教訓、二十三。毒薬変じて薬となる、とは限らない。 10
2025/08/21 改
若様は今、中庭のツツジに来ているチョウチョを観察している。童顔なので十四歳には見えない。嬉しそうにしている様子からは、深く深く傷ついた心の傷は見えない。だが、ふとした瞬間に虚ろというか、深い闇が一瞬、その瞳に見え隠れするような気がするのだ。
それでも、この数ヶ月の間に若様は成長した。その深い闇を見せる一瞬も、以前より少なくなってきた。心が安定してきたからだと思う。体もよく動かすようになってきたのも、あるだろう。
若様がこのまま良くなり続けるには、何がなんでもシークに復活して貰わないといけなかった。
「ねえ、フォーリ。お花を摘んでいいかな?ヴァドサ隊長にお見舞いに持っていこう。母上が病の時にも、持って行ったら喜んでくれた。」
「そうですね。」
フォーリは頷いた。たぶん、花を貰って女性ほど喜ばないと思うし、母親は幼い息子の気持ちが嬉しかったから喜んでいたのだろうと思うが、シークは若様の気持ちをきちんと受け取って、喜んでくれるだろう。その辺は心配ない。
「どのお花にしようかな?」
若様は嬉しそうに花を選んでいる。シェリアに中庭の花を摘んだと事後報告しても、怒らないだろうと分かっている。
フォーリはそこで、もう一つ気がかりなことを思い出したのだった。シェリアがかなりシークに本気になっていることだ。これはかなり意外だった。たぶん、本人も意外だろう。好みとしてはフォーリだと最初のうちは言っていたのに、今では一言も言わない。
つまり、それだけ彼に本気で“一夜の晩”の相手を探す必要もないし、いらないのだ。彼女の気持ちが何かの手助けになり、裏目に出ないことを祈るしかない。
それと、バムスがかなりシークに対して好意的な所も、注視すべき点だ。従兄弟達の事件の後、すっかりシークのことを気に入っている様子だ。八大貴族の筆頭の二人が気に入っているのは、これから大きな点になる。シークのことならば、積極的に助けてくれるのはありがたい。だが、これで若様を勝手に反八大貴族派だと思い込んでいた輩達は、大いに不満を持つだろう。
やっかいなこと、この上ない。フォーリの思考をよそに、若様はフォーリを手招いた。
「ほら、このお花にしよう。この百合、ただの白じゃなくて、内側の方は少し桃色と薄い黄色があって、濃い紅色の斑点も上品で綺麗だよ。」
「そうですね。」
フォーリは言って短刀を出した。珍しい貴重な百合だったと思うが、若様が切るならいいだろう。そもそも、ニピ族とは主の言うこと絶対主義だった。ニピ族が反対する時は、主が何か不利益を被る場合にするのであって、それ以外ではあり得ない。その上、若様は王子である。切っても文句は言われない。
「あ、待って。」
切ろうとした瞬間、その百合に揚羽蝶がやってきた。
「…そっか、百合はチョウチョのご飯だもんね。別のにしよう。」
結局、庭園の中にある、かつてシェリアの子ども達のために作られた手入れをしない区画に生えている、野菊の仲間をたくさん摘んだ。薄い黄色で花びらも長く、たくさん集めればとても綺麗だ。これなら文句も言われまい。遠慮なくたくさん摘むと、若様は選別を始めた。
若様は虫が好きだがアブラムシは嫌いだ。たくさん小さいのが集まっているのが嫌いらしい。こうして、選別をし葉っぱまで整えてから、立ち上がった。
「母上に持って行ってあげてた時、アブラムシを握りつぶしちゃって嫌だったの。だから、それ以来、気をつけて綺麗にしてから持っていくことにした。それで、王宮の中で花を生けている侍女に、葉っぱとかいらない所を落としたら、綺麗に見えるって教えて貰ったから、ずっとそうしてるの。」
若様はそんな説明をしてくれた。
「そうでしたか。」
若様の母である故リセーナ王妃は、若様が五歳頃から病にかかり、七歳の時に身罷っているので、五、六歳頃の話である。それ以来、誰かの見舞いに行ったことはないはずだが、それを今も思い出してしようとしている若様の心境は複雑だろうと、フォーリは思った。
それに、若様の言動は数ヶ月前までと確実に違っていた。今まで若様が両親の話をしてくれたことはなかった。しかも、母の見舞いの話だ。
「行こう。」
若様が言うので、フォーリは少し片付けるように諭した。そのまま、辺りに葉っぱや茎が散乱している。王子だからといって、若様の場合は特になんでも許される訳ではなかった。何を理由に言いがかりをつけられるか、分かったものではない。
「少し片づけておきましょう。」
フォーリの言葉に従い、若様は頷いて二人でさっとまとめておいた。
「これで、使用人達も片付けしやすいでしょう。」
人の口には戸を立てられない。使用人の評判だって馬鹿にならない。若様の場合は特に、“良い子なのに可哀想に”というものが巨大な権力を握っている叔父に対抗しうる、数少ない武器でもあった。




