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教訓、二十九。君子は豹変す。 4

 ボルピスは真顔に戻って告げた。

「そうだな。鞭打ち百回ほど与えようと思っている。首が落ちるよりましであろう。」

「!」

 言葉もなくギルムの顔がまず蒼白(そうはく)になった。思わず両手の拳を握っている。ベリー医師も一瞬、思考が止まったようだった。かすかにあぁ、という声がしてシェリアが侍女に抱きかかえられながら、両手で顔を(おお)っている。これはかなり本気らしい。だから、余計にシークを渡せない。

 バムスもめったに見せない、険しい表情を浮かべた。ラスーカも眉間に(しわ)を寄せ、ブラークは一人、満足そうな表情を浮かべた。グイニスはとうとう、フォーリに完全に抱きかかえられて寄りかかって泣き出した。

 面白いことに、この場にいるほとんどの人から、ブラークとラスーカ以外から敵意のようなものを感じるほど、その場の空気の緊張が一気に高まって凍ったようになっている。

 シークはなかなか貴族達にも、そして、侍従や領主兵達にも良い印象を持たれているようだ。仕えている者達からも、(おどろ)きのあまりに困惑している雰囲気が感じられた。

「陛下。」

 一番最初に言葉を発したのはベリー医師だった。

「恐れながら申し上げます。今のヴァドサ隊長には、鞭打ち百回を受けるだけの体力が残っていません。その刑罰を受けている最中に命を落とす恐れがあります。どうか、免除しては頂けないでしょうか。」

 肝の太いベリー医師の声が、いささか震えていた。わざと百回というおおげさな数を言ったのだが、ベリー医師の様子からして、百回は確実に無理だと判断できた。おそらく、百回決行すれば本当に死ぬだろう。

 ボルピスがこんなに考えて気を使わなくてはならないのは、ひとえにシークがちゃんと考えずに、できるだけ多く叩けとか言ったせいである。ふと、ボルピスはこのことを言ったら、みんなどんな反応を示すか見たくなった。

「ふむ。だが、当の本人にどれほどなら耐えられるか聞いたところ、刑罰なのだから、できるだけ多く叩いた方がいいとか言いおってな。」

 その言葉を聞いたとたん、ベリー医師の顔が鬼のような形相になった。ギルムは、『あの馬鹿が、何を馬鹿真面目なことを…!』と言いそうな苦々しい表情を浮かべている。

 ギルムと同じような表情は、バムスとシェリア、そして、普段表情を見せないニピ族達が、そんな表情を浮かべた。バムスについている二人のニピ族と、そして、グイニスを抱えているフォーリである。フォーリがもっとも険しい表情を浮かべていた。手が空いていたら、怒鳴りに行きそうな表情だ。

 そして、ボルピスの親衛隊の隊員達も複雑な表情を浮かべていた。特にボルピスの親衛隊長のジュハス・タムは眉間に(しわ)を寄せて、(むずか)しい表情をしている。同じ国王軍なのでシークの話を聞いているのだろう。

「それで、ベリー、今のヴァドサ・シークは何回くらい耐えられる?」

「……。」

 ベリー医師が珍しく無言だった。おそらく、一回も打たせたくないのだろう。だが、免除するわけにはいかないのだ。(きび)しくしている様子を見せないと、シークが王と取り込もうとしているとか、あることないこと吹聴(ふいちょう)されたら困る。

 特にブラークは何か勘違いすることが大変得意だ。今だって、一人だけ妙に嬉しそうにボルピスに向かって(うなず)いて見せていた。なぜ、頷いていたのか分からないが。

「では、半分の五十回としよう。」

 ボルピスが言うと、慌ててベリー医師が頭を下げた。

「陛下、どうか、取り下げて下さい、お願いします。五十回でも無理です。」

「そういうわけにはいかん。何回程か言うが良い。」

 ベリー医師は考え込み、おそるおそる口にした。

「……では、一回とか。」

「さすがに一回では、打たないのと同じではないか。それに、ヴァドサ・シーク自身も納得しないだろう。もっと打てと言い出すだろう。」

 シークの性格なら、そう言い出すだろうと考えたらしいベリー医師は、何か粘着性のある固まりでも出したようなため息を、思わずといった様子でついた。カートン家の医師達が王の前でため息をつくことなど、普通はあり得ない。カートン家でなくても、しないことだ。

「では……十回では?」

 ベリー医師は仕方なさそうに十倍に増やしたが、十回程度では話にならない。本当はボルピスだってそれくらいでいいと思っているが、思っているからといって、そうして良いわけではない。

 鞭打ちにしたのも、親衛隊の隊長が受ける刑罰にしては、屈辱的なものであり、さらに鞭打ちという派手な演出のできる刑であること、いかにも恐ろしげで見た者に深く印象を残すこと、そして、王がシークに対して激しく怒り、セルゲス公と共に冷遇しているというように見せておくために、ちょうどよい罰であるからだ。

 グイニスを生かすのは、八大貴族だけに強大な権力を与えすぎないようにするため、反対派が擁立(ようりつ)するための神輿(みこし)として、残しておくためでもある。どちらか一方に偏るのはよくないからだ。

 また、シークを冷遇しているように見せるのは、彼に与えた命令が特殊であり、信頼があったからではなく、政治的に力の均等を考えて王がそういう命令を与えたと貴族達に思わせ、将来的に本当に危機に陥った時、シークが生き残っていて、その命令を実行できるようにするためだ。

 王に可愛がられていると思われたら、どんなやっかみを買うか分からず、(しいた)げられて、必要な時に力を発揮できないかもしれない。殺される可能性もある。

 だから、いかにベリー医師が反対しようとも、シークに鞭打ちの刑を科すつもりだった。

「分かった、三十回だな。」

 ボルピスは決定した。ギルムはずっと拳を握ったまま無言だった。三十回と聞いて、初めて口を開いた。

「……陛下。申し訳ありません。ですが…三十回はいささか重くないでしょうか?刑罰用の鞭は特殊です。三十回も鞭打てば、剣を持てなくなる可能性があります。せめて…後、十回は減らして頂けないでしょうか。」

 めったにこんな陳情をしないギルムの頼みなので、ボルピスは頷いた。

「…そうか。確かに剣を持てなくなるのでは、意味がない。二十回にする。だが、これ以上、減らすつもりはない。」

 そう言ってボルピスはベリー医師を見据えた。

「ベリー、ヴァドサ・シークに二十回、鞭打ちの刑を与える。その間、耐えられるほどに回復させよ。なんせ、腹が減ったと言っておった。刑罰の話の時に、気の抜けた話だ。」

 わざと冷たく言い放つ。

「……はい。」

 ベリー医師は仕方なく返事をして、隣室に入っていった。

「ギルム、お前も行って一緒に連れ出してこい。」

 王の命令で西方将軍がベリー医師の後に入っていく。その間に、ボルピスはシェリアに鞭打ちの刑を受けさせるための準備を命じた。彼女は蒼白な顔で使用人達に命じ、鞭打ち用の刑台を持ってこさせて部屋の中央に据えた。


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