教訓、二十五。つじつまを合わせる後始末は難しい。 10
2025/09/25 改
ベリー医師は、ブラークとラスーカを医務室の隣の部屋に呼び出した。それぞれ、見張りにサグとヌイがついているので、脱走は不可能である。
バムスと別れた後、ベリー医師は結局、二人に毒の確認はしていたが、何か具体的にした訳ではなかった。おそらく、二人はそれを警戒していただろうが、何もなかったので、少し安心している様子だった。しかも、二人をいつまでも監禁部屋に入れておくわけにもいかないので、今は出されていた。
「一体、何用じゃ。毒使いめが。」
ブラークはいまいましげに舌打ちをした。
「まったく、何のつもりなんだか。」
ラスーカも偉そうにベリー医師を睨む。ベリー医師はそんな二人をよそに診察を始めた。問診から始まり、必要なことを一つ一つ聞いて書いていく。普通の診察に、ブラークもラスーカもお互いに顔を見合わせて息を吐いた。結局、ラスーカが口を開く。
「…先生、何のつもりだ? 私達は別に診察なんぞ頼んでおらんが。」
「ええ、知っています。ですが、事前に下調べをしておかないと、何かあってからでは適切に対処できず、死に至ってしまいますからね。」
「どういうことだ?」
ブラークが不安そうになる。
「ええ。実は昨日、ノンプディ殿に頼まれまして、無色でほぼ無臭の毒を渡したのです。おそらく、お二人に飲ませるおつもりでしょうから、準備しておかねばと思いましてね。」
ごく普通に『あぁ、風邪ですね。』と診察でもしたかのように、物騒なことを口にした。
「……。あの女に、毒を渡しただと?」
「なんということをした! 殺されたらどうするのだ!」
いきり立つブラークに対し、ベリー医師は診察記録に何か書き込みながら、顔も上げずに言った。
「だから、今、診察をしているんですよ。」
ベリー医師は、診察記録を脇に置くと、ようやく二人に顔を向けた。
「そういえば、あの毒、水に入れられたら分かるんですよ。一番、分かりやすいです。水に入れると、なんとなく水が甘くなったように感じるんです。とろみもあるような感じもしまして、水がおいしく感じられます。」
「なんだ、そのいいかげんな判断基準は。」
「いいかげんなどではありませんよ。どうでしょうか? 今朝の水はどうでしたか? そういえば、ヴァドサ隊長が毒を盛られた時、水に入れてあったので、ノンプディ殿も仕返しにそうするかもしれないから、気をつけられた方がいいと思います。」
ベリー医師の言葉に、二人は黙り込んだ。ブラークの方は明らかに狼狽えた。
「あの女から何か聞いているのか?」
「残念ながら、何に入れるのかは聞いていません。」
すると、ラスーカは鼻を鳴らして馬鹿にした態度を取った。
「なるほど、はったりだな。」
「あの女ならするかもしれんぞ。」
ブラークの声に、ラスーカが横を見やる。
「何を騙されておる。はったりだ。狼狽えるな。」
すると、ブラークがラスーカを睨みつけて怒鳴った。
「何が狼狽えるなだ! 私は、朝から水を飲んだ。その時、微妙に変化があったのだ…! お前には入ってなかったかもしれんが、私のには入っていたかもしれん…!」
ベリー医師はふむ、と頷いた。
「それでしたら、念のためブラーク殿には解毒薬をお渡ししておきましょう。ベブフフ殿はいらないということで。」
すると、ラスーカが弾かれたように顔を上げた。
「そうは言っておらんではないか。なぜ、いらないということになるのか。」
「お前は馬鹿にしていたではないか。今さら怖じ気づいたのか?」
「念のためだ。用心のために貰っておくのだ。」
二人はしばらく言い合っていて、ベリー医師が黙って立ち上がっても気づかなかった。そして、何か用意していたかと思うと、溶かした粉末が入った器を二人に差し出した。
解毒薬だと思った二人は、ベリー医師から器をもぎ取るようにして取り上げると、二人とも急いでその中身を飲み干した。
「とりあえず用事は済んだので、部屋にお戻り下さい。」
二人は喧嘩をした後だったので、二人一緒にいて悪だくみをするために、計画を練るどころではなかった。それぞれが借りている部屋に戻ると、お互いに腹を立てて怒っていた。
ラスーカは息苦しさを覚えて目を覚ました。おかしいことに、ベリー医師に解毒薬を貰って飲んだ後、部屋に戻ってからの記憶がなかった。しばらく、怒っていたはずだったが、食事をした記憶も無い。昼と夕の食事はしたのだろうか。といいうか、今は何時頃なのかさえ、分からなかったのだ。
「だ、誰か…おるか?」
ラスーカは侍女か侍従を呼んだ。しかし、誰も返事をしない。
「誰か…誰か返事をしろ。」
喉がカラカラで声を張り上げるのもつらい。ラスーカはなんとか体を起こしたが、やたらと重くて動きがつかなかった。少し動いただけで非常に体が重い。
そもそも、ここはどこなのだろう? なぜ、こんなに部屋の中が暗いのか。灯り一つ見えない。手触りから自分が寝台に横になっているようではあるが、自分で横になった記憶が無いので、不思議だった。
「おい、誰か…!」
大きな声を張り上げると、ようやく誰かがきた気配がした。
「旦那様、お目覚めですか? ずいぶんとお眠りのようでした。」
侍従の一人の声がした。
「ここは、私の部屋なのか?」
ラスーカは尋ねた。
「…はい。旦那様がお借りしている部屋でございます。」
「部屋の中が真っ暗だ。灯りをつけろ。」
すると、相手は困惑した様子だ。
「何をしておる? 早くせんか。」
「…旦那様、今は夕方前です。まだ、日は高いのですが。」
ラスーカは、すぐに理解できなかった。
「まだ、明るいだと? 何を言っておる? こんなに部屋の中は真っ暗ではないか! それに、体が異常に重くてだるい。医者を呼べ。あのいけ好かないカートン家の医師でも構わん。喉も渇いた。水を持ってこい。」
水はすぐに持ってこられた。だが、何も見えない。水差しで水を注ぐ音が聞こえるのに、目の前で何が起こっているのか、見えなかった。
「旦那様、これでも部屋の中は暗いですか?」
侍従が何か動いた気配がして、部屋の窓掛を動かしている音がした。微かに光が射したように思えたが、その光は夜明けの真っ暗な時間に、微かに夜が明けてきた時のような感じだった。もしくは、真冬の夕方の時間に微かに曇天が晴れて、光が少しだけ射したかのような。とにかく、弱々しい光が微かに感じられただけだった。
「……なんとなく光を感じるが、明るいとはいえん。早く灯りをつけろ。」
「…申し訳ありませんが、旦那様。今、部屋の中は眩しいほどの光が射し込んでおります。ほら、手をかざして下さい。感じませんか? 日の光が手に当たるのを。」
侍従がラスーカの手を動かして、手を引っ張った。すると、しばらくしたら光が当たってじんわり暑くなってきた。
「……ど、どういうことだ? なぜ、なぜ…どういうことだ?」
「旦那様、すぐに先生をお呼び致しますが、ベリー先生はセルゲス公付きの先生でございます。」
「早く、早くしろ。なんでもいい…! なぜだ? なぜ、見えなくなった?早く呼べ!」
ラスーカは混乱した。目が見えなくなった上、非常に体が重い。少し動いただけで、息が上がる。待っている間も体が重くて、ラスーカは水を飲んだ後、体を横たえた。あまりの体のきつさに、眠ってしまった。




