教訓、二十三。毒薬変じて薬となる、とは限らない。 8
2025/08/19 改
話は昼頃、ロルが死んだと思われて間もなくに遡る。シークの容態が急変して、診療室では慌ただしく処置をしている頃である。
ベリー医師から、シークに毒を盛られたと聞いて、シェリアは青ざめた。しかも、シークの朝食を間違えて口にした、彼の部下が倒れて昼までに死んでしまったのである。まさか、彼らがシェリアの屋敷に到達する前にことを起こしてくるとは思わなかった。
早朝に様子がおかしいことに気が付いた、ニピ族達に連絡を受けて物置部屋を貸したバムスだったが、まさか昼までにシークの部下が死ぬとは思いもしなかった。
「……意外です。トトルビ殿でもなく…ベブフフ殿の考えでもないような気がします。誰か第三者の考えが入っているかと私は思います。」
「…わたくしもですわ。あの、謎の組織かしら。」
バムスと話しながら、シェリアは気もそぞろだった。まさか、シークに毒を盛られるとは思わなかったのだ。だが、ベリー医師の打った手と、シークの部下達が打った手が功を奏し、毒を入れた者と連絡係を捕らえた。二人ともトトルビ家とベブフフ家に仕えている者達だった。下っ端だったので、眠り薬だと言われて入れたと言った。
本当か嘘かはこれから分かる。取り調べの後、バムスが親衛隊の副隊長のベイルに話し、わざと二人を解放した。というか、逃亡させた。その後をヌイとサグが追って行くという手順で、誰と繋がり、本当に下っ端なのかが分かる。
その知らせを待っている所だった。
「シェリア殿、先にヴァドサ殿の見舞いに行きますか?」
バムスに聞かれてシェリアは首を振った。
「…いいえ。取り乱した姿を彼らに見せたくありません。」
ラスーカとブラークの家臣や侍従達などだ。主に先立ってやってきて、シェリアが貸した部屋などに準備をしている。本当なら泊めたくないが、目の届かないところで何かされても嫌なので、泊めろという要求に応えている。
だから、シークを泊めている部屋のように、全部の窓に鉄格子がはまった部屋を貸し与えた。合鍵は偽の合鍵を渡してある。何かあったら間違えましたわ、で済ませるつもりだ。
シェリアはそう答えたものの、落ちつきなく部屋の中を歩いた。シークが心配でたまらない。今すぐに会いに行きたかった。そして、抱きしめたかった。その一方で怒りに満ちていた。これは、シェリアに対する宣戦布告なのだ。
シェリアが気に入っているというから、余計に彼に狙いを定めた。本当ならすぐに仕返ししてやりたいが、まだ証拠も何もない。
(もし…もしシーク殿に何かあったら…もし、仮に死んでしまったら…決して許しませんわ。決して許さない。)
シェリアは固く決心するが、死ななくても許さない。許すつもりはない。シェリアの男に手を出して、ただで済んだ男も女もいないのだ。わざと横暴な女領主を演じてきた。そうでないと、こうして馬鹿にされる。
「シェリア殿。」
シェリアが考え込んでいる間に、ヌイとサグが帰ってきていた。空気のように出入りできる彼らは、帰ってきても分からなかった。
「やはり、下っ端などではありませんでした。まっすぐにベブフフ殿の馬車に行ったそうです。そして、ベブフフ殿とトトルビ殿に報告したんだとか。
馬で向かったにしても、そんな芸当ができるのはただ者ではなく、ニピ族かもしれないということです。」
バムスの説明を聞いて、シェリアは頷いた。
「…そうなんですの。分かりましたわ。」
バムスが心配そうにシェリアを見つめている。
「ご心配なく、バムスさま。これではっきり致しましたわ。ベブフフさまもトトルビさまも、わたくしがどういう女か忘れていらっしゃるようですから、はっきりと思い出させてあげますわ。」
「…シェリア殿、本当に大丈夫ですか?」
バムスの確認にシェリアは頷いた。頷いたが、シークが危ないという話を聞いていたので、本当に落ち着かなかった。本当は今すぐに彼の所に行って、手を握りたい。でも、それをすれば手当の邪魔になる。治療中に行って平常心を保つ自信もなかった。
その時、ヌイが動いて部屋の扉を開けた。ガーディが入ってくる。
「旦那様、ノンプディ殿、良い知らせです。ヴァドサ殿は一命を取り留めました。一時期かなり危なかったのですが、乗り切りました。」
シェリアはその報告を聞いた途端、安心したため全身の力が抜けて倒れそうになった。慌ててリブスとバムスが支えてくれる。
「大丈夫ですか? そこに座らせなさい。」
バムスはリブスに長椅子を示した。二人でシェリアを抱えて、長椅子に横にしてくれた。バムスの侍女がクッションを持ってきて、頭の下に入れてくれる。
「ごめんなさい、ありがとう。」
さらに薄手の毛布も運ばれてきて、軽くかけてくれた。
「それで、ベリー先生は何の毒か判別できたのでしょうか?」
ガーディは首を振った。
「詳しいことは何も。先生ご本人曰く、症状に合わせて対処しているだけと仰っております。ヴァドサ殿が生きられたのは健康で丈夫だったから、まずはそれだそうです。」
「それで、お前はどう思った?」
ガーディは少し考えた。
「私が思うに、ベリー先生は確信がないものの、何の毒かは想像がついているのではないのかと思います。特にヴァドサ殿が、体中が痺れるようで力が抜けていく感じがして、息も苦しいと言った後の、対処はとても早かったです。おそらく、それで何の毒かはっきりしたんだと私は思います。」
ガーディは外から様子を伺っていて、頃合いを見計らってベリー医師に様子を聞いて戻ってきたのだ。
「なるほど。ありがとう。」
「見舞いに来るなら、もう少ししてからと仰っていました。」
「分かった。しばらくヴァドサ殿の方を頼む。」
バムスの言葉を聞いてからガーディは下がる。
シェリアはその様子を見ながら、自分が自分で思っている以上に、恋と愛に生きたがっている女の自分に戸惑っていた。シークが毒を盛られたと聞いて、こんなに動揺するとは思わなかった。夫のマイスだって、毒を盛られていた。
(……違うわね。マイスが盛られていたから、だから…もう一度、同じことで失いたくないもの。また、毒で愛する人を失いたくないから…。)
そうだった。夫のマイスは義父の後妻に毒を盛られて亡くなった。まだ、子ども達が二歳になった頃で、子ども達はシェリアが他の男と不貞を働いて産んだことにされそうになっていた。
あの日からずっと…マイスと結婚した時からずっと、戦ってきた。まずは義父の後妻。領主になってからは、家臣達や領民達。女のシェリアに領地を治められるのか、ずっと馬鹿にされてきて、冷酷な女領主を演じつつ、領内を豊かにする政策を打ってきた。
認められるようになってからは、八大貴族として国政にも力を入れた。特に大街道の整備拡張については、最も力を入れている部分である。
そうやって、ずっと戦ってきた。確かに望んだとおりの政策が全うされて、上手く功を奏した時の達成感は何物にも代えがたい。だが、その一方で女としての欲求は満たされなかった。
シェリアは己の美貌を武器として使い、様々な男を駒として使ってきた。だが、誰もシェリア本人を見ている人はいなかった。シェリアの肩書きだけを見ている。
分かっているつもりでも、満たされないものは募っていた。だが、シークは自分を一人の人間として、女として見てくれた。そのことが、思った以上にシェリアの心を満たしているのだ。
自分でも制御できなくなりつつある心に、シェリアは少し戸惑っていた。




