教訓、二十三。毒薬変じて薬となる、とは限らない。 11
2025/08/21 改
二人がシークの見舞いに診療室に行くと、肝心のシークはベリー医師が処方した薬によって、うとうとと眠ろうとしている所だった。ぼんやりとしばらく、若様とフォーリを見つめてから、はっとして起き上がろうとしたので、フォーリは指で彼の額を押さえて起きないようにした。
「起きるな。ベリー先生にお叱りを受ける。」
シークはひどい顔色をしている。さっきまで生死の境を彷徨っていたのだから、当然といえば当然だ。よほど強い毒を盛られたらしい。まだ、隣の寝台にはロルの遺体が置いたままになっていた。顔に布がかけられている。
「……あのね、ヴァドサ隊長。あのね…助かって良かった。」
若様は土気色に近いような顔色のシークを見つめて、声を震わせて泣き出した。
「……ごめんなさい。私のせいだ…。私の護衛になったから…。」
若様が泣くとフォーリも胸が痛んだ。
「若様のせいではありません。」
シークは掠れた声で言った。そして、手を伸ばしてさっきまで、花を摘んでいたせいで草の汁で汚れている、若様の手を握った。
「こうして、見舞いに花を摘んできてくださる若様は、大変、優しいお方です。若様のせいではないので、どうかお心を痛めないで下さい。」
「…で、でも。」
「悪いのは向こうなのです。それに、私は任務をちゃんと遂行できていると分かったので、嬉しく思っています。」
「でも…!それで、死にかけたのに…!」
若様は悲痛な声を上げた。涙が溢れ出ていく。
「若様。確かに死にかけましたが、しかし、それだけ私が邪魔なのでしょう。つまり、それだけ上手く任務を遂行できているという証拠です。若様のせいではありません。」
繰り返し言われて、若様はしゃくり上げる声を飲み込んだ。フォーリはそっと若様の涙を手巾で拭いた。
「若様。その花を少し、オスターに手向けてやって下さいませんか?」
シークに頼まれて、若様はおそるおそる隣の寝台を振り返った。
「お願いします。今の私は動けないので。立って歩いたら、ベリー先生にお叱りを受けて、寝台に縛り付けられそうですから。」
そんな風に言われて、若様は少しだけ笑った。シークはそんなことを言って若様を笑わせたが、本当は立って歩けるような状態ではないはずだ。フォーリが若様の涙を拭くと、若様は数本、花を取り分けて神妙な表情でロルの遺体の前に立った。胸の上にそっと花を乗せて手向ける。
若様はそのまま、じっと立ち止まった。
「…若様、どうなさいましたか?」
何かじっと耐えようとして、結局、涙が溢れ出した。
「……あのね。私は…父上にも…母上にも、花を手向けたことがない。父上の時…私は小さすぎて…父上が死んだって……分からなかった。母上の…母上の時は……死んだって…思いたくなかった…。
もし…私が…花を…手向けてしまったら…死んだって…認めることになって…もしかしたら、眠ってるだけなのに…生き返るかもしれないのに…それを邪魔しちゃうんじゃないかって…思ったから…!だから、手向けなかった…!でも、お花を手向けてあげれば良かった…!」
フォーリは辛くなって、若様を抱きしめた。可哀想に。本当に不憫な運命の主だ。そして、とても優しくて。
「若様、きっと母君は分かっていらっしゃいます。若様のお気持ちを分かっていらっしゃったはずです。」
フォーリは若様に伝える。
「……若様。」
呼びかけたシークの声が涙声で、フォーリも若様もはっとした。思わず若様も涙を拭きながら、彼の方を振り返る。ベリー医師を手伝うため、急遽、助手をしているモナも見つめている。
「私には、若様のお気持ちが…とても、よく分かります。」
完全に彼は泣いていた。
「私が子どもの時、赤ん坊だった妹が亡くなりました。私は子どもの頃、自分より幼い弟や妹たちの子守をしていたのです。
ある日、私は春の陽気で、ぽかぽかと日の当たる部屋で、うっかり、うたた寝をしてしまいました。私が疲れていると思って、誰かが私に毛布をかけてくれていました。はっとして目を覚ますと、いつの間にかゆりかごの中で妹が死んでいたのです。
生まれた時から、病弱な子だとは分かっていました。体も小さくて他の誰よりも、いっそう気をつけていたはずなのに、それなのに眠ってしまった。もし、私がうたた寝していなければ、異変にすぐに気が付いて医者に診せることができたかもしれない。
私は混乱しました。医者が死んでいると言っても、信じられませんでした。眠っているようにしか見えず、きっと起きるに違いないと思いました。冷たい妹の体を抱きかかえて、きっと起きるはずだと言い張りました。体を温めたら起きるに違いないと言い張って、一緒に布団に入って温めようとしました。
父に布団から引きずり出されて、亡くなった妹を取り上げられました。父は私に厳しいのですが、この時は『もういい。お前のせいではない。この子は生きられない運命だったのだ。』そう言ってくれて、心の中にあった固い何かが取れたような気がしました。
母も叔母も来て、一緒に私と一緒に泣いてくれました。
ですから、若様。私には若様がご自分のせいだと思うお気持ちも、眠っているに違いないと思われたお気持ちも分かります。
しかし、オスターが死んだのも私に毒が盛られたのも、若様のせいではありません。ここにいる誰のせいでもない。ですから、どうかご自分を責めないで下さい。」
その話を泣きながら聞いていた若様は、フォーリの腕から出るとシークの元に駆け寄った。彼の胸の上に突っ伏して泣き始める。苦しくないかとフォーリは心配したが、目が合ったシークが首を振ったので、そのままでいいということだろう。
シークは若様の頭をそっと撫でた。死の淵から生還したばかりで、申し訳ないが仕方ない。若様が自分のせいではないと実感するには、シークに何か言って貰う意外になかった。フォーリがいくら言った所で、フォーリが毒を盛られたわけではない。それくらい若様は分かっているので、シークの言葉が必要だったのだ。
「……あのね、ヴァドサ隊長。死なないでね。私には…ヴァドサ隊長が必要だよ…。」
いつか、ベリー医師に言われたことを実行した若様に、フォーリも様子を見守っていたベリー医師もはっとした。どこで、何を言うべきか分かっている。やはり、若様は聡い方だ。
「若様にそう言って頂けて光栄です。」
「…本当?」
「はい。とても嬉しいです。」
若様が人の役に立ちたがっていることを知っているので、シークは力を込めて答えてくれる。最初の内はどうなることかと思ったが、つくづく、この人が護衛隊長で良かった、とフォーリは思ったのだった。




