教訓、二十一。口は災いの元。 5
2025/07/13 改
しばらくして、シェリアは業を煮やしてシークの部屋に戻った。普通なら確認しに追いかけてくるはずだ。でも、彼は追いかけてこなかったばかりか、もう、さっさと眠っている。
「……まあ。なんてことかしら。眠るのに怖くはないの? 昨日、襲われたばかりなのに。怖いかもしれないと思って、お酒を用意しておいたのですわ。隊長という立場上、弱音は吐けないと思いましたから。」
シェリアは一人でシークに話しかけた。規則正しい寝息がたっているので、答えはない。剣を持ったままの彼に、シェリアは近づいた。一瞬だけ、ためらったが彼の顔に手を伸ばす。殺気を感じないためか、起き上がって剣を抜くことはなかった。彼の髪をかき上げて、頬をそっと撫でる。髭が伸びていてちくちくしたが、構わなかった。
力尽くで奪うことはできる。でも、そうすれば彼は一生、シェリアに心を開いてくれないだろう。シェリアは布団をそっとめくり、剣を抱えている彼の胸に耳を当てた。心臓の鼓動が聞こえる。
夫のマイスを心から愛した。でも、幼馴染みだったためか、恋した時間はあまり感じなかった。マイスが逝ってしまってから、恋をした。幾人かの男性と浮名を流した。でも、誰もマイスのように愛せなかった。愛してもいい人はいた。でも、心の底ではみんな、シェリアを利用しようとしていた。そのためにシェリアに近づく者ばかりだった。
分かってはいても。分かってはいても、そのたびに心は傷ついた。もう、誰も愛することは出来ないのだろう。あきらめていて、それでも、どこかあきらめきれない自分がいて。そんな時にシークと出会った。
とても真面目で、今まで会ったどんな人とも違う。シェリアが権力をちらつかせても、なぜか心から嫌そうな顔をしない。そう、シェリアの心を見透かしているからだ。彼女が何を望んでいるか分かっているから、自分が折れて何とかなることには、折れてくれる。
でも、それ以上は近寄ろうとしない。いつも、一定の距離を保とうとしている。バムスに対してもそうだ。普通の者なら、とっくに八大貴族の覚えが良いと自慢してもいいし、何か取引を持ちかけてきてもおかしくない。
しかし、彼は一切、そんなことをしない。
不思議な人だ。
自分の誇りが傷ついても、シェリアに一言も文句を言わない。さっきは、何か文句を言われるかと思った。人前で口づけしたのだから。でも、何も言わなかった。一番、最初の時は怒っていた。しかし、理由もなしにシェリアやバムスが行動しないと分かってから、彼は自分の誇りを傷つけられても、怒りを表さなくなった。
じっと耐えるようになった。どういうことなのか、シェリアの行動に振り回され、混乱しながらも考えている。
だから、シェリアは彼に心を引かれてしまう。だめだと思っても、余計に彼を手に入れたくなってしまう。
(馬鹿な人ね。眠っていれば、わたくしが何もできないと思ったのかしら…?)
その時、シェリアはふと目を開けたシークと目が合った。思わず、息を呑んで身構える。
「……あれ、のんぷ…シェリアどの? なぜ…。」
寝ぼけながらも言い直したシークに、シェリアは最後まで言わせなかった。我慢できずに彼に口づけしてしまう。半分寝ている状態なのに、シェリアの要求を満たそうとしたのだ。嬉しくて心が躍って、耐えられなかった。胸がときめいてしまったのだ。
寝ぼけているためか、抵抗されなかった。人前でした時は、混乱して固まっていた。でも、今は違う。自然体のまま…。夢を見ているとでも、思っているのかもしれない。
そんな呑気な所にも惹かれてしまう。どうしても、恋する心を抑えられなくて。でも、それ以上はだめ。それ以上の関係になったら、彼の人生を壊してしまう。シェリアは、必死になって恋する心を押さえつけると、彼に布団を掛けて急いで自分の部屋に戻った。
自分の部屋に戻って、しばらくは少女のように自分の心が静まるのを待った。扉に寄りかかったまま、しばらく立ち尽くしていて、彼に鍵を渡すのを忘れたことに気が付いた。渡しておかなくては、シークが指摘した通り、火事になった時など緊急の際に出ることができなくなり、最悪の場合、死んでしまう。
シェリアはそっと、扉を開けてシークの様子をうかがい見た。少しだけ中に入って近寄ると、眠っているようだ。きっと、さっきの口づけも夢だと思っているに違いない。そう思うと腹立たしい気もするし、今の場合は良かったとも思う。寝息が聞こえてくる。
抜き足で近寄ると、鍵を灯りの横に置き、急いで戻った。やはり眠っているようだ。
(…あぁ、わたくしは一体、何をしているのかしら。)
いつもの自分らしくなかった。こんなことを繰り返していたら、足下を掬われてしまう。危険な状態だ。だから、バムスは帰らないで様子を見ているのだろう。それに、不穏な雰囲気が流れているのも事実である。
しっかりしないと、とシェリアは自分を叱咤した。
恋は危険だ。情に流されて冷静に判断できなくなる。冷静に判断できなくなった途端、危険は急に目の前に迫り、前にも後にも進めなくなって、追い落とされてしまう。そして、シェリア・ノンプディもただの女だったと言われるのだ。
ただの女だったと言われたくなかった。今まで成し遂げてきたことはいくつもある。領主として、夫のマイスに託されたことをいくつも成し遂げてきたし、もっと、これからも成し遂げたかった。
シェリアには顕示欲も出世欲もあった。でも、それと同時にもう一度、女としての幸せも求めたかった。
(わたくしは、欲張りな女よ。)
若様に指摘された通り、幸せなのに苦しかった。切なくて胸が詰まる。シェリアはしばらく、両目から涙がこぼれるのに任せた。




