教訓、二十。油断大敵。 17
2025/07/07 改
はあっという、シェリアのため息でグイニスは顔を上げた。
「あぁ…ヴァドサ殿の婚約者の方が羨ましい。」
グイニスは首を傾げた。
「ヴァドサ隊長は、任務があるから婚約を破棄してきたって言ってたよ。」
婚約を破棄してきたのに、何が問題なんだろう?グイニスが言うと、シェリアは悩ましい目線でグイニスを見つめた。そんな目で見つめられると、なんか急に落ち着かない。
「…殿下。任務のために婚約を破棄するような、真面目な方なのです。そのような方が、簡単に他の女性を愛するようになるとは思いませんわ。」
グイニスはシェリアが分かっていて、シークに言い寄っていると知ってびっくりした。言い寄ってもなびかないと分かっていて、言い寄っているのだ。理解できずにぽかんとしてしまう。
「きっと、今でもその方を思われているのでしょう。できるなら、ヴァドサ家に圧力をかけてシーク殿を連れ去りたいですわ。」
ぼそっと言った言葉を、本当に実行しそうな危険な雰囲気をグイニスは感じた。
「…でも、そんなことをしたら、嫌われてしまう…。やっぱり嫌ですわ……。」
シェリアが一人でそんなことを言って、悩んでいる。グイニスはもっと話をしたいと言った手前、ここで終わるのはためらわれたので、話題を変えることにした。
「…ところで、ノンプディ。私はずっとよく分からなくて…。直接、ヴァドサ隊長に聞くのはためらわれるし…。」
話題を変えようとして、結局シークの話であったことに気が付いたグイニスだったが、シェリアがぱっと顔を上げた。今さら変えられない。
「…何をお聞きになりたいのですか?」
「…ヴァドサ隊長って…というか、ヴァドサ隊長の隊って強いの?私にはよく分からなくて。あんまり、模擬戦とか見たことないし。どう判断すればいいのか、よく分からない。…もし、あんまり強くなかったら、強くなって貰わないといけないし…。」
それは、確かに聞けませんね、と隣のフォーリからもそんな雰囲気がした。
「…確かにそれは、聞きにくいことですわ。」
「そういえば、昨日、ヴァドサ隊長に、自分が弱いと嘆いている暇があったら、強くなればいいって叱られたけど、もし、みんながあんまり強くなかったら、みんなと一緒に鬼ごっこをしながら、強くならないといけないなって。」
「…鬼ごっこ?」
シェリアが聞き返した。
「うん。本当は今日、ヴァドサ隊長に鬼ごっこして貰うはずだったんだけど、思いがけないことが起きてできなくなったから。強くなるために、鬼ごっこをするんだって。よく分からないけど、何か考えがあるみたいだった。」
「…なるほど。なんとなく、分かるような気が致しますわ。」
シェリアは少しして、嬉しそうに微笑んだ…いや、ニヤリと笑った。
「いいことを考えつきましたわ。」
「いいこと?」
「親衛隊と領主兵で模擬戦を行えば良いのです。そうすれば、訓練にもなりますし、親衛隊の今の実力を見ることができます。」
もし、シークがその場にいたら、慌てただろう、実に嫌な考えをシェリアは提案した。彼自身、隊員達の実力が落ちているのではないかと、心配している。シェリアは分かっていて言ったのだ。
「ちょうど、バムスさまの領主兵もおりますわ。バムスさまの領主兵は、国王軍並みの練兵がされておりますのよ。手を抜くことなどできませんわね。」
「へえ、私、模擬戦を見たことがないよ。初めて見るから、楽しみだな。それと、もう一つ質問があるんだけど、ヴァドサ隊長って強いの?刺客から守ってくれたけど、フォーリとどっちが強いの?」
グイニスはフォーリが必ず反応すると分かっていて、この質問をした。フォーリが案の定、私に決まっています、と言いそうな様子で何か言葉を飲み込んでいた。
「まあ…殿下、それはニピ族の前では禁句ですわ。」
「え?」
「ニピ族は自分が世界で一番、強いと思っているのです。自分より強い人がいると思ったら、決闘沙汰になりますわ。」
純粋に聞いてみたかったのだ。フォーリが怒るのは分かっていたけれど。単純にどっちが強いのか、聞いてみたかったのだ。決闘沙汰になるとは思わなかった。
「もし、ヴァドサ殿が、フォーリ殿に打ち殺されたらどう致します?」
シェリアに問われて、グイニスは戸惑った。そんなつもりはなかったのに。
「…じゃあ、やっぱりヴァドサ隊長は弱いってこと?」
シークが聞いたら、思いっきり怒って落ち込みそうなことをグイニスは言った。彼がいたら、彼の誇りを真っ二つに切り裂くような発言だった。
「フォーリ殿に聞いたらいかがですか?」
シェリアが意地悪くフォーリに話を振った。フォーリは思わずシェリアを睨むが、彼女はどこ吹く風という涼しい顔をしている。さっき、命を取らないという約束をしているから余計だ。
「フォーリ、ヴァドサ隊長は本当は弱いの?私は…弱い人に教えて貰うことになるの?」
「…若様。ヴァドサは…弱くない…というかかなりの猛者だと思います。そうでなければ、若様を抱き上げたまま、あれだけの刺客を斬るという芸当はできませんし、昨日のように寝込みを襲われたのに、ほぼ全員を返り討ちにするような真似はできないでしょう。
ただ…私ほどに強いかどうかは分かりませんが。手合わせをしたことがないので、なんとも言えません。」
実際に若様を抱き上げたまま、一晩中、走り続けながら斬って逃げるということは、フォーリ自身やってみないと分からない、などとは言わなかった。
「…そっか。それなら良かった。だったら、フォーリとヴァドサ隊長が手合わせをしてみたらいいんじゃない?」
「…まあ、面白そうな考えですわ。どうせなら、うちのリブスやバムスさまのニピ族達とも、手合わせをしたらいいのではないかしら。」
フォーリは、シークと手合わせをしたらいいという考えに反対しなかった。むしろ、強い相手と手合わせができるのは、嬉しい話だ。
「…フォーリはだめ?」
「いいえ、若様。私も実はヴァドサと一度、手合わせをしてみたいと思っていました。彼の剣術は実に柔軟で速い。ヴァドサは剣を抜いてからが速いのです。ヴァドサ流の剣士と手合わせをしたことがありませんし、私達の舞と似た動きをすることがあり、気になっています。」
フォーリにしては珍しくたくさん喋っている、とグイニスはフォーリを見上げた。
「では、さっそく昼食の時にバムスさまに打診しますわ。」
シェリアが言い、グイニスは立ち上がった。
「じゃあ、私はヴァドサ隊長に言っておくよ。言いに行かなくちゃ。」
「殿下、その前にいつするのか、決めなくてはなりませんわ。」
言われてグイニスは考え込んだ。
「明日じゃだめなの?」
「明日ではさすがに…厳しいかと。」
フォーリが言うと、シェリアはほほほ、と笑う。
「いいのではありませんか?戦はいつでも、突然、始まるのですから。」
シェリアは意地悪く言う。シェリアの何か企んでいそうな表情に、フォーリは少しだけ警戒した。あんまり、シークが窮地に陥るのは望まない。なぜなら手合わせの時、疲れて本気で戦って貰えないからだ。
「しかし、彼は昨日、寝込みを襲われたばかりです。」
フォーリが言うと、若様は、あ…と気が付いた。
「そうか、それじゃあ、明後日とか?」
明後日も可哀想だが、明日よりましだろう。




