教訓、三十一。以前と違う自分を把握すべし。 2
「“もう少し”ねぇ。何がもう少しですか。風邪引いてどうするんですか。」
結局、風邪を引きかけ、ベリー医師に叱られた。くしゃみを連発して、心配したサグに途中で終わらせられた。若様はもっとしたかったらしいが、フォーリもシークのくしゃみの連発にまずいと判断し、終わるように諭した。それでも、ベリー医師にたっぷり絞られる。
「…すみません。でも、前はこの程度で風邪なんか引かなかったのに。」
ベリー医師が困ったようにため息をついた。
「…まだ若くて元気だったから、仕方ないか。年取った老人でも、自分の体の衰えについて、把握できないものですからね。」
ベリー医師の言いたいことは、祖父の行動を見れば分かる気がした。前総領だった祖父は父にその座を譲った後、好きなことをして暮らしているが、最近、年を取って好きなように動けなくなってきている。
「あなたの場合、病で弱った人と同じようなものです。つまり、病気は病のせいで、極端に体が弱くなってなかなか体が回復しなかったりします。あなたの場合は、毒で病にかかった時と同じ状況になっているのです。強制的に体を弱らせられたんです。死ななかっただけありがたいと思って、弱くなった体と付き合っていくしかありません。
私からしたら、あなたの回復具合は驚異的な早さですよ。地道に努力を続けたら、おおよそ回復するでしょう。最初が十だとしたら、七くらいに回復できたら凄いものです。あなたは零になる寸前まで、体力が落ち込んだんですから。今は数値をつけるなら、三から四くらいでしょうかね。もう少し忍耐して、半分くらいに復活したら、出発できます。
でも、明日は安静にしてなさい。少しも油断はできないんですから。」
ベリー医師のありがたい言葉を静かに頂戴して、シークは休んだ。結局、医務室が自分の部屋と化している。部屋を衝立で仕切っているだけだが、シェリアの隣の部屋より落ち着いた。
そのシェリアは、シークが鞭打たれてからというもの、姿を見ていなかった。どうやら、心労で寝込んでいるらしいとは聞いていた。シークがボルピスに反論したりしたため、生きた心地がしなかったらしい。
シークが若様から解放された後、ある程度その疲れも取れて回復のきざしが見えてきた頃、帰る前のバムスが見舞いにやってきた。
「本当にヴァドサ殿には、驚かされます。」
開口一番、バムスは言った。シークはうつ伏せに横になったまま、腹や胸の間、顎の下に枕やクッションを入れた状態で話すしかなかった。
「…レルスリ殿、このような失礼な姿で申し訳ありません。」
いいや、とバムスは手を振った。
「この数ヶ月の間に、こんなに何度もヴァドサ殿の見舞いに訪れることになるとは、思いもしませんでした。」
「申し訳ありません。」
シークが重ね重ね謝罪すると、バムスは苦笑した。
「…私が言いたいのは…謝罪して欲しいということではありません。そうではなく、意外なことが二つあったと言いたいんです。」
「意外なことですか?」
「ええ。一つ目はあなたがこんなに、殿下のために命を賭けられる人だとは思わなかったという意外。もう一つは、目的のためならしつこく狙ってくる者がいるという意外です。」
バムスは非常に論理的で理性的な人だ。
「ヴァドサ殿は、あなたがしつこく狙われた理由を分かっていますか?」
シークはバムスが何を言いたいのか考えてから、口を開く。
バムスは分かりきった答えを聞きたいわけではない。つまり、セルゲス公の親衛隊の隊長だから、という答えではないということだ。別の面から…というとシークには、戦略的に考えついたことしか分からなかった。
「…私にはよく分かりませんが……私に考えつくことは、『将を得んと欲すればまず馬を射よ。』ということくらいでしょうか。そのために、私をしつこく狙った。戦略的には合理的かと思います。」
バムスは深く頷いた。
「さすがです。私もそれを思っていました。おそらく、これからヴァドサ殿には手を出さないようになるでしょう。まったくとはいかなくても、出しにくくなります。なぜなら、陛下がヴァドサ家を含め、十剣術を政に巻き込まないように、厳重に注意なさったからです。妃殿下にもきつく言われることでしょう。
ですから、これから狙われるとすれば、お分かりですね。今度は彼の方が狙われることになると思います。」
