教訓、五。部下にも魔の手は伸びる。 3
グイニスはベリー医師が厠に行った後、一緒に行ってその帰りに本を借りに行けば良かったと思った。何もなくて暇だったのだ。
昼間にあったことを思えば、一人も少し心細かった。でも、よく知らない人が側にいるのも怖かった。だから、ベリー医師は何度か一人でも大丈夫か、確認してから便所に行った。暇を潰そうと思ったのも、何もしないでいるとかえっていろいろと考えてしまうから、そうしないで済むようにするために本を読もうと思ったのだ。
(誰か一緒に行ってくれるかな。)
グイニスは思い立ち、立ち上がった。
昼間の事件の後、シークが話してくれたことが嬉しかった。あんな風に頭を撫でられたことはなかった。でも、優しくて温かさを感じて、とても嬉しくなった。
(…もし、父上が生きておられたら、あんな感じだったのかな……?)
グイニスが二歳の時に父のウムグ王は崩御した。そして、叔父で宰相であったボルピスが摂政をしていたが、母のリセーナが七歳の時に亡くなり、グイニスが十歳の時、叔父が政変を起こして王位に就いた。
父を二歳で亡くしているので、グイニスには父がどういうものか分からなかった。叔父は政変を起こす前までは、とても優しくて、きっと父はこういうものなんだと、叔父を見て思っていた。でも、政変が起きてからは分からなかった。分からなくなっていた。フォーリも身近にいる人で、兄や父のようであるけれど、少し違うのは分かっている。
ただ一つ、“玉座”というものが人を変える力があるものだ、ということは分かった。そんなに恐ろしいものなら、グイニスは“玉座”などいらないし、座りたくない。おどろおどろしい魔物が棲み着いているような気がする。座った途端、そいつに少しずつ喰われていくような気がする。少なくとも、弱い自分には相応しくないとグイニスは思っていた。
グイニスは部屋の扉を見つめた。ぐしゃぐしゃと撫でてくれた頭に手を置いてみた。大きな掌で、髪の毛を通しても暖かさを感じた。一人でふふ、と笑う。あんなに悲しかったのに、役立たずで生きているだけ無駄だと思ったのに、あれだけで心が軽くなったのだ。
(よし…!)
一人でまだ慣れない親衛隊の護衛兵達に、声をかけるのはとても勇気がいるが、それでも、一つずつできるようになりたかった。シークが焦らず一つずつできるようになればいい、と言ってくれたことが嬉しかったし、安心できた。どうしたらいいか分からないと言ったら、一緒に考えてくれた。それがとても嬉しくて、こそばゆかった。
グイニスは勇気を出して扉を開けた。そっと外の様子を覗う。一人で廊下に出ると扉を閉めた。部屋を出てすぐの廊下には誰もいなかった。進んでいって角を曲がると、そこに何か用事をしに行っていたのか、急いで戻ってきたような気配の兵士が階段を上がってきた所だった。目が合うと一瞬、びっくりしたようだったが笑いかけてきた。
「!びっくりしました。若様、何か御用でもおありですか?」
「……う、うん。その…ベリー先生は今、厠に行っているんだけど……本を……借りに行こうと思って…。そ、それで…一緒に行ってくれる人を……探してるんだ。」
グイニスはかなり頑張って、なんとか最後まで話した。目を合わせると話しづらいので、目をそらしてうつむきかげんだったが、どうにか最後まで言いたいことを話した。
「そうですか。分かりました。私でよろしければご一緒しましょう。」
そう言ってくれて安心した。まだ、護衛兵達全員の顔と名前を覚えていない。
「……ね、ねえ、名前はなんて言うの?」
グイニスが恐る恐る尋ねると、彼はにっこりして答えてくれた。
「フェリムです。フェリム・ダロスと言います。」
「…フェリムが姓?」
「はい。先祖は川の子族だと聞いています。」
「…わ、分かった、ありがとう。」
「こちらです。」
そう言って先導してくれる。階段を下りると途中の階段の踊り場からも、細く廊下が続いている。不思議な建物で、どうやら物置などがその先には続いているらしい。つまり、一階と二階、二階と三階の間にも空間があるということだ。狭くても小さな部屋があるらしい。
どうしてそういう作りにしたんだろうと、グイニスが不思議に思ってその部屋の方を眺めていると、ふいに後ろに人影が立った。
どうしたんだろう、と思って見上げる前に体を拘束された。さらに首を絞められて目の前が真っ暗になり気絶した。




