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教訓、三十一。以前と違う自分を把握すべし。 1

 無心で剣を振る。空気が(うな)る音を聞きながら、剣の型を一つ一つ確かめた。自分の体がちゃんと思ったように動くのが、こんなにありがたいのだと思わなかった。

「ようやく戻りましたね。」

 サグである。彼はバムスが帰った後も、主人の命令で残っていた。若様のこともあるし、シークが動けなかったのもある。

「まだまだですが、だいぶ動けるようになりました。」

「それでも、大変な努力を。血の(にじ)むような努力を見てきました。」

 サグの方が感無量という顔をしている。

「サグにも手伝って貰いました。」

 シークは謙遜したが、実際に血反吐(ちへど)を吐くような努力をしたのは事実だった。体を回復させるため、(むち)打たれた後の体の傷が治ってから、毎日、運動を続けた。

 物(すご)く弱っていたので、最初は若様と走ってもかなり遅れをとっていた。そもそも、走ることさえできなかった。屋敷内を歩くことから始まり、体の機能を少しずつ回復させていった。毎日ベリー医師に叱られるほど、動いていた。

 若様には、こっそりということで剣術を教えている。その前のシークの体を回復させるための運動を、若様に一緒にして貰った。最初は叔父に知られないか心配していたが、大丈夫だと繰り返し諭すと一緒にしてくれるようになった。

 若様はあの後、普通に話せるようになったと思ったが、心を許した相手以外には、つっかえるようになってしまっていた。自分はやはり、できそこないなんだと落ち込んでいた。『若様、私を見て下さい。こんなに動けなくなりました。何もできません。一緒です。私と一緒に頑張りましょう。少しずつ、できるようになればいいんです。』

 若様は納得していないようだったが、やってみせるしかないと、シークは努力を続けた。実際の所、若様がいなかったら、こんなに踏ん張れなかったかもしれない。途中で(くじ)けそうになるほど、きついことが何度もあった。(あき)めたら、一生、動けないままだとベリー医師に言われ、根性で頑張った。

 馬の駆ける足音がして振り返る。部下達がブムを走らせているのだ。ブムは放されると呼んでいないのに、シークがどこにいるのか探り当て、走ってくる。

「ブム。」

 呼ぶと嬉しそうに走ってきた。元気な時は何でもないことが、弱ると全くできなかったことがある。その一つが乗馬だ。

 以前は鞍に手をかけただけで、ブムは動き始めていた。弱る前はブムが動いていたって、簡単に(くら)にまたがれたし、二頭の馬を走らせたまま、鞍から鞍に移ることだってできた。ヴァドサ家ではそういう訓練をするので、実に簡単にできていた。

 ところが、回復してから初めて馬に乗ろうとして、鞍に手をかけた途端、ブムが走り出した。(あぶみ)に足さえかけておらず、鞍に手をかけたまま走ることになり『待ってくれ、ブム…!』と言ったが、けっきょく転んだ。ブムはしばらく走ってから『あれ、なんで乗ってないの?』というように立ち止まって振り返っていた。

 部下達も若様もフォーリも見ている前で、みんなに笑われたが、もう恥も外聞もない。動けるだけましで、どうでもよくなっていた。

「よしよし。」

 鼻息をかけてくるブムの鼻面をシークは()でた。しばらくブムは、シークが鞍に手をかけただけで走り出したが、そのたびにシークが乗り遅れ、転んだり鐙に足が引っかかって引きずられたりしたので、ブムも様子が違うと感じ取り、鞍に手をかけただけで走りださなくなった。一応、待て、と教えはしたが、すでに覚えていた。

「隊長、ようやく戻って来ましたね。ブムに乗りますか?」

 ウィットとロモルだった。同じように乗馬が得意な、ビルク・ザンとテルム・ピンヴァーは昨日、ブムを走らせてくれていた。

「そうだな。少しだけ乗って体を慣らす。」

 ベリー医師に叱られるので、決められた時間以上の運動はできないことになっている。シークは毎日のようにベリー医師に叱られていた。たぶん、乗ったら今日もベリー医師に叱られるだろうとは思ったが、早く体を元に戻したかった。急がないといけない、という焦りは確かに少しはある。のんきにはしていられなかった。

 ブムの鼻面を撫でつつ「今から乗るぞ。」と話しかけ、首筋をぽんぽんと軽く叩いて、鞍にまたがった。ブムを歩かせそれから、早足で進み、最後に走らせた。風を感じて走るのが気持ちいい。馬場をぐるっと走らせ、戻ってから馬から下りた。ブムが『もう降りるの?』と物足りなさそうに、ブフーと鼻を鳴らす。

