教訓、四。優しさも危険を招くことがある。 6
その頃、シークは耳のいい部下ティホム=ロモル・ハクテス(森の子族出身)に扉に耳を当てて中の様子を窺わせていた。
「なんて話してる?」
シークが小声で聞くと、しっ、と部下が仕草で注意する。やがて指で床の上に書いた。『たぶん、口説いてる?』
「……。」
剣呑な表情になったシークが口を開く前に、部下がまた耳を側立てた。
「! たぶん、口づけをして…。」
「開けろ!」
シークが怒鳴ったのと、ガシャン、と派手な音がしたのは同時だった。シークが扉を開けて見たものは、目の前を横切るフォーリだった。まっすぐに寝台の陰に向かう。
鬼神のごとき表情で風のようにやってきて、鉄扇を振り上げた。それと同時に男の襟首をつかみ、若様から引き離した。引き離してから容赦なく男に鉄扇を振り下ろす。瞬殺だった。止める間もなかった。
男の失敗はまさか聞こえているとは思わず、音を立てて若様の首筋に口づけしたことだった。それで、気づかれたのだ。容姿に惑わされていなければ、殺すという任務は全うできたかもしれない。
「おい、殺せば分からなくなるだろう! 誰の手の者か!」
「知ったことか!」
フォーリは叫びながら男をぽいっと後ろに投げ捨てると、若様を抱え起こした。シークは思わず言葉を失った。
(…知ったことかって。調べなくていいのか!?)
「若様…!大丈夫ですか!?」
「…う、フォーリ…。」
しゃくり上げながら若様はフォーリの腕にしがみついた。
「…ごめんなさい。」
王子の口から出てきたのは謝罪だった。
「若様、それより何もなかったですか?」
「う…嘘だった。か、家族はいないって…!私は…二人を信じなくて、フォーリもヴァドサ隊長も…嘘だって分かってたから、ダメだって言ったのに……。」
若様は両目から涙をぼろぼろこぼしながら、しゃくりあげた。一生懸命頑張ったのに裏切られたのだ。とても悲しいだろう。
「若様、そんなことはいいのです。」
若様はフォーリの言葉に首を振った。
「だって、信じなきゃ行けない人を信じなかった…!」
思わずフォーリもシークも若様を凝視した。確かにその通りだが、ちょっときつい。胸に突き刺さる。信じて貰えなかったのだから。でも、そのことを直視できる若様はなかなか立派だ。
「…だから、だから…ごめんなさい。」
若様はしゃくりあげながら、必死に謝っている。
「若様、今度から信じて下さい。分かりましたね?」
フォーリが優しく手巾で涙を拭ってやりながら確認すると、若様は大きく、うん、と頷いた。
「…ヴァ…ヴァドサ隊長も…ごめんなさい。言うことを聞かなくて…心配をかけちゃった。」
めそめそ泣きながら謝ってくる。なんて素直な子なのだろう。
「フォーリの言うとおり、今度から信じて下さればよろしいので。我々も信じて頂けるように努めますから。」
「…許してくれる?」
シークは慌てて頷いた。
「もちろんです。」
話が一段落ついた所で、フォーリは若様を抱きかかえた。若様は全身を震わせている。男の遺体を見せないようにしてその部屋から出る。シークは部下達を全員外に出した。扉を閉める。次にフォーリが何を確認するか予想がついたからだ。
「…若様。もう一つお話があります。」
椅子に座らせた後、フォーリは静かに切り出した。
「さっきの男に何を言われましたか?」
若様はうつむいた。
「…そ、それはその…家族はいなくて嘘だった。」
「他には?」
若様は全身を震わせながら身を縮こまらせた。
「嫌なことはされませんでしたか?」
若様は唇を震わせた。せっかく止まった涙が両目に盛り上がった。
「若様。隠さないで話して下さい。」
若様は息を吸った。なんとか話し出そうとし、ようやく声を出した。
「…ほ、本当は…二人きりになったら、すぐに…わ、私の首を絞めて殺すはずだったって。で、でも…わ…私の顔を見て先に…その、食べるって…。た、食べるって?」
ああ、とシークは思う。育ちが違うとはこういうことなのだろう。確かに普通の意味ではない。ちらりとフォーリを見やった。まだ、若いフォーリがこれを説明しなければならないのは、難しいと思ったのだ。場合によっては自分がしてもいいと考えていた。
「若様、その場合の食べるの意味は手込めにするという意味です。」
フォーリが説明したため、シークは称賛の意味を込めてフォーリを凝視した。
フォーリの説明を聞いた若様は、泣きながら頬を赤く染めてうつむいた。手込めの意味は知っていたらしい。
「何かされませんでしたか?」
「……っ、その…。く、首を舐めてきてかじられた。」
消え入りそうな声で答えた。
やったのか、あの男。シークは苦々しく思った。美しいのはいいのか悪いのか分からなかった。容姿があまりに整っていると、どうしても、こういう性的な問題も絡んでくる。そして、それは本人にとって人生を左右する問題だ。
「…で、で、でも、下の方は何もされてない。だから、何もされてない。」
若様は慌てて言い訳をしている。何も悪くないのに。そうだ、されたと思いたくないからだ。何かされたと受け入れてしまったら、きついから。傷つきたくないから否定しようとしているのだ。
でも、それを黙認してしまうと、若様がこれから先、それくらいだったら大丈夫だと、他の者に手を出されても、我慢して言い出さなくなるような気がした。
「若様、それはされたも同然です。嫌だったでしょう?我慢してはいけません。」
やはり、フォーリが優しく諭している。