎に向かう。出入り口と真反対の場所で話を始めたのを確認してから、行動した。若様のいた建物から、厩舎まで結構な距離がある。ぼやぼやしていたら見つかる危険があった。だが、走って目立っても、カートン家のニピ族に見つかったらまずい。揺れすぎて背中の若様が目覚めてもまずい。必然的に速歩で歩く速度しか出せなかった。
なんとか厩舎にたどり着き、中の様子を窺うと、ちょうど誰もいなかったので、急いで自分の馬を引き出し、鐙に脚をかけようとした。
ダロスはどきっとした。首筋に冷たい物が静かに突きつけられている。
「馬から離れろ。」
「……。」
声で誰か分かっている。副隊長のベイルだ。もう一人の気配がして、馬の手綱を握った。その時、笛が鳴ったのが遠くから聞こえた。緊急招集の笛だ。ベイルが一人に様子を見に行くように伝え、さっそく走って行く。
辺りは日が落ちかけていて、かなり暗くなっている。建物の陰では暗かった。だが、灯籠が周りに立っているので、ぼんやりとした光が辺りを照らしている。灯籠でできた人陰が馬にかかっていた。
「もう一度言う。馬から離れろ。」
ダロスは考えた。きっと、馬から誰なのか分かっているはずだ。国王軍の制服を着ている。マントは異様に膨らんでいるだろう。二人ならなんとかなるだろうか。もう、後戻りはできないのだ。進むしかない。
「……。」
閉じているマントをめくり、剣を抜くか。いや、剣なら副隊長のベイルの方が早いし、上手くて強い。それよりも、柔術技でいった方が勝ち目がある。
「フェリム…! 馬から離れろ…!」
やはりベイルは誰か分かっていたのだ。固く目を閉じて息を吐いた。こうなったら、素早く二人を倒すしかない。それとも、馬に無理矢理乗っていくか。
手綱に手をかけ、引っ張った。強く引っ張られてヒヒィン!と馬がいなないく。さらに鞍に手をかけようとした途端、左腕を何かがかすった。
「!」
直後に斬られたのだと気が付く。血が流れて思わず、右手で押さえた。馬は完全に取り押さえれてしまう。馬もいなくなり、ベイルがうつむいているダロスの正面に立った。
「背中の物はなんだ?答えろ!」
ベイルはめったに怒らないが、めったに怒らない人が怒ると迫力がある。ベイルの怒鳴り声に数頭の馬がいなないて、厩舎の中が騒がしくなる。
左腕の傷はけっこう深いようだ。押さえていても血が指先から滴り落ちていく。
「答えないんだな。仕方ない。どんな事情があるか知らないが…もう、隊長に報告するしかない。ハクテス、笛を吹け。」
ベイルの指示に従い、ロモルが笛を鋭く吹いた。
「…う、ううん。」
笛の音で気が付いたのか、背中の若様が呻いた。笛の音の直後の静かな時に、若様の声は妙に大きく聞こえた。暗い中でもベイルとロモルの顔色が明らかに変わった。
ダロスはその隙に走り出した。
「待て!」
すぐにベイルが追いついて進路を塞ぐ。だが、先ほどより剣が鈍い。背中の若様を気遣い、思いっきり振れないからだ。
これなら、行ける!ダロスが思ったのは瞬間だけだった。思わずベイルの後ろを凝視した。一瞬、なんの獣かと思った。よく見れば人影だったが、物凄い殺気だ。本能的に恐怖がくる。後ろに後ずさって逃げ出したい衝動に駆られる。
ベイルがただならぬ気配に振り返った。その姿を確認し、思わず進路を譲る。
「待て、フォーリ、背中に若様が!」
ふわっと舞を舞い、宙を滑るように間合いを詰めてきたフォーリにベイルが叫んだ。フォーリは無言でダロスのみぞおちを鉄扇で突いた。激痛とともに目の前が真っ暗になった。
気絶したダロスをフォーリは抱え、後ろのベイルを振り返った。ベイルは慌ててフォーリに駆け寄り、ダロスの体を支えた。
「んー? な、なに、これ? あれ、さっき…。」
若様が目覚めて混乱した声を上げている。
「若様、ご無事ですか?」
フォーリは急いでダロスのマントを剥ぐと、背中に負われている若様を助けた。帯で縛られているので、急いで帯を取る。
「…フォーリ。私は…さっき、本を借りに行こうと思って、外に出たらフェリムって人に会って、一緒に行ってくれるって…。でも、誰かに首を絞められて気絶しちゃった。」
「若様、ご無事で何よりでした。」
若様は不思議そうに倒れている男を眺めた。
「…あれ、この人、さっきの……。」
そう言って、表情を曇らせる。フェリム・ダロスだと気が付いたのだろう。
そこにシーク達がやってきたのだった。