教訓、二十三。毒薬変じて薬となる、とは限らない。 12
2025/09/03 改
シークが若様の頭に手を置いたまま、眠ってしまったので、フォーリと若様は退室して廊下に出た。
ちょうどそこに、バムスとシェリアがやってきた。シークの様子を見にやってきたのだ。
「ヴァドサ殿の具合はどうでしょう?」
バムスの問いにフォーリは答える。
「たった今、眠ってしまいました。」
若様は涙で赤くなった目をこすっている。
「若様、あまり目をこすると目を痛めてしまいます。」
フォーリが注意していると、バムスが若様の前にひざまずいた。
「殿下、どうなさったのですか? なぜ、泣かれたのです?」
バムスは若様に対して視線を合わせる時は、必ずひざまずく。
「…あのね、ヴァドサ隊長に毒を盛られたの…私のせいだって言ったら…私のせいじゃないって…。あの人、死んでしまったのに…それも…それも、私のせいじゃないって言ってくれた。…でも…私の護衛にならなかったら、死ななかったの…本当だよ…。」
若様はまた悲しくなってしまったのか、涙が頬に流れた。バムスは優しく若様の手を握った。
「ヴァドサ殿の言うとおり、殿下のせいではありません。殿下のお命を狙おうとする者達が悪いのです。」
バムスの明言に若様がはっとする。
「……じゃ、じゃあ…叔母上が悪いの?」
とても小さな声で聞き返した。
「妃殿下を焚きつける者達がいます。彼らが悪いのです。妃殿下も以前は、あそこまで激情に駆られる方ではありませんでした。最初の頃は、さっぱりしたお方でした。…いつからか、変わられてしまいましたが。」
バムスの言葉に若様はうなだれた。
「…私も…叔母上が…あんなじゃなかった時、少しだけ覚えてるよ…。でも…もう…戻ってくれないみたい……。」
もう、戻れないのだ。権力の座についてしまえば。誰にも手渡したくないだろう。
「…そうでしたか。殿下。とにかく、お心を痛めないで下さい。」
「……うん。」
若様は小さく頷く。
「…ねえ、ベブフフやトトルビが来たら、どうすればいいの?」
若様の問いに、バムスとシェリアは顔を見合わせた。
「…殿下、対応の仕方ということですか?」
「…そうじゃなくて…だって、きっと、ヴァドサ隊長は、体の具合が悪くても私の護衛をするって言うに決まってる。だから、どうしたらいいのかなって。
二人が来たら出迎えの儀式や宴会をしないといけないけれど、…私が欠席したら、ヴァドサ隊長も出なくて済むんじゃないのかなって。」
「殿下。確かにそれは一理ありますが、殿下が欠席なさるのは、得策ではありません。ベブフフ殿やトトルビ殿は、殿下のあら探しをしに来るのです。
欠席なさった場合、殿下にセルゲス公の位があっても、その位に見合った重責は担えないと、言いがかりをつけて来ることが予想されます。ですから、殿下はできるだけ、儀式と宴会に出席なさった方がよろしいかと。」
バムスに言われて若様は黙り込んだ。
「…殿下。それでは、こうなさってはどうでしょう?」
今までずっと黙っていたシェリアが言った。若様はシェリアを見上げた。
「殿下は一度、儀式には出席なさいます。ただ、顔合わせをして挨拶をした後、疲れたから休むと言って下がるのです。そして、ヴァドサ殿に護衛せよと命じれば、必ず殿下と共に行動されるでしょう。」
シェリアの提案に若様は顔を明るくした。その表情を見て、シェリアが優しく微笑む。
「それ、いいね。名案だよ。そしたら、私の部屋で休ませてあげられる。私もずっと緊張しなくて済むよ。」
シェリアは若様の両手を握った。
「殿下。申し訳ございません。わたくしの落ち度でございますわ。わたくしの屋敷でこのような事態になってしまいました。ご心労をおかけしてしまい、申し訳なく思っております。」
若様はじっとシェリアを見上げていたが、ゆっくり首を振った。
「…ううん。ノンプディのせいじゃないよ。だって…。」
言いかけて若様は、なぜか微笑んだ。
「…そっか、分かったよ、みんなが私のせいじゃないって言う気持ちと意味が。」
シェリアは黙って若様の言葉を待っている。
「だって、ノンプディのせいじゃないって、分かってる。だから、あなたが重荷を感じる必要はないって、分かってる。みんなが…私のせいじゃないって、言ってくれて…嬉しい。今までは素直に受け取れなかったけれど、分かったから…素直に私のせいじゃないっていう言葉を、受け取れそうな気がするよ。」
若様の言葉を聞いて、フォーリは胸が熱くなった。若様が心を開いて、どんどんいろんな事を学んで成長している。苦しいことがあるのに、逃げずにまっすぐ向き合おうとしていることが、フォーリにとって最も嬉しいことだった。
「…さようでしたか。わたくしも、殿下にそう言って頂けて心が軽くなりました。」
シェリアのどこか震える声に、若様はじっと彼女を見上げた。
「……ごめんなさい。私にはヴァドサ隊長が必要なんだ。私もフォーリもベリー先生も、あの人なら安心できる。」
つまり、シェリアにシークを連れて行かれたら困る、ということを言ったのだ。フォーリが何か言ったわけでもなく、ベリー医師でもない。若様の考えによる発言だ。少なからずフォーリはびっくりしたし、バムスも驚いているようだった。言われたシェリアは尚更だ。辛そうに眉根を寄せる。
「…ごめんなさい。優しく親切にしてくれているのに。あなたが最もして欲しいことを、願いを叶えてあげられないから……。」
シェリアが若様を抱きしめた。少し若様は緊張して身構える。
「殿下…。わたくしの方こそ、ごめんなさい。殿下に気遣って頂くようなことではないのに。それなのに、わたくしの心情を気遣って下さるのですね。…殿下は…本当に優しいお方ですわ。…ありがとう存じます。」
優しく背中をさすって、涙を湛えた両目で若様を見つめた。若様は困ったように手巾を出した。シェリアはそれを見て、軽く笑った。
「まあ、殿下に涙を拭いて頂くわけには参りませんわ。」
我が子を慈しむように若様の頬を撫でると、立ち上がった。
「それじゃあ、私達は行くよ。」
若様とフォーリは立ち去り、バムスとシェリアはそれを見送った。