「ごめんな、ブム。もう少し、お前と一緒に走れないようだ。もうしばらく、我慢してくれ。」

 ブムに言い聞かせ、ウィットに(あず)けた。

「隊長以外、乗せないもんな、お前。」

 ウィットがブムに言う。

「私達でも乗せたら、もっと走れるんだぞ。分かってるのか。」

 ウィットはさらにブムに言うが、ブムはフンと鼻を鳴らした。

「なんだ、そんなこと分かってるというような顔して。じゃあ、行くぞ。」

「実際の所、少し運動不足じゃないかと思うんです。」

 ロモルは言った。

「仕方ない。適当に走らせておいてくれ。勝手に走ってるだろうし。」

 シークの言葉にロモルは困ったように頭をかいた。

「ノンプディ家の馬丁達にそう言うんですけど、隊長の馬なので、逃がしちゃいけないって心配しているらしく、放すのに躊躇(ちゅうちょ)するんですよ。帰ってこなくなるんじゃないかと心配しています。

 ブムは賢い分、気難しくもあるので、私かウィット、ザン、ピンヴァー以外は触らせないし、四人の誰かがいる時に放すようにはしています。」

 シークは苦笑した。

「すまん。手間をかけるな。」

「いいですよ。馬だから仕方ないし。」

 ロモルは言って、ウィットを追って他の馬たちも連れて行った。動物だから、余計に前と違って混乱しているのだろう。

 自分自身、以前と違って戸惑うことはある。前と違うことはいくらでもあった。長柄物の練習をしようとして、訓練用の棒をノンプディ家の領主兵に借りたが、とてつもなく重かった。

「これ、重りが入ってますか?」

 と思わず聞いた所、入ってないですよ、と困ったように言われてしまった。

 弓だって、前は外すことなどほとんどなかったのに、最初は半分しか的に当たらなかった。弓を引くこと事態が苦痛だった。

 元気な時はなんでもなくしていたことが、弱った後でやろうとしたら、非常に苦行だった。とんでもない苦行だった。

 元気であるということは、大切なことだと改めて実感した。以前から、病弱な妹がいたので分かっているつもりだったが、自分で体験しているかいないかは、全く違う。

 だから、若様に対しても、以前より寄り添って対応できるようになったと思う。やりたくてもできない、一歩踏み出せない気持ちを、少しは理解できるようになったはずだ。

 若様もシークと一緒に、走ったり剣を振ったりした。最初はおっかなびっくりだったりしていたが、次第に慣れていった。シークの部下達にも、また、最初の時のようにフォーリの陰から話していたが、少しずつまた話せるようになっていった。

 そして、もうじきベブフフ家の所領に行くことになっている。

 季節は秋が深まり始めた。空気も冷たくなってくる。特に山から吹き下ろす風が冷たいのだ。

「空気が冷たくなってきました。大丈夫ですか?」

 サグが心配そうに尋ねた。すっかり病人扱いになっている。シークは苦笑いしたが、弱いということは、そういうことだった。毒ですっかり弱ったのだから、気をつけなくてはいけない。

「大丈夫です。少しずつ慣らさないといけません。」

「しかし、ここの空気の冷たさは特別らしいですよ。なんせ、サリカタ山脈ですから。」

 王国一高い峰峰(みねみね)から吹き下ろす風は、特別に冷たいという。

「そうらしいですね。ベリー先生にもお叱りを受けますから、戻ります。」

 シーク自身としてはもう少し、剣の練習をしたかったが、サグの助言に従い、切り上げることにした。確かに少し立ち話をしている間に、剣を振り、乗馬した時にかいた汗が冷え始めた。

「…あ、ヴァドサ隊長だ。もう、終わっちゃったの?」

 若様が走ってきた。後からフォーリもついてくる。

「お腹痛くなって、(かわや)に行っている間に終わっちゃった。」

 どんなに可愛い顔でも出す物は出します。そんな若様は残念そうな表情をした。

「一緒に練習したかったのに。」

 最近は剣を振る練習も始めたので、それが嬉しいようだ。

「じゃあ、もう少しだけやりましょう。」

「本当、やった。」

 若様は嬉しそうに小さく飛び跳ねた。最近、こういう行動も増えてきて、良かったと思う。だんだん普通の少年に近くなってきた。

「はい。ベリー先生に叱られない程度に。」

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