教訓、五。部下にも魔の手は伸びる。 2
その時だった。
「大変だ!」
突然、ベリー医師の声がして二人は上を見上げた。窓の上からベリー医師が身を乗り出している。昼間とは別の建物に移動していた。似ているが別の建物である。
「若様がいなくなった!」
フォーリの顔色が変わった。
「若様が!?」
冷静沈着という印象のフォーリが、明らかに狼狽えている。
「便所に行って戻ってきたらいなかった!」
「攫われたのか?」
フォーリの焦りようにシークの方が慌てた。
(ちょ、ちょっと待ってくれ…!ニピ族は主を見失うと慌てるというが、この程度で慌てるというのか!?)
昔から言われている。ニピ族から主を取ると荒れるという。理性を失って殺しまくり、大惨事になるから、決してニピ族が護衛についている者を殺してはならない、と言われてきた。ニピ族から主を引き離すな、とも言われている。引き離しただけでも惨事になるから、と言われてきた。
「落ち着け、フォーリ。」
言いながらシークは自分も落ち着かせた。
「もしかしたら、ご自分でどこかに行かれたのかもしれないし、まずは全員で若様を探そう。」
言った途端、じろり、とフォーリはシークを睨んだ。まるで、お前が余計なことを言うから若様がいなくなった、と言わんばかりの視線だ。
(おい、おい、さっき、お前も諭してくれて良かったと言ったよな!?私のせいじゃないぞ、決して!)
「おそらく、ご自分では行ってない。」
ベリー医師が上から言った。
「下には行っていないそうだ。今、ヴァドサ隊長の部下に確認した。」
「く、昼間の男の仲間か…! やっぱり殺したのはまずかった。」
いや、だから言っただろうが、殺したらまずいって、シークは心の中でフォーリに文句を言った。でも、口には出さなかった。今、話をつけた所だし、なんせ相手は虎だ。虎に勝ち目はない。
シークは笛を吹き、緊急招集をかける。すでにベリー医師の様子から察していた部下達が、すぐに用意をして出てきた。
「若様が行方不明だ。三班に分ける。一班五人編成だ。一班はスーガと共にまず、若様がおられた部屋を探し、何か証拠となるものはないか調べろ。どういう経緯で逃走したか、また、攫ったのかも含めて調べてくれ。一つも見逃すな。
残りの班は私やフォーリと共に若様を探す。後、ベイル達にも伝えて…。」
「隊長、すでに行きました。」
部下の指摘に後ろを振り返ると、もう、フォーリがいなかった。
「若様ー!どちらにおいでですか!」
叫びながら屋根の上を走って行った。
「……。なぜ、屋根の上を?」
「走りやすいし見通しがきくからですな。カートン家の施設の屋根は走りやすいようにできているし、ニピ族は高いところが好きだから。」
思いがけず独り言にベリー医師から返事があった。
「私は先にここで部屋の様子をくまなく調べている。何か見落としがあるかもしれない。」
ニピ族って…本当は実に面倒な生き物なんじゃないか。
「隊長、ニピ族は主がいないと手に負えないって、本当なんですね。」
部下のジェルミ・カンバ(サリカン人)が実感を込めてしみじみと言う。いや、そこでしみじみと言わなくていい…。
「…フォーリは行ってしまったから、私達で捜索する。」
「隊長、大変です。フェリムがいません。」
点呼を取っていたモナ・スーガ(サリカン人)が報告した。ベイルを含めて五人は厩舎の番をしている。交代で食事などをする。さっきまで二人が食事に来ていた。後の三人は厩舎である。
「何?」
シークは思わず額に拳を当てた。
「じゃあ、残りの二班のうち、一班はフェリムを探せ。バルクス、四人でフェリムを探してくれ。」
「は。」
「隊長、そういえばさっき、便所に行くって言ってました。」
「便所に?でも、それならベリー先生と遭遇したはずだ。」
「会ってないよ。」
上から答えが降ってくる。
「みんなも気が付いただろうが、おそらく、フェリムが行方不明なのは若様の失踪と関係があるだろう。気をつけて心してかかれ。決して一人になるな。フェリムは柔術も得意だ。」
少し間を開けて、言いたくないこともシークは口にした。
「裏切りかも知れないし、もしかしたら、巻き込まれてやられた可能性もある。決して油断するな。分かったな?」
裏切り、という可能性にみんなに緊張が走り、全員が厳しい表情で返事を返した。
かなりまずいことになった、とシークは心配になった。昼間のこともある。
(どうか、ご無事でいてくれ。)
シークは部下達を分けて、日暮れで暗くなっていく中を探しに向かった。