教訓、四。優しさも危険を招くことがある。 1
若様はシークとベイルには比較的早く打ち解けた。シークは子供の頃からの子守の経験値が豊富だったからというのと、ベイルも同じく婚約者の幼い弟や妹たちの面倒をみていて、子供の扱いに慣れているからだった。
シークはそれを知っていたので、ベイルにはできるだけ、仕事を割り振らず、若様と仲良くなることを優先させた。隊長の自分が若様と話ができるようになるのは当然しておく必要があるが、他にも必要だ。シークが隊を指揮する間、若様と話せる人員がいた方がいい。
「誰か一人でも若様と仲良くなっておく必要がある。何かあった時、万一、フォーリと離ればなれになった際、誰も若様に近づけないんじゃ話にならない。」
シークの説明に隊員達も納得している。フォーリが三階に現れた件から、みんなニピ族の驚異的な能力の方に俄然興味を持ちだした。そっちに興味を持ってくれてありがたい。
しかし、シークは知っている。フォーリが三階から帰り、ベイルもシークも帰った後、隊員達が何を話していたかを。一応、消灯時間が来たので、全員、部屋に入って横になった。ベイルもシークも部屋に戻って休んだ。
だが、シークは今晩が勝負だと思っていた。きっと、噂話をするだろう。盗み聞きは印象が悪いが、しかし、隊員達が何を考えているか把握するには、ある程度仕方ないのだ。
案の定、布団の中でみんなこっそり、言い合っていた。若様とフォーリの容姿について話し、さらにフォーリの能力について驚嘆していた。
(…まあ、これは仕方ない。強制もできないし。)
フォーリも人の口に戸は立てられないことくらい、知っているだろう。シークも戻って寝たのだった。
なんだかんだ言いながら、この難しい旅路は始まった。シークとベイルがなんとか、若様と話ができるようにまでなったので、出発に踏み切ったのだ。
二人とも意外だったのが、若様は虫が好きだということだ。可愛らしい顔をして、虫を平気で捕まえられる。だんだん、仲良くなったベイルが話を聞き出した所、動物も好きだということが分かった。
コニュータを出発して二日後。
カートン家の駅で休んでいた。カートン家は国が維持管理している駅とは別に、カートン家で駅を全国に所有している。
彼らは筋金入りの医師の家門で、それもこれも患者達が快適に移動できるように、という配慮のため、快適に移動できる馬車を持っており、その上、駅も持っている。駅は宿舎が必ずついており、具合が悪くなった人のため、そこで泊まって療養できるようになっているし、入浴施設まで持っている。その上、こっそり移動したい人のため、特別応対用の場所も確保してある。
カートン家の駅は大変快適でそれは人気だが、病人しか利用できない。医師の判断と証明書がなければいけなかった。特殊な印を押すことになっているので、書類の偽造も難しい。元気な人は国が維持管理している駅を使わざるを得ないのだ。
ただ、若様の場合は明らかに患者扱いだった。実際に素人目から見ても普通の子と全く違うし、療養は必要だと思う。もちろん、特別応対の駅舎だ。
若様がおずおずと近づいてきた。
「……ねえ、この子、なんていう名前?」
兵士達の馬を休ませていると、シークとベイルに近づいてきて尋ねた。他の隊員達もいるが、みんな気をつけて黙って気づかぬふりをしている。
「私の馬はビースです。」
ベイルが答える。茶色と白の斑の馬だ。
「…さ、触ってもいい?」
後ろのフォーリが黙っているので、シークは頷き、ベイルが許可する。
「いいですよ。」
若様は馬に嬉しそうに近づいた。
「…ふふ、初めまして、ビース。」
あまりに可愛らしく純粋な笑顔に、チラ見した一同は気圧されたが、フォーリの視線で一斉に普通の顔に戻り、急いで仕事を再開する。
