教訓、三十一。以前と違う自分を把握すべし。 7
残ったベリー医師とサグの会話に、ベイル達は首を傾げた。
「どういうことですか、先生?」
隊員の一人が尋ねる。伝説の人攫い集団を前にして、否応なしに緊張が高まっている。
「私達は騙されたんだよ。さすがはマウダといったところだ。」
ベリー医師の言葉を聞いても、男は動揺すらしなかった。
「ほう。カートン家の先生はさすがに気がついたか。」
ベリー医師は硬い表情で、男を睨みつけた。
「その布団にくるまっているのは、ヴァドサ隊長ではないな?ロルじゃないのか?どうりで妙に、こいつにはニピ族もカートン家も関係ないと繰り返し言ったわけだ。そして、もう一つはただの布団。」
「!」
親衛隊に衝撃が走る。
「なんだと?どういうことだ?」
「さあて、どういうことかなあ?知りたかったら、こいつを取り返してから、判断するんだな。」
男は余裕で、手下達を振り返った。
「お前ら、分かってるな?ちょっくら遊んでやるぞ。」
「ふざけたことを!」
親衛隊の誰かが言ったが、言った人間とは別の誰かが暗闇の中、さっと走り抜けた。
ギン、と一瞬、火花が散ったように見えた。剣と剣がぶつかり合う。二、三回剣がひらめき、マウダの方が押されて後ろに下がり、間合いを取った。直後に剣を持ったまま腕を押さえる。血が出ているようだ。
「おう、さすがは親衛隊だ。遊びの次元が違う。きっちり練兵されてるじゃねえか。なんせ、くそ真面目な隊長の部隊だからなぁ。お前ら死なねぇようにな。気ぃ抜くなよ。」
男は口調だけは穏やかだが、その目が鋭くなっていた。ようやく腰に下げている剣の柄に手をかける。
「ねえ、待って!」
一触即発の空気の中、若様が突然、声を上げた。
「…ヴァドサ隊長はどこなの?どうして、ヴァドサ隊長を攫おうとしているの?」
フォーリもおらず仕方なしにこの場では、一番慣れているベイルのマントの端を少しだけ握って、彼の後ろに隠れたまま若様は尋ねた。
「王子様…か。」
男は言って、剣の柄から手を放した。
「王子様。俺達のことが分かるか?」
「……ま……マ…ウダ…でしょ?」
若様は急に緊張して、途切れ途切れに答える。
「その通り。金さえ払えば、どんな状況のどんな人間でも攫うのが、俺達。ただし、王族とニピ族が護衛している人間とニピ族、そして、カートン家に関わる者は攫わない。これがマウダの掟でさ。」
「………お……叔母………上…のせいなの?」
若様は震えながら尋ねた。すると、男は鋭い目のまま、頭を掻いた。
「王子様の叔母上って、つまり、王妃様ってことか?」
若様は頷いた。すると、男が笑った。
「違う、違う。ぜんぜん関係ない。関係あるとすれば叔母繋がりか。」
混乱する若様と親衛隊。だが、ベイルは一人青ざめた。そして、隊員の健康管理のため、少しは事情を知っていたベリー医師は眉をひそめた。
「………ど…どういう……意味?」
若様の問いに男は笑って答える。
「王子様がつかまってる、その副隊長に聞いた方がいいと思うぞ。ヴァドサ・シークの叔母、旧姓チャルナ・ルマカダからの依頼だ。つまり、ヴァドサ家とルマカダ家は身内同士。結婚という繋がりのな。その副隊長のベイル・ルマカダの伯母でもある。だから、隊長と副隊長は、はとこ同士ってことか。
どうだ?自分の伯母が、はとこで隊長を攫えと言ったという事実を知った気持ちは?めったにない修羅場だな。興味がある。」
ベイルは全身を小刻みに震わせた。信じられなかった。伯母がそこまでするのかと。
前から知ってはいた。ヴァドサ家に嫁に行った伯母が、てっきり総領の嫁になれると思っていたのに、なれないと知ってからヴァドサ家で問題を起こし続けていることを。
伯母は長女で甘やかされて育ち、両親がなだめすかして嘘も方便で、つい口から出任せで言ってしまったことを、本気にしていたのだ。本当は総領の嫁にはなれないことを知らなかった。婚約してから違うと分かり、大騒ぎしたのである。当然、ヴァドサ家では分かっているものと思っていたから、びっくりした。
破談にすると言ったが、ルマカダ家の方でというか、伯母チャルナの両親が、このわがまま具合でどこにも嫁のもらい手がないと泣きついて、そのまま結婚をごり押しした。ヴァドサ家も仲人の面子を立てたり、ルマカダ家の面子も立てなくてはならない、そういった事情から断り切れず、そのまま結婚が成立した。
だが、当初心配した予想通り、伯母は不満たらたらで、ことあるごとに総領の正妻であるシークの母やその妹の叔母に当たった。
そして、シークに剣術の才能があるということで、特別に扱われていると不満を募らせ、シークに取り分け当たるようになった。子供達にも、シークに言いがかりをつけるように仕向けた。
だから、従兄弟達との仲が悪いのだ。本当は仲良くしたいのに、子供達は母の面倒な追求を逃れるとか、そういったこともあり、我慢してくれるシークに対してきつく当たった。
ベイルはそういう事情を知っていた。だから、余計に隊員達に自分達の関係を話さなかった。シークの従兄弟達が起こした事件は、ベイルだって驚いていたし、傷ついていた。
誰の差し金か分かっていたから。だから、叔母上がそうしたのか、と聞く若様の気持ちが痛いほど分かった。辛かった。だが、ベイルは辛いことを客観的に、人ごとのようにとらえる癖があった。だから、今まで比較的淡々と落ち着いて、冷静に任務をこなしてこれたのである。
それに淡々としていなければ、シークが気にすると分かっていた。ベイルの方が申し訳ないのに、シークの方が申し訳ないと言うから、自分の気持ちを押し隠していた。
だが、今はさすがのベイルも、激しく動揺した。涙を堪えられない。
「どういう気持ちだ?伯母が甥を攫えと言った状況を。なんか、王子様と似たような境遇だな?そう思わないか、王子様?」
「黙れ!!!」
ベイルは悲鳴を上げるようにして、怒鳴った。隊員達が呆然とする。ほとんどが知らなかった隊長と副隊長の関係に驚いている。そして、ベイルの激しいむき出しの感情にも。
「黙れ!黙れ!」
ベイルは怒鳴りながら、拳を握り、男を睨みつけた。隊員の三人が持っているランプの光が揺れた。灯りの場所はばらけているので、一カ所に三つあるわけではなかった。風が吹いたのだ。ベイルの顔に作る陰も揺れる。
カチャッ、と微かな音がして、一同はベイルの行動を見守った。マウダは攻撃に警戒して、隊員達はベイルの異変を察知して。
「…副隊長。」
誰かが不安げに声を漏らした。なぜなら、今のベイルからは明らかなる殺意が見えるからだ。シークにウィットを斬れと命じられた時は、手が震えていたのに、今、剣の柄を握っている手には震えがない。
対峙している男の口の端が上がった。ふん、と鼻で笑うが目は笑っていない。ベイルの目にある微かな闇を確実に見抜いていた。同じ闇に生きる者として。




