教訓、二十。油断大敵。 9
2025/06/11 改
「 !…なんだ、こりゃ。」
床から天井から、血で汚れていない所がないほどだった。思わず腕で鼻を押さえた。
「そうだ、これに履き替えて下さい。」
モナが中に置いてあった部屋の室内履きを出した。
「これは中専用です。」
自分も履き替えている。確かにそうしないと、屋敷中を汚してしまうことになる。
「ここに隊長は倒れていました。」
モナに案内されて遺体をまたいでその現場を見た。シークは辺りを見て絶句した。自分でよく生きていたと思う。しかも、無傷で。
「……自分で言うのもなんだが…よく怪我もしないで生きていたな。」
「怪我はしてますよ、首。」
モナに指摘されて、血が飛んでいる鏡を見ると、首にくっきり締められた時にできた痣ができていた。
「…確かに。だが、私が言いたいのは、斬られておかしくない状況だったのに、斬られていなかったことだ。」
モナは頷いた。
「そうですね。こんなに敵がいたのに。ちなみに、ここには六人転がっていますが、七人目はまだ生きていたので、フォーリが捕まえてあります。それでも、重傷なので生きるかどうか分かりませんが。ベリー先生曰く、肋骨が折れて肺に突き刺さっているとか。剣の鞘かなんかで叩きましたか?」
実はその怪我は、フォーリが鉄扇で叩いたせいだったがモナは知らないので、シークが原因かもしれないと思っていた。
「いや…よく分からない。夢のように記憶が霞みがかっていて。ある程度は覚えているがうろ覚えの部分も多い。」
「そうですか。後で話を聞かせて下さい。」
「分かった。…お前に取り調べを受ける事態になるとは、思わなかった。」
モナが軽いため息をついた。
「そりゃあ、私も同感です。そういえば、フォーリが一回、来たらしいんですよ、隊長が事務仕事をしている時に。その時、勝手に部屋にまで入ったくせに、あまりに集中しているからって、声かけないで部屋を出たそうなんです。変に遠慮したらしいです。
それで、その時にはまだ、この香炉に香は焚かれてなかったようなんですが、隊長、誰か他に入ってきた気配を感じましたか?」
「……いや、記憶にない。集中したら周りの音が聞こえなくなるから…。」
答えながらシークは、このくせはまずいなと思う。だが、どうやって直したらいいのだろう。子どもの頃から、集中したら聞こえなくなるくせがある。子守に忙しかったので、短い時間に集中して何かをする時に、そういう状態になるようになったのだ。
モナは戸棚の上の置物を兼ねた香炉を見せた。
「この中に、隊長を眠らせるための香を焚いてあったようです。ベリー先生が深刻な表情をしてたから、カートン家でも曰く付きの薬を使われたんですよ、きっと。」
モナが嫌な推測を立てるが、たぶん、おおよそ合っているのだろうと思う。ベリー医師も副作用が出れば意識不明になると言っていた。そのことをモナに伝えると、モナはますます深刻な表情になった。
シークは見回し、自分の見た夢が現実だったとまざまざと見せつけられて、ぞっとした。さすがに気分が良くないので、早く退散するため着替えを持って行きたかったが、自分が寝る前に椅子にかけてあった制服は、もう使えなさそうだった。戦闘中に椅子が倒れて、制服は血だまりの中に落ちている。
戸棚を開けようとしたが、遺体があったのでモナとラオが動かしてくれた。決して床に落とさないよう、着替えを取り出す。
「隊長、落とさないで下さいよ。私達、手が汚れてますから。」
「隊長、躓いて転ばないで下さいよ。転んだら全部ダメになりますから。」
シーク本人はあんまり気がついてないが、意外な所でドジなのだ。モナとラオがハラハラする。戦闘中にはドジをしないが、なぜか普段の生活でえ?と思うところでドジを踏む。たとえば、閉まりにくかった戸棚の戸を強めに閉めたところ、上から物が落ちてきて頭を直撃する、あるいは戸棚の扉そのものを壊す、ということをする。
今もっとも危険なのは、せっかくの着替えを床に落とすか、転んで全てが血まみれになるという状態になりそうなことだ。「分かった、気をつける。」と言いながら、戸棚を開け閉めしているが、モナとラオは心配だった。今にも腕から落ちそうな中着が一枚ある。
「隊長が目覚めたんだって?」
そこに救いの声がやってきた。部屋の中を覗いたのはロモルだった。
「ああ、そうだ。」
モナは言いながら急いで手招きした。様子を見たロモルが、すぐに察して部屋履きを履き替えて中に入った。
「隊長、良かったです。心配しました。ご無事で何よりです。」
「ああ、ハクテス。心配をかけたな。先に部屋の確認と着替えを取りに来た。この後、風呂に入れってベリー先生から言われてる。」
「手伝います。」
ロモルは言ってすかさず、シークの制服など一式を受け取った。しっかり抱え込む。
「悪いな。なんか、よほど心配をかけたようだ。やたらと私を過保護にしようとしていないか?」
「いいえ、今まで隊長にさせすぎていたんですよ。隊長はなんでもできるから。(失敗してもいい自分のこと意外。)」
ロモルの言葉には、そんな意味も含まれている。前に自分のことは失敗しても、たいしたことにはならないと言っていた。しかし、これからは自分のことを失敗したら、命がないんじゃないかとロモルは心配になった。
「怪我もしていないんだから、自分でするさ。」
シークは言ったが、ロモルは首を振った。
「いいえ、床は血だらけなんです。こういう時は手伝いがあった方がいいですって。」
「…まあ、確かに落としにくくはある。」
シークがとりあえず納得したので、ロモルは安心した。ロモルが着替えを持っていくことになったので、ラオとそこでシークの見張り…いや、護衛を交代することにした。
部屋を出たところで、シークは服を受け取ると言うので、それ以上はロモルも言えず仕方なく制服など一式を渡した。本当は風呂敷包みなんかに包めれば良かったけどな、と内心でロモルは思う。下着なんかを落として歩きそうで心配だ。今は自分がいるからいいが、とロモルは思った。だが、直後に自分がいてもどうにもならない事態が生じるとは誰が思うだろう。
二人が風呂場に向かって歩いていると、シークが目覚めたという連絡が行ったのか、途中でみんなが集まってきた。
「隊長!良かった…!」
「隊長、ご無事で…!」
「良かった、死んでなかった!」
「てっきり殺されたかと思って、どきっとした。」
直接的な感想を述べているのは、ウィットとジラーだ。
「みんな心配をかけた。」
集まってきた隊員達に謝ると、みんなうれし泣きでもしそうな表情になる。
「隊長のせいじゃないですよ。」
「まさか、寝込みを七人がかりで襲うとは誰も思わないし。」
「七人がかりでも返り討ちにされて、敵もびっくりだったはず。」
みんなが心配してくれていて、シークは嬉しかった。任務は当然だが、彼らも守らなくてはならない。ちょっとしたことで、命を失うかもしれない。親衛隊の任務がこんなに大変だったとは、知らなかった。少しの隙も許されないのだ。
これはセルゲス公である若様だから、大変なのだとシークは思わなかった。いや、思ってはいるのだが、別の王族を守る任務についたことがないので、比較検討のしようもなく、親衛隊の任務は一瞬も気を抜けないとシークは思い込んでいた。
これはしっかりしないと、とシークは固く決心しなおした。