つまり、これから先、同じ戦略で狙うとすれば、シークではなくフォーリの方を狙うようになるはずだと、バムスは言っている。
「これから行く所について、ベブフフ殿と話をしました。」
さすがバムスである。いかにも一癖ありそうなラスーカから、聞き出したのだ。
「どういう所なのでしょうか?」
「ご覚悟を。相当の田舎に送るそうです。まず、あなた達に対する嫌がらせです。特にヴァドサ殿に対するものです。あなたがサプリュ出身で、田舎の暮らしに不慣れだと考えて、田舎に送るそうですから。」
「……はあ。そうですか。」
そんな言葉しか出て来ない。みんなヴァドサ家がサプリュにあり広大な敷地面積を所有しているからと、ヴァドサ家の者が贅沢しているとか、どうせ坊ちゃんだろうとか、よく言われるが実際には違う。
ヴァドサ家は古い。家の建物も古い。真夏は暑く、風も通る工夫はあって涼しいが、そのかわり、真冬は寒い。隙間風から風が吹き込み、雪だって入り込んでくるほどだ。
隙間があって、ねずみが住むので、猫を飼い、敷地内に住み着く野生動物を追い出すために犬も飼っている。屋根裏を蛇が這い、フクロウや貂やイタチも住み着くので、時々、追い出す。
裏庭の畑を耕したり、敷地内に住んでいる住人達と田畑の手入れを頼まれて手伝うこともあるし、敷地内にある山林の手入れもする。小川や田んぼの水路の整備だって手伝う。
サプリュに住んでいるが、大変な田舎暮らしをしている。そこだけ取り残されたように、田舎なのだ。
シークの表情を見たバムスが、くすっと笑った。
「私はヴァドサ家にお邪魔したことがないのですが、尋ねたことのある人の話によると、ヴァドサ家は大変古く、周囲はサプリュだということを忘れるような、田舎の田園地帯の風景が広がっていると聞きました。」
「はい。そうです。私は子どもの頃、サプリュの街の屋敷は、みんな当家のような作りになっていて、庭の他に田畑があるのだと思っていました。ずっと、サプリュ一帯がそういうものだと思っていたんです。
ある日、父に連れられてサプリュ内の別の道場に、交流試合に行きました。一体、この大きな街はどこなんだろうと、父に『この大きな街はどこなんですか?』と尋ねた所、父は困ったような表情で『ここはずっとサプリュだ。』と教えてくれました。」
シークが子供の頃の話をすると、バムスはさらに表情を崩して笑った。
「なるほど。どんな生活をしていたんです?田畑を耕すこともあったんですか?」
「はい。敷地内の人々に頼まれて、手伝うこともありますし、定期的に山林に入って手入れしています。家畜に草を食べさせるために放牧することもありますし。」
バムスは考えるように頷いた。
「なるほど。ヴァドサ家が広大な私有地を所有していることは知っていましたが、使用人に手入れをさせているわけではないんですね?」
「手伝って貰いますが、基本的に自分達でできることは自分達でします。なんでも、共同で作業をします。任せっぱなしにすることはありません。」
シークの答えにバムスは満足したようだった。
「やはり…ヴァドサ殿なら大丈夫でしょう。きっと、ベブフフ殿はあなたが田舎暮らしに慣れておらず、田舎に送れば音を上げると思っているのでしょう。」
相当な田舎に送られるようだ。もしかしたら、部下達の方が音を上げるかもしれないと、内心、シークは少し心配になった。
「ただ、ベブフフ殿もあなたの嫌がらせだけで、田舎に送るわけではないようです。考えがあるのです。」
「…一体、どのようなお考えがあるのでしょうか。」
シークは恐る恐る尋ねた。
「ベブフフ殿が送られる地域は、かつてパルゼ王国からやってきた移民が暮らしている地域です。」
「パルゼ王国ですか?聞いたことはあります。ただ、パルゼ王国から来た人々は閉鎖的で、あまり、サリカン人を村に入れたがらないという話を聞いたことがあります。」
訓練期間が終わって一年ほどの間、シタレの街にいたので、パルゼ王国から来る人々の話も聞いていた。
「それだけではありません。ご存じでしょうが、彼らは母国で貧困の中に暮らしていたせいか、よそから来た人をいじめて溜飲を下げる傾向にある上、男性にも女性にも手が早いということで有名です。」
「…噂には聞いたことがあります。」
シークは答えながら、そんな所に絶世の美少年である若様を送る、ラスーカのことはやはり好きになれないと思う。




