教訓、十九。暗殺者は身近に潜む。 5
2025/06/01 改
「……ねえ、ベリー先生、二人は喜んでいないみたい。」
若様が不安そうな声を上げる。
「ええ、私の言った言葉を聞いて、謙虚に受け止められる限り、大丈夫そうです。若様、二人とも暗殺家業に誇りを持つような人達ではありません。
メルを名乗っていた彼女が何を言ったか分かりませんが、おそらく、目標の人間以外は殺さないと言ったのでしょう? 確かにむやみに人を殺すのは良くありません。ですが、若様が思われた通り、暗殺家業は誇りを持つような職業ではありませんから。若様の疑問は正しいのです。」
「……でも、政は時に人を殺せというよ。国史を読んでいてもそうだよ。リタ族の先祖の物語でもそうだよ。…だから、私は王になりたくなかった。」
若様は難しいことを聞いている。ベリー医師はなんと答えるのだろう。この難しい問いに。
「…私は十歳になる前に、従兄上に聞いたことがある。王はどうして死刑をするのって。」
「王太子殿下はなんと答えられたのですか?」
「従兄上は…それが、王の責任と義務だから、死刑をするって言った。法律があるのは、法律を定めないと多くの人々を困らせる上に、自分ばかりが得をするようにしたり、人から盗んだり悪いことばかりする人が増えて、国が定まらないからだって。だから、法律を破った者には、厳しい罰を与え、そのことによって罰を与えられたくないから、人々が悪いことをしないようにするために、厳しい罰があるって。
その最も重い罪が死刑だって言った。王は必ずこれをしなくてはならないって。そうでないと、どうせ、法律が執行されないならどうでもいいやって、何をやっても許されるって思う悪い人ばかりが増えて、国が荒れてどうにもならなくなるって。従兄上はそう教えてくれた。」
その若様の説明を聞いた大人達は、驚愕した。その当時、たかだか十二歳ほどの少年が、それだけのことを分かっていたのだ。
「なるほど、確かに王太子殿下の仰るとおりです。でも、若様はそれに納得できていないようですね?どうしてですか?」
ベリー医師は静かに尋ねる。
「…だって…。口では上手く説明できないけど、なんていうか…法律を破っても、罰せられない人達がいるんじゃないのかなって。それに…叔母上だって…どうして、私一人だけじゃなく、多くの人を巻き込むようなことをしてくるのかなって。私には…多くの人を死なせるほどの…価値はないって思う。
だって、私は臆病者だし…怖いのは嫌で…それに、従兄上が王になった方がいいって、分かってるのに…。叔母上には何度も、私は王にならないって言ったのに、なぜ、刺客を送ってくるのかな?
従兄上にも言った。私は王になりたくないって。十歳の誕生日前に、そう言ったの覚えてるよ。……従兄上は…私は王にならないといけないって。従兄上に私の代わりに、王になって欲しいって…言った。そうしたら、そんな面倒なことはしたくないって。王は面倒な仕事だって…。
だから、私が王になるのがいいって…言った。私は…何もできないから、無理だって…言った。でも、従兄上は…何もできないから、王が向いてるって…。仕事は家臣達がするんだって…。王はそれをまとめて、黙って話を聞いて、喧嘩を始めたら仲裁して、にこにこして座っていればいいんだって…従兄上は言うの。
従兄上は…自分は王に向いてないって言う。従兄上は、自分は嫌味ばっかり言ってしまうから、王に向いてないんだって…。」
若様の話を聞いて、王太子タルナスがいかに切れ者なのかが、分かってしまった。十二、三の少年がそこまで王とは何かを分かっているとは、誰が想像するだろう。切れすぎる王は、家臣達に嫌がられる。だから、おっとりして受け止められる器の持ち主が、王になるのがいいのだと思っているのだろう。
「…私には…従兄上の言うことがよく分からない。だって…私は迷惑をかけてばかり。何の役にも立ってない。それに……私は玉座が怖い。玉座がかかると、みんな…人が変わってしまう。だから、そんな所に座りたくない…。でも…なんで、叔母上はそれを信じてくれないんだろう……。」
若様は全身を震わせた。両目から涙がこぼれ落ちる。その目で…権力争いを見てきた若様は、権力の頂点に立つ玉座を怖れている。
「若様…。あなたの叔母上が信じないのは、若様よりも、若様の体に流れる血筋と、前国王の子であるという立場だから、そこを信じていないのです。」
ベリー医師の言葉に若様が顔を上げた。とても愛らしい少女のようにしか見えない若様は、そういう点でも不幸かもしれなかった。なぜ、王子に生まれてきてしまったのか、誰にも答えを出せない質問を、きっと何度も自分の中でしているのだろう。もし、姫だったなら、こんな目に遭わなかったはずだと思ってしまう。
「…私の血筋?」
「…もう、お分かりでしょう? 若様を支持する者がいる限り、若様を担ぎ上げる可能性があるからです。そこを若様の叔母上は、信じていない。だから、若様が生きておられる限り、刺客を送るでしょう。」
若様は黙り込んだ。見ている方も胸が痛む。放っておいて欲しいという、声なき悲鳴が聞こえてくるようだった。
「…嫌だって言っても?」
「若様、苦しくても聞いて下さい。若様がたとえ嫌だと言っても、担ぎ上げる者達は大勢いるでしょう。若様が王位継承者で、しかも、正統な王位継承者だと思っている者も大勢いるからです。」
「なぜ? 正統でないといけないの?叔父上も従兄上も同じ血筋なのに…。なぜ、私でないといけないの?」
「若様。突き詰めれば正統であるというのは、大義名分として担ぎやすいからです。そして、大義名分として担ぎたいのは、結局の所、みんな権力を握りたいからでしょう。力を得たいのです。
それに、もう一つ。王太子殿下は切れるお方です。ですから、若様を王位に就けた方が、自分達の思うように操りやすいと思う者も大勢いるでしょう。」
若様はベリー医師の言葉に、重い重いため息をついた。
「……私は…弱いって思われているってことか……。本当にそうだけど。私は…とても…非力で…何もできない。」
物凄く重い空気だった。全身にまとわりついて離れず、息さえできないほどに重い空気だ。目に見えないその空気が、若様を絞め殺してしまうんじゃないかと思うほどだ。




