教訓、二十三。毒薬変じて薬となる、とは限らない。 1
2025/08/06 改
ここから、一気に話が進みます。主人公、シークにとって生死をかけた戦いが静かに始まります。本当に生死をかけた戦いです。生きるか死ぬか。話の潮目がこの章から完全に変わると思います。
ベリー医師は薬草茶を作るため、シェリアの屋敷の裏庭を歩いていた。
今、屋敷の中は厄介なことになっている。
トトルビ・ブラークとラスーカ・ベブフフが寄越した人間達が大勢、シェリアの屋敷にやってきているのだ。
ブラークとラスーカが王に、バムスとシェリアが手を組んで若様に何か吹き込んだりするつもりだと騒ぎ、しかも、一緒にいる自分達には吹き出してしまう話だったが、親衛隊の隊長が何か一枚噛んで武力に訴えて何かしでかすであろう、という主張がなされたらしい。
大真面目にラスーカとブラークから先に使わされた家臣達が、何か彼らの主張をしていたが、バムスもシェリアも笑いを堪えるのに必死だった。若様はきょとんと首を傾げてフォーリを見上げ、当の本人は、ぽかんとしてその主張を聞いていた。
「ヴァドサ隊長はそんなことしないし、できない人だよ。どうして、そんなことを思うの?」
若様が可愛らしく目を瞠って否定すると、ラスーカとブラークの家臣達は、不躾に若様を見つめていた。フォーリが鉄扇を開いた音で初めてはっとして、人は見かけによらないから決して油断してはいけないのです、などと述べ始めた。
本人を前にしてよく言うな、と内心ベリー医師は感心していた。
「…そもそも、部下に私達との面会を任せ、己が出て来ないような人間が隊長をしている時点で間違いです。名前だけで出世した者にありがちなことです。そんな者がセルゲス公の護衛をしていていいわけがありません。」
とうとうシェリアとバムスが、同時に吹き出して笑い出した。二人が笑い出したせいで、ラスーカとブラークの家臣達は余計に気分を害した様子だった。
「何を失敬な…! 私達もお二人と同じ、八大貴族の家臣ですぞ…!」
「いや、失礼。あまりにも大きな勘違いに気づかれていないので、おかしくなってしまいましてね。」
いきり立つ二人に、バムスは穏やかに謝った。
「…申し訳ありませんが、私が国王軍親衛隊配属、セルゲス公護衛隊隊長のヴァドサ・シークです。」
シークだって、勘違いされている上に悪口を言われるのは、さすがに気分を害するが、あまりに気づかないでいるので、教えないのも意地悪だと思って名乗り出た。
「……?」
「ですから、私がヴァドサ・シークです。なぜ、私ではないと勘違いされたのか分かりませんが。」
二人はさすがに気まずいのか、咳払いをして誤魔化した。
「さようでしたか。あまりにも存在感が薄いので、気が付きませんでした。」
あまりの言い訳に、大人達は苦笑いをするしかない。
「ねえ、フォーリ、どうしてそんな言い訳をするの? ヴァドサ隊長はずっと最初からいたし、自分達だって見たのに、ヴァドサ隊長が名乗ろうとした時、手を振って邪険にして自分達がべらべら喋って、聞こうとすらしなかったよ。それなのに、どうしてヴァドサ隊長のせいにするの?」
純粋な若様の質問は一応、小声でなされたが、それでも一同の耳に入った。
「ねえ、存在感って偉そうにしていることなのかなあ?」
フォーリもここでは答えにくい質問だ。
「殿下、存在感とは偉そうにしていることではありません。」
バムスがすかさず答える。
「ふーん。」
「もう少し言うなら、存在感とはその人だと感じさせる何か、と言えばいいのでしょうか。言葉では非常に説明しにくいですが…。」
「…感じさせる何か…? そうしたら、そっちの二人が偉そうにしているのも、存在感になるの?」
「…今の説明ですと、そうなってしまいますね。しかし、少し違うかと思います。」
そんなんで、完全にバムスが若様に説明する様相になってしまったため、彼らは何も言うことがなくなって、シークを睨みつけた。その場で一番、言いやすい相手だったからだ。ベリー医師も身分は平民だが、なんせニピの踊りを身につけているカートン家の医者だ。“毒使い”の異名を誇るカートン家の医師に何か言って、後で“何か”あっても嫌だと思ったのだろう。
「そもそも、お前がもっと早くに名乗れば良かったのだ。気が利かないヤツだ。」
「全くだ。おかげで恥をかいたではないか。」
「……はあ、申し訳ありません。」
身内同士のいざこざや軍内で言われ慣れているせいか、嫌味を言われても右から左、左から右に流しているのが、端から見ても分かった。のれんに腕押しという感じで、嫌味を言っても反応がないためか、ブラークとラスーカの家臣達は去って行った。
ラスーカとブラークの家臣達は、領主兵達も懸命にシークの悪口を言い、どんなに良くない人物か宣伝して歩いていたが、シェリアの領主兵達もバムスの領主兵達も、シークがそんな人物ではないと分かっていたので、みんな相手にしなかった。
だが、とうとうバムスの領主兵の一人が、ラスーカとブラークの領主兵五人の前に立ちはだかった。主人に言いつけられた任務を全うしているだけだと分かっていたが、あんまりだと思ったのである。
「お前達、主の言いつけ通りにそんなことをしているのだと分かっているから、今まで相手にしなかった。しかも、言われている親衛隊の隊員達が誰一人、お前達を相手にしないから、私達も無視していた。
だが、あんまりだ。ヴァドサ殿はそんな人ではないぞ。そもそも、我が主君に対しても無礼であるし、ノンプディ殿に対しても無礼だ。三人で共謀して、殿下を幽閉して意のままに操ろうとしているだと?馬鹿も休み休み言え…!」
試合をしてから、領主兵達の親衛隊に対する見方が明らかに変わった。特にシークに対して、尊敬の目を向けるようになっていた。ニピ族相手に…しかも、五人を相手にして戦い、フォーリに負けたものの、四人を倒したのだ。
特にバムスの領主兵達は、自分達がニピ族の護衛と時々手合わせして敵わないと分かっているから、特に驚愕していた。
ブラークとラスーカの領主兵達にもの申したのは、最初にシークと試合することになって、草の茎を持たれて怒っていた兵士だ。彼はその後、シークの試合を見て剣を持たなかった理由を理解した。実力の差を見て自分には敵わない相手だと認め、今では尊敬していた。
「ヴァドサ殿は、そんな方ではない…! あんなに実力があるのに、身内などとの関係から十剣術交流試合にも出場しないと聞いた。剣客であれば、誰でも十剣術交流試合などの試合に出場したいものだ。それなのに、出られなくても文句を言わない、遠慮深い方だ。そんな方が殿下にそのようなことをするわけがない…!」
バムスから事情があってシークが剣術試合に出場しない、という話を聞いていた兵士達は、そのように理解していた。その様子を見ていた周りの領主兵達も同調し、ラスーカとブラークの兵士達は、すごすごと退散するしかなかったのだった。




