教訓、二十八。王と叔父は違う。 2
2025/11/1 改
「頼むぞ。」
バムスに王は言って立ち上がり、数歩進んで立ち止まった。
「…あれに…ヴァドサ・シークにある命を与えた。」
一同はどんな命を与えたのか、息を呑んで王の後ろ姿を見つめた。
「もし…タルナスがグイニスに王位を渡そうとしたら…阻止せよという命を与えた。」
四人の貴族はぎょっとして、王の後ろ姿を見つめた。できが悪いと他の三人に馬鹿にされているブラークでさえ、その意味を分かっていた。“万一の時にはセルゲス公グイニス王子を殺せ”という命でもあるからだ。
「軍にいようといまいと、関係ない任務として命令した。それができるなら、手段は問わぬとな。」
「……それで、ヴァドサ殿は、その命令を受けたのですか?」
思わずバムスは王に尋ねた。さすがのバムスも声が微かにかすれた。
「…お前はどう思う?」
王は半身だけ振り返って、バムスを見つめた。何もかも見透かされそうな、鋭い視線。バムスが一番、気を使う人である。
「…彼の気性を考えると、難しいかと。しかし…。」
「…受けられましたわね、陛下。」
今まで最初の挨拶以降、一言も話していなかったシェリアが口を挟んだ。今の彼女の表情からは、動揺は見て取れない。気丈な女性だ。本気で愛している人の結婚について、直前まで話されていたのに。
「ほう、なぜ、そう思う?」
「ヴァドサ殿は真面目なお方。陛下のご命令とあらば、泣きながらでも受けられる方ですわ。」
シェリアの口調はいささか、王に対して話すにしては強かった。シークにそんな命令を与えた王に対して、怒っているのだ。彼に辛い命令を与えたことを。グイニス王子を心から慈しんで任務に当たっているから、その彼に残酷な命令を与えたことに怒っている。
「シェリア。お前の言うとおりだ。」
王は言って、完全に貴族達に向き直った。
「あれは…さすがに顔から血の気が引いて、全身を小刻みに震わせながら、引き受けた。なぜか分かるか?」
「…殿下の護衛を続けるためですわ。それ以外に…考えられません。」
答えるシェリアの声が震えた。さすがの彼女にも少し動揺が走っている。
「直接聞いたわけではないから、分からんが、おそらくそうだろう。グイニスの護衛を続けるため…。
ヴァドサ・シークには、こういう命令も出した。冬になるまでにラスーカの領地に移動せよ、と。もし、それまで体が回復しなかったら、グイニスの護衛を辞退せよと言ってある。」
厳しい命令である。王だってシークの容態を見て知っているはずだ。ベリー医師が説明しないはずがない。それでも、そういう命令を出したのだ。
「これで、満足か、お前達。」
王は四人の貴族を順番に眺め回した。
「お前達の望み通り、何もなかったことにしてやる。誰かに唆されてヴァドサ・シークの従兄弟達が起こした事件も、今回の事件もなかったことにしてやる。ヴァドサ・シークに感謝せよ。あれが、命がけでグイニスを守ったからだ。任務だとはいえ、よくやった。しかも、隊の中の誰一人として、死んでいない。」
ボルピス王の言うとおりだった。
大街道の事件といい、先日の事件といい、誰かが死んでもおかしくなかった。何者かの間者らしき者達のほかは死んでいない。最もシェリアが若様の入浴の覗きを手伝った者達を処刑したが、それ以外で、こちらの死者は一人も出ていない。親衛隊の練度が高くなければ、死者が出ても不思議ではなかった。
「ラスーカ、ブラーク、特にお前達。しばらく、大人しくしていろ。勝手が過ぎると、八大貴族という座にいつまでも座っていられなくなるぞ。よいな?」
名指しされた二人は、かしこまって王の前に頭を垂れる。
「それから、シェリア。予測困難な事態が生じたとはいえ、何度も事件が起こりすぎではないか? 事件を起こしたのが、お前でないことは承知している。謎の組織がいることも分かっている。
それにしても、隙がありすぎなのではないか? お前が丁寧にグイニスの世話をしていたのは、昨日のグイニスの言葉で分かった。
だが…色恋沙汰に現を抜かし、敵につけいる隙を与えたのではあるまいな? 感情を表に出すとは、いつものお前らしくない。」
シェリアは血の気が失せ、固くこわばった顔で、急ぎ王の前に両膝をついて謝罪した。
「申し訳ございませぬ、陛下。わたくしの至らなさのせいでございます。」
「では、グイニスをラスーカの領地に移動させることについて、もう何も文句はないな?」
「なにも…ございませぬ。」
王は頷いた。
「よい。立て。」
最後に王はバムスを見据えた。
「それから、バムス。お前がついていながら、この事態は何だ? 出し抜かれてばかりだ。」
バムスは厳しい叱責を覚悟して謝罪する。
「申し訳ございません。」
「お前らしくない。そもそも、お前にはニピ族がついている。それなのに、なぜ出し抜かれているのだ?」
「詳しいことは何一つ分かりません。ですが、確実に言えることは、ニピ族並みに武術に秀でた個人もしくは集団が存在し、情報収集に長けており、宮廷内の事情にも通じ、さらにカートン家並みに毒や薬に詳しい者が存在する、怪しい組織の標的がセルゲス公殿下だということです。」
「…ヴァドサ・シークに話を聞いた。大街道の事件の時、宮廷の側室の使いだという者が接触してきたと。
仮に宮廷内にそういう者達がいたにせよ、お前らしくないのに変わりない。私はお前の徹底した情報収集と分析力、そして、対応力と慎重さを評価している。それらを失うことのないようにせよ。」
バムスは頭を下げる。つまり、それらがなくなれば、用済みだという話だ。
「それから、お前にはその謎の組織を調べる全権限を与える。徹底的にその組織を調べるのだ。ヴァドサ・シークとの話の中で、部下の一人に謎の組織が接触してきたようだな。王妃の差し金ではないかと思ったようだが、王妃の名前は出さなかったらしい。手元に置いて監視することにしたようだが、危ない賭けだな。」
バムスもシェリアもその話を聞いていなかったので、少し驚いていた。シークはバムスやシェリアに言わずとも、王には話したということである。
「…とにかく、お前達に言っておこう。今後、ヴァドサ家を取り込もうとするのは、誰であっても許さん。特にお前達。」
そう言って、ラスーカとブラークを王は見やる。
「バムスやシェリアに出し抜かれたと思い、今度は殺そうと画策するのではなく、内に引き入れようなどとするな。ヴァドサ家だけではない。十剣術をこれ以上、政に取り込もうとするな。
セーラトシュ流だけでたくさんだ。厳密に言えば、もっと深くややこしいが…。それ以上の行動は、よほど流血沙汰にしたいのかと疑いたくなる。法律で禁止したいくらいだが、そうすればまた、別の問題が出て来る。だから、自分達で自制せよ。分かったな?」
王は厳命し、貴族達が返事をした所でギルムを振り返った。
「後はギルム、お前が少し相手をしてやれ。まあ、適当に話してやれば満足するだろう。どの程度まで話すかは、お前に任せる。お前の判断でよい。」
王はギルムや貴族達の挨拶を受けて、親衛隊長を連れて部屋を出て行った。