若様が馬の鼻面を撫でた。ビースは大人しく撫でさせている。その動きを見て、シークは気が付いた。若様は馬に慣れている。
「…若様は、馬を触ったことがおありですか?」
シークの質問に、若様は機嫌が良さそうに答えた。
「うん。あるよ。最初はフォーリに教えて貰ったけど、後はリタ族に馬の乗り方や戦い方を教えて貰ったの。」
馬に触って緊張が解けたのか、言葉に詰まりも、どもりもせずに答えてくれた。ふんわりとした柔らかな雰囲気だが、答えてくれた内容は、普通の人ならかなりビビるものだった。
「…それは凄い。リタ族は馬の扱いが巧みだと聞きます。それも、森の中や河、沼地や崖など、扱いが非常に難しい所での乗馬の技術に優れているそうですね。」
シークが感嘆すると、若様は嬉しそうにふふふ、と笑った。少しだけ振り返って頷いてみせる。その姿が幼いのにどこか妖艶で、目のやり場に困るような色香が漂う。シークは根性で平静を保った。
「うん、そうなんだってね。私も後からフォーリに聞いたよ。最初は怖かったけど、慣れたら楽しかった。そのうちに、早駆けの競争にも勝てるようになったんだよ。」
若様はさらりと、とんでもないことを仰った。リタ族は森に住んでいる。早駆け、というのは普通の馬場や草原ではない。森の中だ。森の中は障害物競走をしているようなものなのだ。しかも、足場は非常に悪い。落ち葉も多いし、腐葉土でしっかりした固い地面とは根本的に違う。しかも、落ち葉は滑りやすく、下手をすれば転倒する。四つ足の動物でも転ぶのだ。
それで、シークは大いに感嘆して見せようかと思ったが、まずは慎重に聞いてみた。
「ほう、子供達の競争で勝てるようになったのですか?」
すると、若様は振り返って首を傾げた。どう見ても、そんな仕草をされると絶世の美女ならぬ、美少女にしか見えない。
「? 違うよ、大人もいるよ。みんなで一緒にするんだよ。上手になったら、早駆けに出ていいようになるんだ。だから、上手な子供もいるんだよ。」
「そうなのですか。知りませんでした。それで、何番目くらいになったのですか?」
若様は少しうつむいた。
「一番上手くいって、三番目だった。酋長に自慢していいのは一番になった時だって言われた。だから、あんまり自慢はできないから…。」
シークはなんて言うか迷った。酋長に一番になった時だけ自慢していいと言われたとはいえ、大人も含めた競争で三番目、というのはかなりいい成績だ。はっきり言って自慢していい。大いに褒めようと思ったが、視線を感じて若様の後ろを見ると、フォーリが軽く首を横に振る。
(褒めるな…ってことか?)
「そうですか。でも、それがあったから、馬と仲良くなれるようになりましたね。馬と仲良くなれないと早駆けなんでできませんから。」
シークが答えると、若様は少しうつむいていた顔を上げた。
「うん、それはそうだね。」
話が途切れた所でフォーリが言った。
「若様、そろそろ行きましょう。二人の馬の世話ができなくなってしまいます。」
指摘されて若様は、あ、そうか、という表情をした。
「うん、分かった。ごめんなさい、邪魔をして…。」
「いいえ、構いませんよ、若様。いつでも、どうぞ。」
シークの返答に若様はほっとした顔をした。
「ありがとう、二人とも。」
若様は最後にもう一度、ビースを撫でた。
「また、今度ね。」
ビースに話しかけ、それから、二人にも小さく手を振ってから、マントを翻しつつフォーリの元に駆け寄った。夕日のような朱色がかった赤い髪が日の光に当たって、美しく煌めきながらぴょんぴょんと可愛らしく跳ねる。フォーリが目礼して一緒に駅舎の部屋に戻っていく。今日は昼食を食べて休んでから出発し、あと一駅分進む予定だ。
この旅の計画はあってないようなもの。もし、若様に何かあればすぐに旅路は変更になる。