教訓、十九。暗殺者は身近に潜む。 2
2025/05/30 改
偽メルが動こうとしているのを見て、シークは笛を吹いた。さらに若様の腕をつかみ、一緒に本棚の間を走る。最短距離を走り、最後に本棚から本を一冊抜いて追ってきた男の一人を殴り倒した。次にやってこようとした男には扉を勢いよく閉めて、激突させる。
偽メルがいる限り本は手放せない。剣よりも面積が広いので、毒針を払うのに役立つ。以前も思ったがこういう時、ニピ族の鉄扇は便利だ。なるほど、と実践的に役立つと納得してしまう。
偽メルが言った通り、部下達が倒れている廊下を走った。だが、任務についていた全員ではない。階段を上ろうとしたが、足音が響いてきて追っ手が来たようだったので、仕方なく近くの物置部屋に立てこもった。扉を閉めて鍵が付いてないので戸棚を動かし、入って来れないようにする。
明かり取りの窓があるが、日が落ちているのでほとんど真っ暗だった。事前にどこに何があるか把握していなくてはできないことだった。明かり取りの窓から、敵が入ってくることはできない。
「ここに立てこもりましたか? 言ったでしょう、笛を吹いたら追っ手が来ると。それなのに、警告を無視するからです。」
偽メルが勝ち誇った声を上げた。
「出てきた方がいいですよ。苦しい死に方で死に顔も見苦しくなってしまいます。」
毒でも部屋に投げ込むつもりだろうか。もし、それが可能ならあの明かり取りの窓を使い、外から入れるしかない。それには建物を上るしかないので、上ってきた所で内側から刺すなりして、落とさなくてはならない。
「やれ。」
偽メルが命令を下した。だが、何事も起きなかった。暗闇の中、シークは聞き耳を立てる。若様が震えているのが気配で分かったので、そっと背中を撫でた。若様が息を自分でなんとか整えようと深呼吸をしている。
「何をしている?」
偽メルが困惑の声を上げた。
「やはり、ダメだったか。いつものやり方を変えて、手を組むから失敗した。わたしが一人でやるべきだった。」
偽メルは一人で文句を言ったが、その時、事態が動いたのが分かった。人の気配がした。
「…め、メル! どうして、君がこんなことを!?」
息の上がったロルの声がした。偽メルは扉の前にいるらしい。はっ、と小馬鹿にしたような息を吐いた。
「馬鹿な男。まだ、わたしのことをメル・ビンクだと思っているなんて。あんたが馬鹿だから、あんたの隊長が危機に陥るのよ。」
「…なんだって? 君は本当に…。」
「まだ、分からないの? あんたってお目出たい上に純粋なのねぇ。あんたを騙すなんて本当に簡単だった。
同じ親衛隊の中でもあんたは、とりわけできが悪い。勘も悪いし、頭も鈍い。みんなが疑っているのにも関わらず、あんたはわたしのことを信じ続けた。わたしが初めての女だったんでしょ? すっかり、夢中になっちゃって。」
偽メルのロルを見下した物言いに、シークは腹が立った。ロルは確かに純粋だ。田舎から出てきた、のんきな若者だ。でも、何事にも一生懸命だ。どんなことにも、心を込めて臨むことができる。馬鹿にされるような雑用であろうともだ。
そもそも、ここにずっと立てこもっている訳にもいかない。ロルが出てきたということは、この件を任せていた面々がやってきたということであり、おそらく他にもいるはずである。ベリー医師が関わっているし、バムスにも連絡が行っているだろうし、当然、シェリアにも連絡されているはずである。
つまり、暗殺者達の方が詰まれた状態だ。シークと若様は“囮”だった訳だ。
(スーガの奴め。もし、若様を守れなかったらどうするつもりだ。)
しかも、そう言えば、わざわざフォーリが若様の護衛を頼んできたのは、彼がその場を離れるようにするため、説得したのだろう。信頼されているのは嬉しいが、危うい作戦でもある。
偽メルがロルを馬鹿にしている間に、シークは戸棚を戻した。簡単な物なので、ちょっと押すだけで動く。手入れされている上に、敷物を戸棚の下に敷いてあるので、音も立たなかった。
「本当に馬鹿な男。そこまでわたしに惚れてくれたから、最後はわたしが殺してあげるわ。どうせ、わたしを殺すことはできないでしょう?」
「…め、メル、君は本当に暗殺者なのか? 本当に騙してたなんて…! 君を信じてたのに…! だから、君が逃げようって言ったから、本当に逃げようと思ってたのに…!」
ロルの他に誰か一緒にいるのかと思ったが、どうやらロルは一人のようだ。いつも、一人で動かないように注意している。それなのに、彼らは時々、一人で動くのだ。ちょっとした油断で意外なことで簡単に人は死ぬ。それを彼らは分かっていない。思いがけない別れが、突然、やってくることがある。
「馬鹿ね、本気にしたの? 大体、あんたって使えなかった。指輪を持ってきてって言ったのに、あんなゴミしか持ってこなかった。本当になかったの? あんなことも、まともにできないなんて本当に馬鹿ね。」
「そ、そんな。本当になかったんだ。」
「さようなら。」




