教訓、三十一。以前と違う自分を把握すべし。 8
ベイルが一歩、前に出ようとした瞬間だった。
「行っちゃだめ…!」
若様がベイルの腰に抱きついた。今までベイルのマントの端を握ったりはあったが、直接、抱きつくということはなかったので、ベイルはびっくりして、思わずびくっとして動きを止めた。
「……。」
何も言えずにベイルは、詰めていた息を吐いた。
「だめ…!」
何をだめと若様が言っているのか、ベイルには分かっていた。明らかに目の前の男を殺そうと思った。自分の感情のままに剣を振ろうとした。
若様は、それをだめだと言っている。
「ベイル…お前のせいじゃない。」
「!」
若様の言葉に、マウダの面々以外、全員がはっとさせられた。若様の口調は、シークそのものだった。
「…ヴァドサ隊長なら…きっとそう言うよ。…私にもそう言ってくれる。ベイル副隊長にも同じだよ。」
「…若様。」
ベイルは嗚咽を堪えきれなくなった。左手は剣に添えたまま、右手で顔を覆って涙を拭った。伯母の犯した大きな過ちに…若様の優しさに胸を打たれ…何を言えばいいのか、いや、何を感じたらいいのかさえ、すぐには分からなかった。
怒りに悲しみ、寂しさ、それにシークや部下達からの信頼を失ったと思う喪失感、そして、若様の優しさ。全てがない交ぜになって、ベイルの心の中で渦巻いていた。
その時、目の前のマウダの集団が一斉に動いた。ずっと軽い調子で話している男を守るように、守りを固める。
「その通りです、若様…!」
シークの声が響き、同時に何かが飛んでいった。フォーリとサグが飛ばした、飛刀と呼ばれる投げ専用の小刀だ。
先にニピ族二人が到着し、シークは少し遅れて追いついた。三人の姿にベイルにひっついていた若様が、急いで離れてシークの元に走り寄った。フォーリがそれを見て、む、と眉間に皺を寄せる。若様の手前、不満そうな表情は見せない。
「…ヴァドサ隊長、良かった、無事だったんだね…!」
まだ、本調子ではないシークは、久しぶりに敵を倒した後に全力疾走してきて、膝に手をついて息をしていたが、急いで息を整えて、若様の顔を見つめる。
「はい…フォーリのおかげで助かりました。サグも助けに走って来てくれたので、早く助け出して貰えました。ご心配をおかけしました。」
若様は暗がりの中、嬉しそうに笑った。
「良かった、少し元気になってる。」
「…元気になったというより、怒っているんです。」
怒っているという言葉に、若様が悲しげな表情を浮かべた。
「若様、先ほどは助かりました。私の言葉を代弁して下さいました。」
若様がじっと、両目を見開いてシークを見上げた。
「剣の師匠として、一度だけ言います。」
若様がおずおずと頷いた。
「よくやった。」
そう言って、頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。若様はびっくりした後、両手を頭に乗せて、へへへ、と照れながら嬉しそうに破顔する。フォーリがそれを見て、完全に不機嫌になった。
それから、シークはベイルの前に立った。
「ベイル、お前のせいじゃない。」
ベイルの肩に手を置いて言うと、ベイルは顔を歪めてさらに泣き出した。
「……ですが…!私の伯母です!……なんで、そんな…!」
後は言葉にならない。
「…私がもっと、叔母や従兄弟達と話をするべきだった。なぜ、理不尽なことばかり要求されるのか、不思議がるばかりで、きちんと話したことがなかった。」
でも、ベイルには分かっている。伯母には理屈の通る話が無理だと。
「私は…叔母や従兄弟達と不和を解いておくべきだった。こうなる前に、そうするべきだった。それなのに、身内同士なのに距離を置いていた。だから、私は陛下にもそう申し上げた。
身内との不和を解消すべきだったし、そうしたいと。」
ベイルが泣きながらはっとする。他の隊員達も、若様もみんなそうだ。
「陛下はそれを許可して下さった。ただし、必ずそれを成し遂げろと。もし、できなかったら、従兄弟達を厳罰に処すと。だから、私は帰ったら、必ず従兄弟達や伯母と話をしなくてはならない。
私は自分に怒っている。こんなことをしてしまう前に、時間がある時にそうしておくべきだったと。」
シークはベイルとしっかり視線を合わせた。
「だから、ベイル、お前は気にするな。お前のせいではない。気にする気持ちは分かる。でも、責任を感じないで欲しい。」
シークはベイルを抱擁して、背中をポンポンと叩いた。
「………隊長。」
「ん?」
「臭いです。」
ベイルに涙声で指摘され、シークは苦笑して身を離した。
「やっぱりか。さっき、生ゴミを運ぶ荷車に押し込められたせいだ。」
さっき、フォーリがどっかから拾って手渡された(おそらく生ゴミの荷車から拾っただろう。)麻紐で適当に髪を結んで、ぼさぼさになっている頭をシークは掻いて、マウダの面々を振り返って見据えた。
「それで、お前達、オスターを返せ。」
「……やっかいだなぁ。柔術技が面倒だから、簡単に抜けられないように、鎖でがんじがらめに縛ったのに。あの鍵を開けるなんて、ニピ族って泥棒の才能があるんじゃないのか。」
距離を取ったマウダの、この場で中心の男が言った。
「さすがにフォーリ一人では難しかったようだ。サグが助けに来てくれたから、私は助かった。」
シークの説明に男は頷いた。




